第十一話『掃除屋の喫茶店』―5
竜忌の喫茶店がある商店街を抜けたところで、秀貴は後ろから声を掛けられた。
「拓人のおじちゃん! こんにちばんは!」
昼か夜か分からぬ挨拶を元気いっぱいされ、秀貴が振り返る。針金のような質感の黒髪が、目線の下側で揺れていた。太い眉に大きな釣り目。あと、笑みの端にチラつく八重歯。背は低めだ。翔よりも小さい。顔付きも、小学生のようだ。
この顔には、何度か会った事がある。何と言う名前だったか――珍しい名前だった気がする。確か……、
「界……君」
間違えていたら悪いな、と思いながら、呼んでみた。息子の友人なので、敬称も付けてみた。するとビンゴだったようで、剛毛少年は満面の笑みだ。
「わぁー! 覚えててくれたんだ! おじちゃんは目立つから、後ろ姿でもよく分かるね!」
まぁ、目立つだろうな。と、秀貴は胸中で頷く。ただ、実際にどういった返事をすればいいのかは思いつかず、無言だ。
すると、界は勝手に話し始めた。
「今日はね、拓人とテニスをしたんだよ! 拓人は何でも出来てスゴイね! サーブがね、ギューンって曲がるんだよ! 拓人、この前のスポーツテストでもトップだったし、勉強もいつも学年五番以内には入ってるし! あ、おれの順位は訊かないでね!」
えっへっへー。と笑う界に、秀貴は口元を緩めた。
「そうか。あいつと仲が良いんだな」
「何言ってんの? 友達なんだから、あったりまえじゃん!」
始終笑っている界の口元で、八重歯が輝く。
所謂、一般的な友人の居ない秀貴にとって、界のこの言動は異界のもののように思えた。
何か言おうと口を開くが、言葉が出てこない。結局、そのまま口を噤んだ。
「おじちゃん、どこか痛いの?」
無意識のうちに歪められていた自分の顔に気付き、秀貴は慌てて――感付かれぬよう――表情を緩める。
「いや……――」
短く息を吐き、出来るだけ顔を綻ばせ、どんな顔になっているかは分からないが、精一杯笑ってみた。
「拓人の事、宜しくな」
それだけ伝える。界の頭へ置きかけていた手を引っ込め、「じゃ」と言い残す。
「うん! またねー! ばいばーい!」
という元気な声を背中で受け止めながら、商店街から遠ざかった。
自宅はこの最寄り駅から、ふた駅行ったところにある。歩いて帰れない事もない。だが、秀貴の足は全く別方向へ向いていた。
俯き、眉間を右手の親指と人差し指で掴んで、小さく呻く。
「あー……、まだ目の奥がチカチカしやがる……」
指を放し、瞬きを数回繰り返してから再び歩き出した。
やはり、家とは反対の方向に。