第九話『昔馴染みと依頼』―2
「よぉ、久し振りだな」
『その声……秀貴? わぁー! 電話有り難う! 手紙、読んでくれた?』
電話口から聞こえてきたのは、跳ねるように元気な声だった。
「読んだからわざわざ電話したんだ。で? 《P・Co》の社長さんが朝っぱらから何の用だ?」
秀貴が応えると同時に、ボトリと林檎が床へ落ちた。
翔と髪色だけ違う顔が、間抜けに口を開けている。
「雅弥……さん?」
深叉冴が顔を引き攣らせた。
『あれ? なんか聞こえたけど、他に誰か居るの?』
「あぁ、深叉冴が居るぞ? このスマホ、深叉冴のだからな。不思議じゃねぇだろ。今、《自化会》の会長室に居んだから」
電話口で、声が一瞬消えた。
『……うぅん……聞きたいことは沢山あるし、不思議もいっぱいなんだけど……またの機会にするとして、お宅の会長は、そこに居るのかな?』
「居ない」
『そう。別に聞かれても良いし、近い内にこっちからちゃんと言おうとは思ってる事なんだけど……』
電話の向こうから、息を吸う音が聞こえる。
『この前ウチの子が、お宅に迷惑かけたからさ。色々調べて来たんだ』
「お前んトコとウチは一応、停戦状態維持してたのになぁ。こっちは、お前んトコのガキが余計なことしてくれたお陰で、面倒臭いことになってんだよ」
『デスヨネ。知ってる。ごめんね。僕とお宅の会長の経歴見ちゃった特務員が先走っちゃって。ほら、僕って社員から愛されてるから』
「で?」
早口で紡がれる雅弥の自慢をスルーし、秀貴は話を促した。
電話の向こう側から聞こえる声も、スルーに関してはあまり気にしていないようだ。
いつもの事なのだろう。
『うん。福岡に、《天神と虎》っていう組織があってね。ここ近年、色んな組織を傘下に入れたり潰したりして大きくなってるんだ。で、次のターゲットがお宅だって小耳に挟んだから、実際に行ってきて調べてみたんだよね。そしたらビンゴでさ』
質問した本人は、内容に対する興味が薄いのか、溜め息のような声を出した。
「へぇ……」
『まぁ、秀貴がいれば問題ないだろうけど』
「いや、俺はいつもはいねぇし」
秀貴の突っぱねる様な口振りに、電話口の声が焦りを見せる。
『え……いや、そうだろうけどさ……』
「それに、組織間のいざこざには、俺は関与しねぇんだ」
『それも知ってるけど……待ってよ。《天神と虎》って、結構ヤバくて大きいんだよ? 何がヤバいって――』
「どのくらい強いんだよ」
特に興味もなさそうに、秀貴が訊いた。
『……ウチよりは弱いよ。でも人数が大体、三百人いるんだよ? 秀貴なら本気出せば、一時間もあれば終わるのに……』
「その人数聞いたら、千晶が喜んで機関銃ぶっ放しそうだ」
無感動に、秀貴が呟いた。電話口から、雅弥の溜め息が聞こえる。
『そうは言うけどさ、人数が多すぎるよ。逆にお宅は、今は実戦要員少なすぎるしさ』
秀貴は少し考えると、「確かになぁ」と声を漏らした。
(実際、俺も今は不安要素を相手にしてるしな……)
胸中で嘆息する。
ふと、秀貴はある事を思い出した。
「そうだ。お前んトコのお蛇様、一ヶ月貸してくんねぇ?」
数秒、沈黙が流れた。
『何? 突然……。いくら秀貴の頼みでも、それは聞けないなぁ』
「んじゃ二週間で良い」
『期間の問題でもないんだけど……あと、僕の大事な弟をモノ扱いしないでくれる?』
「実の弟を殺そうとしてた奴が何言ってんだ」
『それはそれ、これはこれ。まぁ、潤の身の安全の保障さえしてくれれば……二週間くらいなら……あぁ、でも二週間か……フルでは無理かな。ウチの特務員、事務所の仕事は彼が居ないと回らないし。あと、潤じゃなくて、その周りが許してくれるかなぁ……』
「何とかしろよ。そうしたら、俺もそっちの協力要請受けれるように根回ししてやっから」
『うーん、相変わらずの無茶振りだね。分かった。頑張ってみる。けど……期待はしないでね。で、潤に何させる気? 人体実験とか言ったら、冗談抜きで総力を挙げて殺しに行くよ? 秀貴も知ってるでしょ? 何年か前にウチの社内で問題になったの。君から腹話術習ってた、もうひとりの弟が暴れて大変だったんだから』
「ありゃ完璧にお前の監督不行き届きだろ。俺が頼みたいのは、家庭教師だよ。深叉冴の息子の。とんでもねぇ不器用さで、俺じゃ手に負えねんだわ」
無言で林檎をかじり続けている深叉冴が、半眼で眉根を寄せる。
林檎飴の飴部分が、ガリガリ音を立てて削られている。
電話の向こうで、雅弥が『あー』と声を上げた。
『噂だけは聞いてるよ。反抗期の爆発は相当凄かったって。それで、深叉冴君も蒸発したんだよね?』
「あぁ。ものの見事にな。で、それを止めなきゃ使いもんにならねぇからな」
『う、ぅん……? 深叉冴君の事はまた今度聞かせて。家庭教師の件、わかったけど……益々難しい要望だなぁ……。ちょっと面倒臭い事になるかも。ホント、秀貴はいっつも無茶ばっか言うなぁ……。うん、返事はまた今度ね。あとさ、いい加減に携帯電話くらい持ってほしいんだけど……あ、僕からプレゼントしようか?』
「いらね」
『残念。じゃあね。一週間以内にはまた連絡するよ』
「あいよ」
プツンと通話が切れると同時に、深叉冴が秀貴の胸倉を掴み上げた。
ベタベタの手で着物を触られ、秀貴が眉間に皺を作る。
「んだよ。いつも言ってっけど、俺は肩書きだけはここの副会長だけど、基本的には単独で中立……」
「翔は! 不器用ではない!」
「は?」
予想していた内容と違う怒りをぶつけられ、秀貴が目を丸くした。
「ちょっとコツを掴むのが苦手なだけだ!」
「……それを一般的に不器用っつーんだよ」
秀貴は半眼でツッコみ、襟元を正した。
深叉冴は、ふんと鼻を鳴らして、じっとりと秀貴を睨んだ。
溜め息をひとつ。
「ヒデが雅弥さんと仲良しなのは、別に構わぬよ。《P・Co》とは、儂もなるべく争いたくはない。ウチには康成もいるからな」
「そういや、康成の弟は夏休み中《P・Co》の製薬部にインターンしてたらしいぞ」
「あぁ、景君か。彼はとても頭が良いんだ」
秀貴が、借りていたスマートフォンを深叉冴へ差し出す。
「あー、そうだ。深叉冴、翔が殺されるかもしんねぇけど、怒るなよ?」
「は?」
秀貴の言葉の真意が分からず、深叉冴は怪訝な表情を向ける。
「怒るなと言われても、殺されれば儂は怒るぞ? まぁ、翔を殺すことが出来る人物がいるなら、会ってみたいものだがな」
「そうか」
「そういえば。さっき言っていた潤君とは、昔雅弥さんが引き取った、元騰蛇血清被検体だろう? 雅弥さんが大層可愛がっているという話は以前、秀貴から聞いていたし知っておる」
スマートフォンに保存されている翔の写真データを眺めながら、深叉冴が呟いた。
「その潤君が、翔を殺すと?」
「いや。潤は雅弥に言われなきゃ、んな事しねぇよ」
「……じゃあ誰が」
「お前も知ってる奴だよ」
秀貴は、さっき掴まれた胸元の染みを見つめた。
飴の欠片を取り払うと、深叉冴に向き直る。
「ところで、二つ折りの携帯ってまだ売ってんのか? スライド式でも構わねぇよ」
「フィーチャーフォンなら、この前店で見かけたぞ。今度カタログを持って帰ってきてやろう」
「頼むわ」
外の雨は上がっていた。
空気は微かに冷気を帯びたまま。
雲の隙間から陽が射し込み、見事な光のカーテンが天から広がって、街を照らしていた。




