第十一話『掃除屋の喫茶店』―3
雪乃が、玉露の入った湯呑みを秀貴の前へ置いた。
「秀貴さん、お疲れ様です」
秀貴は「あぁ」と短く返事をし、湯呑を手に取った。澄んだ緑が、白い湯気を立ち昇らせている。
「ところで、翔君は次の日曜日に決闘の申し込みがあったんでしょ?」
竜真が、離れた席に座っている翔に向かって少し声を張った。店内には現在、仕事事情の知れた人物しか居ない。なので、声を潜める必要もない。
竜真の言葉に、そんな事は聞いていない。と、拓人が翔を振り返った。雪乃は不安を滲ませた表情で、拓人の視線を追う。
竜忌はというと――
「へぇー。イマドキ決闘とかするんだー。応援とか要る? おれは行かないけどねー」
と、興味があるのかないのか、――おそらく後者だろう――カウンターに両肘を突いて顎を乗せた。
竜真の質問に、翔は「あぁ、秀貴から聞いたんだろうな」と当たりをつけた。光の白くて長い指を弄びながら、頷く。この件に関してはお馴染みとなった、プレゼントを待つ子どものような顔で。
「うん。わざわざ俺の事を殺しに来てくれるんだって。楽しみだよね」
「ほんっと、かけちゃんって変態だよねー。気持ち悪ーい。そろそろ本当に殺されちゃえば良いのに。そしたら、きっと世界も平和になるよー」
大きな独り言なのか、はたまた盛大にぶちまけたド直球の嫌味なのか。これも後者が正解だろう。竜忌は心底うんざりした様子で、豪快な溜め息を吐いた。
それに睨みを利かせたのは光で。
「竜忌君。アタシの前で翔を馬鹿にするのは利口じゃないわ。嫌いなら嫌いで良いけれど、もう少し言葉と態度を選んでみたらどうかしら」
元々目尻の上がっている目を更に上げ、竜忌に視線を突き刺した。
竜忌は少し太めの眉を寄せ、口元を歪める。
「光ちゃんったら、本気で怒らないでよ。冗談だよ、冗談」
半笑いを浮かべながら右手を大きく振り払った。
光は「あら、そうなの」と呟くと、視線を自分の手元――翔の手元へと戻した。頬を赤く染めて満足げな彼女の姿に、横槍を入れる事が出来る者は居ない。
そんな様子を視界の隅の隅で捉えながら、秀貴は嘆息した。
「正面きって来るとは思わなかったが……。まぁ、予想通りの展開だな。ただ、あいつらのアレは、予想外だ」
“アレ”とは、翔と光の今の状態の事だ。
それに同意したのは竜忌だ。秀貴の両手をがっしりと握りしめ、早口で捲し立てる。
「秀さん、気が合うね。おれも同じ気持ちだよ。まさか、かけちゃんみたいに顔が中の中で、破壊神で疫病神で爆発王で好物ミミズと虫な怪物が、あんな超絶美少女と手を捏ね繰り回す日が来るなんて。世も末だね。世紀末だね。地球は終わっちゃうんじゃないかな。だからお義父さん、息子さんを僕にください」
秀貴はいつもの気怠そうな顔で竜忌を見返した。手を振り払って。
「誰がお義父さんだ。これ以上ウチに金髪はいらねぇ。そのホクロ、毟り取って鳥の餌にすんぞ」
「え、何なの? 父子揃って、金髪に恨みでもあるの? 黒髪に染めれば受け入れて貰えるの? それならお易い御用だよ? 三十分くらいで髪の毛染めて来るよ?」
「因みにオレは、黒髪ストレートでロングヘアの女の人が好きだ」
拓人のぶっきらぼうな呟きに、金髪癖毛でショートヘアの男である竜忌が石化した。拓人にとってはいつもの事なので、特に気に留める事もない。石化した竜忌は声もなく涙を流したが、それも気にされる事はなかった。
実の父親でさえ見て見ぬ振りをして、話題を変えた。
「ところでさ。翔君と決闘する子って、強いの?」
「まぁ、それなりに。つっても俺ぁ只の伝達係だし、当日はその場に居ねぇし、中立だから余計な情報提供はしねぇよ」
秀貴はやはり気怠そうな顔で、玉露を啜った。
竜真は苦笑を返す。
「君は相変わらずだね」
「あれ? 決闘って、ガチのヤツ? 光ちゃんのファンクラブの男子が、かけちゃんに喧嘩売ってきたとかじゃなくて?」
石化の解けた竜忌が、秀貴の顔を覗き込んだ。
秀貴は無言で竜忌の顔面を押し返す。
秀貴とは視線を合わせず、素っ気無く拓人が言った。
「オレも初耳なんだけど」
拓人と視線を交わさず、秀貴がいつも通りの無愛想さで答える。
「今朝決まったからな」
「ちょっと君たち、険悪過ぎて見てられないんだけど」
堪らず竜真が口を挟むが、二人の態度が改まる事もない。秀貴と拓人の間に挟まれている竜忌は、いつもの事だと慣れた様子で、秀貴に話題を振った。
「秀さんが伝達係って事は、平和会社さんの人? どこの部門の人? 製薬部?」
秀貴は、これくらいの情報なら知らせても差し障りがないと判断し、答える。
「ウサギの絵の服作ってるトコだよ。営業部長やってんだ。何年か前、《自化会》が管理する施設に数か月間居……――、あー、まぁ、そんな奴だ」
「ウチの施設から出てって、無事ってだけで驚きだな。親父なら、すぐ殺しそうなもんなのにな」
竜忌の奥で、拓人が湯呑みを揺らしながら言った。視線の先は湯呑みの中だ。
「拓人君、秀貴君はさ……――」
「竜真さん」
秀貴に睨まれ、竜真はやれやれと肩を竦めて見せた。
「あぁ、はいはい。君も大概、面倒臭い性格をしてるよね」
無言で渋面を向けられ、竜真が苦笑する。
「でもこれだけは言わせて。拓人君。秀貴君は、そんなに簡単に人を殺したりなんかしないよ」
竜真に反論しようとしたのか――拓人が口を開きかけたと同時に、秀貴が席を立った。椅子と床の擦れる音に遮られ、拓人が再び口を閉じる。
秀貴は相変わらず不機嫌そうだが、竜真は「言っちゃった」と、悪戯がばれた子どものような笑みを秀貴へ向けた。
秀貴は嘆息と共に、袖の中から取り出した厚み五ミリ程の茶封筒をカウンターへ置いた。
「今回の竜真さんの分。ここの飲み代も入ってっから」
「うん。有り難う。また明日。あ、携帯電話買ったら教えてね」
既に店の入り口付近まで歩いていた秀貴は、背を向けたまま右手を振って、出て行った。
水浅葱色の羽織の背中を見届け、竜忌が意外そうな声を上げる。
「へぇ。秀さん、携帯持つの?」
「うん。体の調子が結構いいみたいでさ。ガラケーなら持っても問題ないだろうってね」
「どうせ一週間でぶっ壊すに決まってんだから、持たなくていいのにな」
「また、拓人君はそういう……」
呆れも含んだ困り顔で、竜真は溜め息を吐き出した。
ただ、今回拓人は反論せず、代わりに小さく唸った。
「オレだって、親父のあの極端な体質には同情してるんですよ。でも、気に入らないものは気に入らないんだから仕方がないです。あいつの所為で、一体何人死んだことか」
「うーん。それはそうだけど、人を殺してお金を貰っているのは君も一緒なわけだし。それに、翔君もなかなか盛大にやらかしちゃってるし……。うぅん。まぁ、世の中もっと悪い人はいっぱい居るからさ。僕にとっては、秀貴君も拓人君も翔君も、同列で可愛いものだよ」
「何のフォローですか。ま、オレも竜真さんみたいだったら、もっと家族円満だったのかもしれませんけど」
拓人ははにかみながら、湯呑を口へ付ける。
“家族”つっても、今はオレと親父の二人だけなんだけどな。そんな言葉が喉元まで出掛ったが、もう冷めてしまった玉露と共に飲み込んだ。