第十二話『営業コンビと水神と』―1
鳥取県。
《P・Co》の鳥取支部は、山沿いの平地に約五百ヘクタール程の広さに設けられている。敷地内に、研究施設と工場があり、工場には一般人が多く働いているので、施設と工場の間は約二キロメートル離れており、更にコンクリートの壁と、鉄の門で区切られている。元々は本社として使用していた建物が、現在では電子工学や薬剤、生物有機化学などを研究する施設として使われている。
その施設の奥に、会社が所有している山がある。数年前までは野外訓練場として使われていたのだが、今では殆ど使用者はいない。
頭には、黒地に蛍光ピンクのラインが入ったキャップ。服はごちゃごちゃした模様が、様々な色で描かれたTシャツ。ズボンは左右の脚で模様が違うジーンズ。足元はラメの入ったスニーカー。すれ違えば二度見してしまう派手さだが、これが尚巳の標準的な私服の趣向だ。そんな格好で、尚巳は会社所有の山を登っていた。
尚巳が《P・Co》へ入社した時には、この山はもう使用されておらず、尚巳自身もここへ立ち入るのは初めての事だった。
「まぁ、おれの場合、訓練とかパスして入社してるしなぁ……」
ひとりごちる。返事はない。
尚巳は元々、《自化会》にいた人間だ。
色々あって、秀貴の紹介で《P・Co》へ試験入社した。元々、特徴のない一般的な容姿をしているので、潜入捜査には自信があった。どこへ行っても、それなりに馴染める。入社当時は「他組織の内部調査」くらいに思っていたし、自分から雅弥にもそう明かしていた。普通、自分から身分を明かすスパイもいないが。
ただ、秀貴からは「自分が居たいと思う方を選べば良いんじゃねぇか?」とひと言告げられている。そう伝えると、雅弥は喜んで――か、どうかは定かではないが――自分を受け入れてくれた。多分、尚巳が《P(自)・Co(分)》を選ぶ自信があったのだろう。
実際、《自化会》に不満があるわけではないが、居心地が良いのはこちら側だ。はっきりと答えを表明したわけではないので、疑われることもあるだろうが――。
尚巳はメッセンジャーバッグのショルダーストラップを握って、微かに残っている山道を登った。
その先に見えるのは、山小屋だ。登山道にある避難小屋のような、小さな小屋がぽつねんと存在している。
小屋の周りに落ちている茶色い毛皮を横目に見ながら、尚巳は小屋へ入った。
「元気かー? ホントにTHE・山籠もりって感じだなー」
声を掛けると、部屋の隅にあるガスコンロにかかった鍋をかき混ぜていた人物が、頭だけ振り向いた。
「誰か来たと思ったら、尚巳か……」
いつも通り、長い白髪をひとつに束ねている凌が鍋をかき混ぜながら呟く。服は営業時のスーツではなく、黒い無地のTシャツに黒いジャージのズボンを穿いている。
「おれで悪かったな」
「悪いとは言ってないだろ」
火を止める。
「表に落ちてたの、熊の毛皮か? えらいでかかったな」
「冬眠前で苛立ってたみたいで、襲われたから仕方なく。で、昼飯にしようと思って、皮を剥いだんだ」
「お前も、見た目に反してなかなか逞しいよな……」
流し台に乗っている肉の塊を視界の端に捉え、尚巳が口元を歪めた。
「そうそう、おにぎり買ってきたぞ。コンビニで。鮭とこんぶ。あと、湯銭しなくても食えるタイプのレトルトチーズハンバーグと、フリーズドライの味噌汁と、お茶。……ハンバーグは熊食ってりゃ、いらないかもだけどな……」
「さんきゅ。食材は調味料しか持って来てなかったから、助かる」
冷蔵庫の完備されていない小屋なので、凌は自前のクーラーボックスにおにぎりを仕舞った。
凌の使役する天后の能力さえあれば冷蔵庫など不要なので、凌は特に不自由はしていない様子だ。
「そうか、今日は水曜日か」
凌が呟くと、尚巳が頷く。
「そう。事務所が休みだから来たんだよ。ホント、このご時世に山籠もりなんて、ぶっ飛んでるっつーか、ワイルドっつーか……」
「数年前までは結構な人数が使ってたんだぞ? それこそ、恵未なんて、生身で熊を倒しまくって生態系崩しかけたらしいし。下山前には熊から貢物が届けられてたとかなんとかって、オレが入社した時には伝説が語られてたぞ」
「あいつホントに女かよ……マジ恐えよ……」
「アレでお前と同い年だもんな」
「忘れかけてたわ。そういやそうだった」
尚巳が苦笑いながら、バッグからペットボトルのお茶を取り出した。その場へ腰を下ろしながら、凌へ渡す。
「オレが入社前に訓練受けてた時も何度か死にかけたけど、それ以降は社長、無茶な訓練廃止したらしいな」
「おれの場合は訓練パスしてるから、その辺よく知らないんだよなぁー。話では色々聞いてるんだけどさ」
尚巳は自分用に買ってきた、グレープ味の炭酸飲料を取り出した。
「泰騎先輩と潤先輩の世代は結構無茶してたって、先生たちから色々聞いたけど。どこだかの国で、銃弾は飛び交うわ、空爆落ちてくるわって中で半年過ごしてきたとか」
「そういや前、泰騎先輩が、十二人いた同期が入社試験で半分に減ったって言ってたな」
「倖魅先輩は実戦より情報操作専門だから、野外での訓練はあまりしてないらしいけど」
「って、今回凌の先生は来てないのか? えっと、普段工作員やってる双子の……」
自分のペットボトルのキャップを開けながら、凌が「あぁ」と呟く。
「二人とも今はアメリカだって。ま、今回は訓練っていうか、オレ自身の最終点検って感じだし。そもそも、あの二人が居たら日曜までに身体治らないくらいボコボコにされそうだしな」
凌の顔が、少し陰った。そんな凌に構わず、尚巳は関心を持ったようで。
「へぇ……お前がボコボコにされるのか。ちょっと見てみたい」
「勘弁してくれよ」
眉間に皺を寄せて目を伏せる凌の背中を、尚巳が数回叩く。
「ははっ! よっぽど恐い先生なんだな!」
「お前、笑ってるけど、二対一でリンチだぞ? 尚巳は知らないかもだけど、オレの先生は二人とも泰騎先輩と潤先輩の先生してた人だからな」
笑っていた尚巳の表情が、瞬時に真顔に変わり、口角が不自然に吊り上った。
「マジか……」
「嘘言ってどうするんだよ。更に言うと、オレの前には恵未の教育係もやってたんだぞ? 化け物を生む化け物だよ」
凌の言葉に、尚巳の表情がモアイ像の如く、無になった。
今度は凌が尚巳の背中を軽く叩く。
「ところで、事務所の仕事は大丈夫か? 悪いな、部長のオレが抜けて」
「あ、あぁ。大丈夫だよ。後輩たちも頑張ってくれてるし。営業部は他に比べて人数も多いから、なんとかなってるよ」
「そうか」
凌は息を吐くと、手の中にあるペットボトルを眺めた。数秒の沈黙の後、
「もし、オレが死んだら……」
「そういう事は考えてない」
尚巳は凌の頭を小突くと、ペットボトルの蓋を開ける。プシッと音を立てて、二酸化炭素が飛び出した。




