第十一話『掃除屋の喫茶店』―1
翔と光がなんやかんや喋っていると、六限目終了のチャイムが鳴った。
少しして拓人と界と鈴音の三人が、保健室の扉を開いた。
保健室にいる二人の様子を見て、鈴音がにんまり笑う。「言った通りでしょ」といった意味の込められた視線を向けると、光はそっぽを向いた。
そんな女子二人の視線の間に、界が割りこんだ。
「光ちゃん大丈夫!? 頭打ったりしなかった!?」
「大丈夫よ。界君、ありがとう」
爽やかさを帯びた笑顔で言われ、界が後ずさる。拓人を振り返ると、彼の服の裾を思い切り引っ張った。
「大変だよ! 光ちゃんがニコニコしてる! 病院に連れて行かなきゃ!」
「それより、オレの服を引っ張んなよ。破れるだろ」
「『それより』って何!? 一大事だよ!?」
慌てふためく界を引き剥がしながら、拓人が翔の様子を伺った。本当に頭を打っておかしくなったのだとすれば、翔の顔色を見れば分かる。
だが、彼はいつもと変わらない。というより、いつもより穏やかだ。
「へぇ。随分仲良くなれたんだな」
拓人が呟くと、翔は頭を縦に振った。
「顔を真っ赤にしてヒィヒィ言う光、可愛くて俺は好きだったんだよね」
突拍子のない言葉だった。文法はめちゃくちゃだし、何が言いたいのかさっぱり分からない。いつもの事だが、告げられた内容と、言葉選びが酷いものだ。
翔が光の事を呼び捨てにしている事など、拓人以外は気付いていなかった。
場の空気が数秒間停止した。
光は――決して嬉しいわけではない――真っ赤な顔を掛布団に埋めた。それに対し、翔が眉間を狭める。
「また顔隠した」
「ごめん。ちょっと待って……。言い方がアレっていうか……誤解されるっていうか……」
光の言葉に、拓人がスマートフォンの画面上を滑らせていた指を止めた。
「あ、悪い。人気のない保健室、っつーシチュエーションであんな事言うから。今夜は康成さんに赤飯頼まなきゃいけないのかと思った」
「ほんと止めて。拓人君、スマホしまって」
額を押さえたまま、拓人を制止する。拓人は「冗談、冗談」と、メールを打とうとしていたスマートフォンをズボンのポケットに戻した。
翔が首を傾げて、目をぱちくりさせた。
「あれ? 拓人は可愛い光のこと知ってるの?」
拓人が、眉を眉間に寄せる。小首を傾げて、疑問符を浮かべた。
「可愛い……? いや、お前の言ってる事はよく分かんねーけど。光さん、気ぃ張るの止めたんだな、って。まぁ、女の子が頑張って男に好かれようと努力してるんだから、オレとしてはそっちの方が微笑ましかったっつーか……。笑いそうになったら怒った振りするトコとか。それが逆効果だって伝えるのも気が引けて出来なかったから、今のふたりの様子見て安心したっつーか、なぁ……」
拓人の言葉に、光はぽっかり開いた口が閉じられない。完璧に図星だ。なんと察しのいい事か。それには感心したが――光はぽつりと呟いた。
「アタシの事には気付けて、秀貴さんの事には気付けないなんて……呆れた息子だわ……」
あまりに小さかった声は、少し離れている拓人には届かなかった。
界は状況が分からず、頭上に疑問符を浮かべている。
鈴音は拓人に、感嘆の眼差しを向けた。
「流石、成山君……」
「えぇー? 拓人、おれにも! おれにも分かるように説明して!」
「あー、つまり……光さんは恐い人のフリをしてただけで、本当はそんな事ない。って事だよ」
光の努力と自尊心を傷つけないように。かなり無理矢理言葉を選んだのだが、界に理解して貰う為にはこのくらい噛み砕かないと駄目だ。界は、翔よりも理解力がないのだから。
「そうなんだー! 光ちゃんってば、ニコニコの方が可愛いよー!」
「え……あ、ありがとう……」
光にとっては全てを理解されない方が幸せなので、取り敢えずは拓人の説明に頷く。
「ところで、成山君はそこまで理解してて、光のこと何とも思わないの? 光って、結構な美人だし。一緒に住んでたら、いくら友達の婚約者っていっても気持ちが揺らぎそうなものだと思うんだけど」
鈴音の言い分に、拓人は少し考える素振りを見せて、控えめな唸り声を漏らした。
「そういうもんかな? うん。まぁ、そうなのかも知れねぇけど……、オレは人と付き合うとか、今はちょっと考えられないっていうか……」
憂いを帯びた横顔に、鈴音が口を噤む。そんな鈴音の気配を感じ取った拓人が、笑顔を向けた。
「美人っていうなら、鈴木さんもだろ。光さんとふたり揃ってファンクラブっぽいのあるくらいだし。鈴木さんの髪、凄く綺麗だしさ。オレはこんな髪だから、黒い髪の女の人が好きなんだよなー」
鈴木鈴音は、別の意味で言葉を失った。顔を褒められた事は幾度もあったが、髪を褒められることはとても少ないからだ。いつも、重いし暑苦しいから切れだの、染めろだのと言われる。髪にかける手入れの苦労を労われた気がして、鈴音は素直に嬉しかった。
嬉しかったが、ひとつだけ忠告を。
「成山君、付き合うつもりがないなら、そういう事を女の子に向かって言っちゃ駄目だよ」
その気になっちゃうでしょ。という呟きは、胸中に留めて。




