第十三話『結構な決闘の決行』―1
第二章に入りました!
第一章に比べてコメディ色を濃くしていきたい所存でございます。
(真面目な話を書くと蕁麻疹が出る体質な私です)
宜しくお願いいたしますm(_ _)m
日曜日。空はねずみ色。湿気を帯びた空気は、肌に少しばかりの冷気を感じさせる。
門に備え付けられているインターホンが、来客を知らせた。
康成はいつもの明るい笑顔で門まで赴き、そして目を見張った。秀貴からは、「翔を殺したい奴と、翔の家庭教師が来るから」とだけ聞いている。特徴も名前も、特に聞いてはいない。
まず目に飛び込んで来た人物は、綺麗な赤い眼をした――
「初めまして。天馬康成さん。《PEACE×PEACE》で副所長をしている、二条潤と申します。いつも弊社の商品をご愛用頂き、誠にありがとうございます」
声から察するに、男性だ。ミルクティーを思わせる色素の薄い髪は、腰まで伸びている。康成は、以前見た北欧神話の絵画に描かれていたフレイアのようだ、と思った。
左目に漢字の“人”のような傷があるが、康成にとっては、さして気になるものではない。
アイボリーのタートルネックにキャメルのジャケットを着た美貌が、ポップな色合いの紙袋を胸元まで引き上げた。
「こちら、宜しければ受け取ってください。紙袋で失礼します。サイズはLで宜しかったですよね?」
「え、あ、はい。えっと……有り難く頂戴します」
差し出された紙袋の中を確認すると、中には紺色と灰色のTシャツが一枚ずつ入っていた。はたと、康成が顔を上げる。
「あ、申し遅れました。僕はこの家で家事手伝いと経理を担当させて頂いている、天馬康成といいま――」
「ではなく、我が家の優秀な長男殿だ」
康成の言葉を遮って現れたのは、癖のある黒髪――黒い着物に身を包んだ、深叉冴だった。康成は微かに顔を渋くしたが、深叉冴は構わない。両腕を組んで、赤く光る眼を細めて、にんまり笑っている。
そんな深叉冴に向かって、潤が口を開いた。
「初めまして。《P・Co》の服飾部門で副所長を務めている、二条潤と申します。先日は私どもの監督不行き届きによりご迷惑をお掛けし、申し訳ありません」
深く頭を下げる潤に、深叉冴は軽い口調で笑い掛けた。
「あぁ。丁寧に有り難う。その件については落ち着いたから、楽にして貰えればいいぞ」
明らかに自分より年下の、少年にも見える人物にそう告げられたが、潤は嫌な顔ひとつせず深叉冴を見返した。あまりに視線が突き刺さるので、深叉冴が首を傾げる。
「ん? 儂の顔に何か付いておるか?」
「……いえ……。……えっと、口元に、チョコレート? が……」
潤の指摘に、深叉冴が急いで口元を拭った。
「ふはははは! 流石は雅弥さんの秘蔵っ子! 素晴らしい観察眼だ!」
「……はぁ……ありがとうございます」
潤は何かの的が外れたような顔をして、取り敢えず軽く頭を下げた。
そんな潤の横から顔を覗かせ、深叉冴が潤の後ろを伺う。
「ところで、敏晴の倅――凌君は?」
「お久し振りです、深叉冴さん。芹沢凌です」
と言ったのは、琥珀色の瞳をした、白髪の青年で。長い髪は、潤と同じように腰まで伸びている。ただ、潤とは違って銀の――微かに発光している――ヘアカフスでまとめられていた。とても整った顔をしているのだが、顔面の左半分は前髪で隠れている。ダークグレーのビジネススーツに、青いワイシャツ。スーツ姿にはアンマッチな黒い刀袋が右肩に掛かっている。
疑問符を全身から噴出させている深叉冴に、凌はどうしたものかと眉を下げた。
「お互い、見た目が変わりすぎているので『初めまして』の方がよかったですかね……。お会いするのは、中学の入学祝いに来て下さった振りだと記憶しています。その節は、通学用鞄をいただきまして。有り難うございました」
凌の言葉を聞き、本人だと実感したのであろう深叉冴が、表情を明るくした。
「あぁ! 凌君、大きくなったな! 相変わらずのイケメンっぷりにビックリしたぞ! ところでその頭、ヴィジュアル系バンドでも組んでいるのか?」
「ヴィジュアル系……?」
聞きなれない単語の登場に僅かな困惑の色を見せる潤。そんな潤に凌が右側から耳打ちする。
「潤先輩。ヴィジュアル系バンドとは、視覚から入る特徴を重視した、独自の世界観を持つロックバンドの事を指すのだと聞いています」
「そうか。凌はバンドを組んでいるのか? 忙しそうだな」
「組んでいません」
凌は潤と深叉冴の双方に聞こえるように、声を張って否定した。
「この頭は、脱色ではなくただの白髪です」
と、凌は深叉冴に向き直る。
「あの、さっきから気になっているのですが……」
紙袋を抱えて、康成が申し訳なさそうに凌の背後へ視線をやった。
凌の後ろには、凌と同じダークグレーのレディーススーツを着た――それこそ女神と呼ばずに何と呼ぶのかという、銀髪の美女が立っている。ずっと凌の腰元を抱いて、ずっと凌に身を寄せ、ずっと黙って陰に隠れていた。
「気にしないでください。背後霊の様なものです」
素っ気無く言って退けたのは凌だが、美女は凌に寄せている体を、更に密着させた。
「お気になさらず。ただの凌の愛人よぉーん」
言い終わると、今度は凌の腕に纏わりつくように身を寄せた。
凌はこれでもかという渋面を、美女へ向けている。小声で「ちょっと離れろよ」と腕を振っているが、美女はびくともしない。
深叉冴は赤い眼をぱちくりさせた。
「そちらの女性は、式神か? 人の姿に実体化出来るとは、相当位が高いとお見受けするが……まさか、天后――」
「あらぁ。可愛い坊やに気付いて貰えて、光栄だわぁ。そうそう。アタシは十二天将の一柱、天后様よぉー。って、そういう貴方も人間じゃないんでしょう? 生きてるにおいは全くしないけど、微かに西洋のにおいがするわぁ」
凌の腕に抱き付いたまま、天后が身を乗り出した。
深叉冴はにこやかに笑うと、自分の胸元へ右手を当てて礼をした。
「あぁ。元人間で、享年三十二歳。訳あって、今は息子の嫁殿を主に、使い魔をしておるよ」
「ふぅん。アタシ、そのお嫁さんに興味あるわぁ」
「今はご友人と出掛けていて、不在じゃよ」
「あらぁ。残念」
悩ましさを感じさせる吐息と共に、天后の上半身が凌の横へ収まった。
康成が、少し腰を屈めて深叉冴に顔を寄せた。
「深叉冴様、そろそろ翔様も朝食を食べ終えた頃だと思いますし」
「あぁ。そうだな。儂は翔を呼んでくるから、康成はみなさんを頼む」
そう言い残して、深叉冴はその場から消えた。その様子を見届けてから、康成は三人を庭へと招き入れた。
第一印象は、覇気のない顔だな、だった。
凌は目の前に立っている人物を観察してみたが、ただの大人しそうな高校生にしか見えない。眼が赤いのは特徴的だと感じたが、いつも見ている潤の瞳に比べれば、目立つほどの紅さだとは思わなかった。
掛けられた、抑揚のない第一声がこれだ。
「えーっと、初めまして。君が、俺を殺しに来てくれた人?」
加えて、口元に米粒がくっついている。
ただ、気怠げでだらしのない見た目に反して、とても澄んだ綺麗な声をしている事には、意識を掬われそうになった。
凌が、自分が殺す為に来た相手を眺めていると、その背後から呆れた声が聞こえてきた。翔の奥に居るその青年の、べっこう飴のような金髪の方が、凌にとっては印象的だった。
「翔。お前、一応当主だろ。挨拶くらい出来るようになっとけよ」
「え……俺、挨拶したよ?」
「初対面なら自分から名乗っとけ。あと、服が裏表逆だし、口の横に飯が付いてるぞ」
「あ、ホントだ」
翔は口元に付いていた米粒を取って食べた。急ぐ様子もなく、普通ならば間違える筈のなさそうな構造の服を脱ぎ、裏返してから、また着た。浅縹色をしたその服の作りは、チャイナ服に似ている。
金髪の青年は、凌や潤の方へ目を向けると、
「あ、オレは領域保護用の結界を張りに出て来ただけなんで。気にしないで続けてください」
と言い、一礼してから後ろへ下がった。服の着替えを完了させた息子の姿を眺めている深叉冴に向かって「オレは北側に回ります。終わったら縁側に戻ってきますから、そしたらいつでも始めて貰って大丈夫です」と告げて、家の奥へ消えて行った。
深叉冴は伸びをして、今しがた歩いてきた表門の方へ歩いて向かっていく。その黒い背中を横目で見ていると、件の高校生が話し掛けてきた。
「ごめん。嬉しくて色々飛ばしちゃったみたい。えっと、天馬翔……です?」
「翔様。語尾は『です』で合っています。疑問形じゃなくて大丈夫ですよ」
翔に向かって、康成が耳打ちしている。残念ながら、凌にも丸聞こえだ。
翔の頭のてっぺんから伸びている毛束が、風に揺れた。
凌から離れた天后が、翔の周りを歩いて回る。
「あなた、珍しいにおいがするわね」
「そう? 朝ご飯は焼き鮭と味噌汁だったよ」
眠そうな高校生は、“絶世の美女”というやつが目の前に居るというのに、全く気にする様子もなく言い返してきた。
天后が目を伏せ、くすりと笑う。
「そういう意味で言ったんじゃないんだけど。あなた、面白いわね」
「そう。ありがとう。ところで、君、何ていう生き物?」
翔は表情を全く変えず、首を傾げて見せた。
天后はきょとんと瞬きをひとつ。首を竦めて「アタシ、さっきそういう意味で言ったんだけど」とポツリと呟いてから、自分の胸元に右手を添えた。
「アタシは十二天将の天后よぉー。よろしく。で、坊やは何なのかしら?」
「人間と朱雀の間の子だよ。親が三人居るんだ。でもごめん。俺、忘れっぽいから天后の事すぐ忘れちゃうかも」
「ふぅん。でもおかしいわね……朱雀は腹が立つくらい細かい事覚えてるのに……。まぁいいわ。でも、道理で……ねぇ……」
天后は手を引っ込め、凌の元へと戻ってきた。再び凌の腕に絡み付き、ほくそ笑む。
「凌。あの子、すんごく面倒臭いわよぉー。朱雀が憑いているわけじゃなくて、彼自身が朱雀の分身みたいなものらしいわねぇ。正攻法じゃあどうにもなんないわ。だって――」
「あー、えっと、この家の敷地内ならどれだけ暴れても良いんで。どうぞご自由に暴れてください」
結界とやらを張り終えた飴色金髪青年――拓人が、縁側に腰を下ろしながらそう言った。




