第九話『昔馴染みと依頼』―3
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《P×P》の事務所は《P・Co》の特務員のみが所属していて、《P・Co》内での位置付けは“ファッション部門”という扱いになっている。
専門の店舗は有しておらず、セレクトショップに商品を委託販売して貰う――という形式を取っている。
例外はあるが、通常は土曜、日曜と水曜日が定休日だ。
週始めの月曜日。《P×P》に所属する社員は、九時に出勤し、会議室で朝礼を行ってから各々の部署へと散っていく。
だが、今日は違った。
朝礼中、いつもは居ない人物が、小ぶりな段ボールを抱えて現れたのだ。
彼は「朝礼が終わったら一人二個ずつ、好きなのを取っていってね」とおにぎりの入った段ボールを中央のテーブルへ置いてから、肩を回した。
そして、上位者――俗に言う“幹部”六人にはこう言った。
「大事な話があるから、所長室に集まって」
“所長室”というのは、《P×P》の幹部が集まる部屋の事だ。
主に、各々の部署で仕事を済ませたメンバーが、報告書を書くのに集まる。
日によって違うが、所長の泰騎と副所長の潤、あとは部署での仕事を終えた倖魅が個人的な仕事をしている。
暇になると恵未が現れ、客とのアポイントが無ければ凌や尚巳がやってくる。
そんな場所である。
《P×Co》の社長である雅弥は、先程の段ボールとは別に手土産を持って所長室へ現れた。
いつものように、頭からつま先まで黒尽くめのスーツ姿だ。
「はい、一昨日言ってた、明太子と通りもんだよ。この事務所って、炊飯器あったよね? 僕の一押し米の“もりのくまさん”も持ってきたから、近い内に皆で食べてね」
「有り難うございます!」
尚巳が頭を下げて紙袋を二つ受け取ると、雅弥も「喜んで貰えて嬉しいよ」と笑った。
堪えることなく、大口を開けてあくびを終えた泰騎が、涙目で首元を掻いている。
「そんで、大事な話って何?」
泰騎が訊くと、雅弥は一度目を泳がせた。
「すっごく、言いにくい事なんだけど……。隠し事とか嫌だから、ここの皆には聞いて貰いたくてね」
黙って言葉を聞く一同に、雅弥は目を向ける。
「ある人物の家庭教師に、潤を二週間貸してって、指名されてね」
あからさまに嫌そうな顔をした人物が三人。
泰騎は険しい顔を一瞬雅弥へ向けた後、叫んだ。
「二週間!? 潤がおらん間、誰が事業報告書やらの諸々の書類をまとめるん? 他部門との電話のやり取りとかも、ワシはせんよ!」
「潤ちゃん居ないなんて困る! 誰が泰ちゃんの見張りするの!? 泰ちゃんって、見張ってないと夕方からキャバクラとかゲイバー行っちゃうんだよ?! 言っとくけど、僕はこれ以上、手が回らないからね!」
「やだー! 潤先輩が居ないなら、私も会社休むー!」
泰騎、倖魅、恵未は各々叫びまくっている。
当の本人――潤は、いつもと変わらぬ表情で口を開いた。
「社長が『やれ』と言うなら、俺はやります」
「あ、うん。潤は絶対そう言ってくれると思ったんだ……けど……」
雅弥の抱えている不安要素は、別にある。
雅弥は、深く息を吐いてから凌へ顔を向けた。
「凌、ちょっと……気を落ち着かせて、聴いて欲しいんだけど」
周りの喧騒を余所にきょとんと突っ立っていた凌の元へ歩き、両肩に手を置いた。雅弥はトーンを落として声を出す。
「その家庭教師をする相手が、君のお父さんを殺した人物なんだ……」
瞬間、比喩ではなく文字通り、その場の空気が凍りついた。
「あぁっ! だから落ち着いてって言ったのに!」
凌の肩から両手を離して叫ぶ雅弥に、「いや、流石にこれは落ち着けないでしょ」と、倖魅の冷静なツッコミが見舞われた。
周りが凍りついたのは、凌の使役する式神である、天后――とても美しい女性の姿をした式神――の能力の一部だ。
無意識に感情と連動して、作動したらしい。
「潤先輩が冬眠しかかってるから、取り敢えず天后しまって静まれよ」
尚巳に肩を叩かれ、凌が「あ」と声を漏らした。
「すみません……つい……」
眉を下げて詫びる凌に、潤は首を横に振った。
「……無理もない。気にするな」
潤は言うが、くっついて彼の体を温めている恵未は鋭い目つきで凌を睨んだ。
「潤先輩を凍死させたら、私があんたを殺すから」
控えめに「いや、冬眠はしても凍死はせんから」と言葉を突いたのは泰騎だ。
恵未の言葉を聞いた凌は「そうか」と顔を上げた。
「オレがそいつをすぐにでも殺せば、潤先輩が家庭教師をする必要もなくなるってわけですね?」
「え……」
凌の提案に、雅弥は瞬きを繰り返した。
「あの……ちょっと待って、凌……」
「そもそも、オレがこの組織に入った当初の目的は、そいつを殺す事でしたし。ですよね、社長?」
抜群の営業スマイルを向けられ、雅弥は表情を引き攣らせた。
(あぁ……怒ってる……)
「ちょっと凌ちゃん、依頼がないのに人を殺しちゃダメだよ」
倖魅が、雅弥との間に割って入る。
凌は依然営業スマイルを維持して、一枚の書類を取り出した。
閃光の如き速さで紙にペンを滑らせ、書き終えた紙を倖魅へ突き出した。
「オレが依頼主で、オレに依頼するんで」
「あ、それなら良いよー。頑張ってね」
あっさり書類を受け取り、OKを出す倖魅。それに対し、雅弥が血相を変えて叫ぶ。
「良くないよ! 待って! ごめん! 凌のお父さんを殺した相手を黙ってた事も謝るから、ちょっと待って!! 色々理由があって……」
体にしがみついてくる雅弥を一瞥し、凌は嘆息した。
怒りが吹き飛ぶほどの呆れを感じさせられた。
自分より一回り以上年上のこの男に、苦笑が零れる。
一度息を吐き、凌は雅弥に向かって口元を緩めた。
「父の仇を黙っていた事に関しては、もういいです。只、知ってしまった以上はオレにも意地がありますから。けじめだけはつけておかないと。今後の業務に支障が出ます」
凌の言葉を聞き、雅弥は凌の体から離れた。
「うん。ごめんね。決して、凌の実力を蔑視しているわけじゃないんだ。でもね、相手は凄く危険なんだよ。無意識に自分の父親を跡形もなく消しちゃうような子なんだ」
「『子』……? 子供なんですか?」
凌が怪訝そうに眉を眉間に寄せた。
「凌と同い年の子だよ。当時は中学二年……いや、一年生だったかな……。ちょっと、反抗期だったみたいで」
凌の顔が、更に顰められる。
「『ちょっと反抗期』って、そんな理由でオレの家庭は崩壊したんですか……」
以前の自分なら激怒していたであろう理由だが、怒りよりも呆れの方が勝っている自分に、凌は内心舌打ちした。
(怒りの風化……っていうより、オレの死に対する認識が、その程度になったのか……それとも……)
《P・Co》に世話になり始めた頃は、こんなんじゃなかった。
人を助けて。
人を殺して。
人が死んで。
それでも笑ってる。
そんな様子を見ては、違和感ばかりを感じていた。
会社の在り方に反発したこともあった。
だが、今、自分は此処に居る。
血反吐を吐いて、死にかけても。
この、矛盾だらけの世界に居ることを、自分で選んだ。
それが、事実であり過去であり現在だ。