第九話『昔馴染みと依頼』―4
(『ちょっと反抗期で人を殺す』なんて、有り得ない理由を受け入れてる自分が、一番有り得ない)
くつくつと喉を鳴らし、自嘲する。
「凌? 大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込んでくる雅弥をやんわり押し戻しながら、凌は――営業のそれとは違う――笑みを返した。
「大丈夫です。ただ少し準備がしたいので、時間を貰っても良いですか?」
「え、あ……うん……。どれくらい必要かな?」
取り敢えずの安堵で、雅弥は胸を撫で下ろす。
「一週間、有給でなくても良いので」
「分かった。四日間くらい、有給使ってよ。向こうには僕から言っておくから」
と、ある疑問が凌の脳に浮かんだ。
「ところで、社長はオレの父親の仇、最初から知っていたんですか?」
雅弥が、顔を硬直させた。
「や、あの……最初は、あの子の被害者だって知らなかったんだよ。本当に。凌には『才能有りそうな子だな』って、僕のスカウトセンサーが反応したから近付いただけなんだ。……後々調べてからこの事を知って、ちょっと頭抱えたけど……。ホント、ごめんね」
申し訳なさそうに下を向く雅弥の手を取り、凌は再度微笑んだ。
「いいえ。社長が謝る事、ないですよ。初めて会ったあの時、あんなドヤ顔で現れておいて、『知らなかった』っていうのには少し驚きましたが」
遠回しな嫌味とも受け取れる物言いだ。しかし、雅弥は嫌な顔ひとつしない。
雅弥の場合、嫌味を言われたとしても、嫌味だと気付かないのだが。
「ドヤ顔……僕、そんなにドヤっとしてたかな……」
雅弥が小首を傾げるのを無視し、凌が続ける。
「結果的に、オレはここへ来て、良かったです。失ったものもありますけど、得たものの方が大きいですから」
「凌……」
雅弥が涙ぐんで感動に浸っていると、凌の手に力が込められた。
「社長の長所は優しいところで、短所は甘いところですね」
笑顔でずばり言い当てられ、雅弥の表情が引き攣る。
がくりと肩が落ちた。
「うぅ……つい一昨日も謙冴に同じこと言われたばっかり……」
「世界的に見ても、業界のトップに立つ人物にアスペルガー率が高い理由は、その非情さ故だと、オレは営業書で読みましたよ?」
「え……もしかして、僕って頼りない?」
三十代後半の、大の大人が人前で半ベソをかいているのだ。傍から見たら、相当頼りない。
だが、凌は首は振らずに雅弥の手を握り直した。
「そんな社長だから、オレはここに居るんですよ。ここに居る皆、同じ思いです」
手を凌に握られたまま、雅弥が周りを見渡す。
そんな社長に、事務所の面々は――
「社長は、無理して非情ぶらんでもええんよ」
「だよねー。非情さが必要な時は、謙冴さんの出番だし」
「社長が無理してると、見てるこっちが辛いのよねー」
「おれも、社長のそういう人間らしいトコ、好きですよ」
「みんなぁ……」
目に涙を溜めて、雅弥が表情を明るくする。
ちらりと、ある人物に目を向けた。この中で、唯一笑っていない赤い眼に。
「で、潤はなんて言ってくれるの?」
期待に満ちた眼差しを向けられ、潤はルビーのように赤い瞳を閉じた。
「俺は、社長についていくだけですから」
「うん……いつもと変わらない言葉を有り難う……」
少し残念そうにしている雅弥の隣に、ニヤニヤしながら倖魅が近付いた。
「社長もさぁー、もういい歳なんだから、いっそ潤ちゃんをお嫁さんにしちゃったら? ほら、パートナーシップ法も出来た事だし」
その提案に、潤の相方である泰騎が倖魅を睨んだ。
倖魅は、変わらず口角を上げて泰騎を見返す。
そんな二人の無言のやりとりに、雅弥は気まずそうに肩を竦めた。
「いやぁ、僕も潤の事は好きだけど、潤とは歳も親子くらい離れてるし……」
「えぇー? 潤ちゃん、こんなに献身的なのに? 潤ちゃんはぁー? 社長のお嫁さん」
「絶対にならない」
潤の即答に、その場の空気が数秒止まった。
脇で通りもんの包装をはぎ取っていた恵未と尚巳すら、固まっている。
倖魅が青ざめて一歩よろめいた。
「潤ちゃんが……初めて社長を拒絶した……」
「うぅ……そんなに即行で完全否定されると、ちょっと落ち込む……」
『ちょっと』とは思えない落ち込み具合の雅弥だ。
それに対し、潤は小さく嘆息した。
「この程度で落ち込まないで下さい。社長が嫌いで言っているわけではないです。使用人としてならそのお話、喜んでお受けします」
倖魅が、表情筋を痙攣させた。
「潤ちゃんの社長信仰甘く見てた……。そうだよね……。神と崇める相手と結婚なんて、潤ちゃんがする筈ない……」
「僕、只の人間だし! 半身神様の潤を使用人になんて出来ないよ! 勿体ない!」
「いや、『勿体ない』って……」
泰騎のツッコミは、小さすぎて空しく消えた。
すすすと近付き、倖魅は泰騎の肩を抱いて大きな溜め息を吐き出す。
「あーあ、社長と潤ちゃんがくっつけば、恵未ちゃんはすぐにでもボクのトコ来てくれると思ったんだけどなぁー……。良かったね、泰ちゃん」
「え? 何の事かなぁ、倖ちゃん?」
にっこり笑って、泰騎は倖魅の肩を抱き返す。
小声で何か話しているが、二人以外には聞こえない。
「泰騎先輩と倖魅って、ホント仲が良いわね」
通りもんを口へ運びながら、恵未が呟いた。




