第十二・五話『学校での事~Side拓人~』
爽やかな朝だ。
雀は木々の上でさえずり、僅かに冷気を帯びた微風が木々の葉を揺らし、朝陽はアスファルトへその影を落としている。
日直だから、と拓人は早くに天馬家を出て、単身で登校していた。グラウンドで同好会や部活動に精を出す学生たちを横目で捉えながら、通り過ぎる。
途中、野球ボールが凄い勢いで飛んできた。素手で取るにはあまりにも速すぎるので、避けた。すると、顔の横を掠めたボールが、一階の窓を直撃。ガラスの砕け散る音が、無情にもグラウンドに響き渡った。
賑やかにスポーツ活動に勤しんでいた生徒たちは停止し、グラウンドに数秒の静寂が訪れた。
その様子を半眼で眺めながら、拓人はグラウンドを後にした。
今月、オレが見ただけで三回目だな。野球同好会は、活動場所を変えるべきだろ。いつか死人が出るぞ。
そんな事を考えながら、拓人は靴箱の扉を引いた。中から上靴を取り出して履き替えると、二階にある自分の教室へと向かう。
階段を上がっていると、一階の職員室から教職員が数名走って過ぎ去って行った。
日直だからといって、特別にする事は少ない。黒板のチョークの補充をし、黒板消しをクリーナーにかけ、窓を開けて室内の換気をし、日誌を書く程度だ。
開けた窓から下を覗くと、野球同好会の三人が整列させられ、教師に怒鳴られているのが見える。その更に向こうから、目立つ金髪の三つ編み頭と、剥き栗のような色の頭が並んで歩いてくる。遠目でよくは見えないが、手を繋いでいるらしい。
翔にしては早起きだな、と胸中で呟くと、拓人は自分の席に座り、学級日誌を開いた。
「お早う。日直さんは早いね」
クラスメイト一番乗りは、空中景だった。細い黒縁の眼鏡の、いかにも“優等生です”、といった風貌をした青年だ。《P・Co》社長秘書である、空中謙冴の養子であり、天馬康成の、血の繋がった実弟でもある。
拓人は学級日誌から顔を上げると、伸びをした。
「おはよ。景は日直じゃないのに、何で早いんだ?」
「んー? インターンと大学の事で先生に相談。でも、今はそれどころじゃないみたいでさ」
自分の机――拓人の前の席――に鞄を降ろし、景は自分も椅子に腰を下ろした。
拓人は、窓ガラスがまたおじゃんになったからな、と嘆息交じりに首を竦める。
「インターン、《P・Co》さんの商品開発研究室行ってんだよな。卒業したら、科学者枠で本社に就職か?」
「残念ながら、卒業したら渡米して資格試験三昧。それがひと段落してから、就職」
「そりゃ大変だな」
学級日誌を机の中へ入れると、拓人は景に向かって肩を竦めて見せた。ただ、景は半眼で拓人を見返している。
「拓人は?」
「は?」
「就職」
「は?」
「《自化会》って、正雇用じゃないんでしょ?」
やっと質問の意図が理解出来た拓人は、そゆ事、と呟いて頬杖を突いた。学級日誌を書くのに使っていたシャープペンシルを指の上で回しながら、覇気のない息を吐いた。
「正直、学生の内は考えたくねーな。最悪、フリーターで良いや」
「呪禁師さんがフリーターって、それもなんかヤだな。それとも、フリーランスって意味でのフリーター?」
「考え中」
『考えたくない』と言っていた矢先の『考え中』。ろくに考えていないんだな、と思いながら、景は笑った。
「勿体ないな。折角、ひと学年下がってまで学校に来てるのに」
「そりゃあ、半分翔のお守りだ。オレの本意たるとこじゃねーよ」
「拓人は学校の数学教師が似合うなって、僕は思うんだけどな」
「『似合う』ってなんだよ。ぜってーヤだよ。教師とか、精神病んで死ぬわ」
拓人は吐き捨てるように拒絶し、景は「今も似たようなモンだと思うんだけどな」と言いたい気持ちをグッと抑え込んだ。
代わりに「じゃあさ……」と何か言い掛けた景だったが、他の生徒が入ってきたので口を閉じた。
ホームルーム中、隣の教室から叫び声らしきものや怒鳴り声らしきものや悲鳴らしきものが聞こえたが、まぁ、よくある事なので誰も気に留めない。
ホームルームからの流れで、一限目。ホームルーム前の会話からの流れで、職業適性テストの結果が配布された。偶然かと問われれば、否。必然だ。一限目が就職に関する内容だという事は、拓人も景も知っている。
一組は二組と違い、比較的平和に学校生活を送る事が出来る。授業の進行具合も上々で、早く進んだ時には、予定を繰り上げた内容の授業をしたり、教師のオススメDVDを観たりする。基本的に、一組に属している生徒は大学進学希望者や、成績優良者だ。二年生と三年生の、一組の担任に当たった教師は、歓喜に湧くという。
因みに、光も通常なら一組に振り当てられる成績ではあるのだが、クラス替えの段階で裏から手を回していて、翔と同じクラスに居る。
拓人の前の席に座っている景が、椅子を引いて後ろを振り向いて、拓人の持っている紙を指差した。
「ほらな? “教師”が適正最上位にきてるだろ?」
「だから何だよ」
表にズラリと記されている職業の名称を眺めながら、拓人は呻いた。教師、塾講師、レスキュー隊員、自衛官、警察官、音楽家、バリスタ、飲食店経営……家業からはかけ離れた職業名が並んでいる。
(……後半とか、どうしたんだコレ……)
“将来を決める、参考までに”という目的で行われる職業適性テストだが、全く参考にならない結果に、拓人は溜め息しか出ない。そんな結果なわけだが、景のテスト結果を見ると、最上位に“科学者”と記載されている。
「結構、的を射てると思うな。コレ」
と、景はまんざらでもない様子だ。
「はいはい。言っとくけど、天才はオレの天敵だ」
「わお。天才だなんて光栄だな。でも残念。天才だったら、今現在、ここには居ないよ」
大袈裟に肩を竦める景。対し、拓人はしかめっ面でテスト結果の文字列を視線でなぞっている。
因みに一限目は、進路指導相談となっている。現在、担任教師が別室で待機しており、出席番号順に呼ばれ、進路について話をするのだ。景が早くに登校していた理由でもある。教師との話が長引き、時間内に相談が終わらない事を懸念した景は、授業前に相談を済ませておきたかったわけだ。結局、野球同好会のお陰でひと言も相談出来なかったのだが。
教室内は、自習している者、友人同士で話している者、読書をしている者、携帯電話やスマートフォンを眺めている者など、様々だ。二組に比べて授業の進んでいる一組は、余裕を持った授業内容でも充分カリキュラムが達成できている。
景は、出て行った二分後には、もう自分の席に座っていた。景が進路についてザッと話したところ、担任は「君に関しては、こっちから言う事は無いわ」と言ったらしい。
拓人は拓人で、担任に「進路は決まったの?」と訊かれ、「第一希望がフリーター。第二希望は浪人生」だと返答し、担任を困らせた。「成績も内申も申し分ないのに、何言ってるの」と頭を抱える教師に向かって「在学中の成績なんて、世に出たら無に帰しますし。まだ考え中です」と言った結果、担任の手元の書類には“未定”と記された。
◆◇◆◇◆
昼休み直前の、四限目の授業は体育だ。この学校は、一学年にふたクラスずつしかない。体育の授業は、ふたクラス合同で行う。何種類かあるスポーツ種目から授業内容を選んで、“適度な運動をする”というのが授業の大きな目的だ。
今日の選択項目は“野球”と“テニス”。先日――火曜日と同じ種目だ。火曜日と同じ、テニスコートの方向へ足を向けた拓人は、後ろから呼び止められた。
「成山! 今日こそは野球に来て貰うぞ!」
うんざりした顔で拓人が振り向くと、丸刈り頭の三人が、腕を組んで仁王立ちをし、並んでいた。
「ヤだつってんだろ。お前ら、野球同好会のくせに野球のルール理解してねーんだもん」
二組に在籍している、野球同好会の三人だ。一年の時に、拓人と同じクラスだった。ついでにいうと、翔や光や界や景や、鈴音とも同じクラスだった。
「成山君、野球やるの?」
話し掛けてきたのは、校内で光と並び、全男子生徒から絶大な人気を誇っている――らしい――鈴木鈴音だ。シャンプーのCMに出演できそうな、キューティクル輝く長い黒髪を、後頭部でひとつに束ねている。
いかにも女っ気の無さそうな野球同好会の三人が、ズザザッと距離を取った。
拓人は、好機とばかりにテニスコートへ足を向けつつ、答える。
「いや、テニスやるわ」
少し離れた場所では、何やら女子がざわついている。なんやかんやで、拓人もそれなりに女子人気がある。顔が良ければ頭も良いし、スポーツも出来るとなれば、一定数の異性から好意が寄せられるのも必然だ。
そして拓人と鈴音のツーショットといえば、恋愛話の好きな女子からすれば、“お似合いカップル”の理想像として取り上げられるネタだったりする。女子ツートップの内のひとりである光が翔とイチャこらしているものだから、女子の興味が込められた熱い眼差しは、金髪イケメンと黒髪美少女へ向いているわけだ。
因みに翔と光が今の状態になる前は、女子の間では「東さんと空中君がくっつけばお似合いなのにね」と噂されていた。それも、景が光にドイツ語を教わっていた所を目撃した女子から広まった噂だとか、なんとか。
「そういやさ。準備体操の時、光さんの髪にでっかい菊の花が刺さってたけど、アレ何なんだ?」
「あれはね、天馬君から貰ったんだって。似合ってるって言われたからずっと刺してるらしいわよ」
「へぇ……」
何でよりによって菊なんだ、とは思ったが、拓人は口には出さなかった。翔の事だから考えるだけ無駄だと思ったのもあるが、気にしたところで時間の無駄だと思ったからだ。
テニスコートに着いてみると、翔は冬支度中の蟻の行列を眺めているし、光はそんな翔を眺めている。景はネットを挟んで、界と打ち合いをしていた。
「界君のフォームって、独特だよね」
「カッコイイでしょ! めっちゃ速く打てるよ!」
界はブンブンと、ラケットをバッティングフォームでスイングしている。ガットにヒットしたボールは、景の肩あたりを目掛けて、レーザービームの如く一直線に飛んでいる。当然、試合ならアウトだ。だが景は律儀に打ち返し、界と共に、ラリー的な何かを続けている。
「……界……何で野球に行かねーんだよ……」
げんなりと呟かれた拓人の声は、界がラケットでボールを殴りつける音に打ち消された。
結局のところ、野球選択者はというと――野球のルールを理解していない野球同好会が居る所為で、野球同好会の三人以外は居なかった。
帰宅し庭を歩いていると、翔から「呪詛返しでもしといて」と、五寸釘が見事に刺さった状態の藁人形を渡された拓人だが、呪詛の効力も何も持たない物体だという事しか確認できなかった。
「お前、自分で燃やしとけよ」
拓人がそう告げると、翔は「うん」とひと言返し、五寸釘ごと藁人形を炎で包み込んだ。ただ、その炎の威力が強すぎた所為で火の粉が舞い、庭の松の木に飛び移り、松脂効果で燃え上がり、針状の葉はパチパチと音を立てて弾けた。
夕飯時には、康成に叱られ、項垂れた翔の姿が目の前にあったのだが……これも、拓人にとっては日常の風景となっていた。
拓人は今日も心の中で呟く。
この家、よく燃えずに建ってるよな――と。
ここまで読んでくださり、誠に有り難うございますm(_ _)m
まだまだ続きますので、これからもお付き合いいただけると幸いです。
感想など頂けると、大変嬉しく思います。
タンゴのリズムでサンバを踊ります。
ただし、おぼろ豆腐並みのメンタルだったりしますので、お手柔らかにお願いいたします……!
ただの落書きですが、ダブリコンビを貼っておきます。
『ウサギ印の暗殺屋~13日の金曜日~』を読んで下さった方はご存じかと思いますが、あの謙冴の"優秀な養子"、景です(笑)
『三年間の我が儘』真っ最中です。
彼の進路については、言わずもがなですね。
二年後には、ああなっています。
景は一年大学へ行った後に、今の高校へ入学しています。
拓人は、前に進学していた高校をほぼ一年休んだ後に、今の高校を受け直しました。
二人とも、仲も良ければ頭も良いです。
景も、これからちょくちょく出てくるので、他のキャラクター共々宜しくお願いいたしますm(_ _)m




