第九話『昔馴染みと依頼』―1
ここ数日、十月にしては異例の暑さだったが、今日は朝から涼しい。
朝の八時半。月曜日だというのに、外では小雨が降っている。
《自然と化学の共存を促進する会》――略して《自化会》―の会長室。秀貴は、テーブルを挟んで向かいに座っている友人に眉根を寄せていた。
「何だ……そのチョコにまみれた林檎の山は……」
深叉冴の腕の中には、アルミ製のバケツ容器に詰められた林檎チョコ――丸ごとの林檎に竹串を刺し、チョコで林檎をコーティングしたもの――がゴロゴロと不規則に収まっている。
口の周りをチョコでベタベタにしている深叉冴が、幸せそうに答えた。
「この前、儂が大事に仕舞っておいた林檎チョコを、臣弥が食いおってな! 買って寄越させたんだ! 見ろ、林檎飴もサービスして十三本用意してくれてな! 数日に分けて食っておるのだ!」
「唾飛ばすなよ。チョコと林檎汁が一緒に飛んで来るから……」
飛んでくる茶色い唾を避けながら、秀貴が眉間の皺を深くした。
生前の姿とはかなり変わった風貌になった今の深叉冴の姿にも、幾分慣れてきた。
「お前は死んでも変わんねぇな。ってか、悪魔? になったんだから、別に食わなくても平気なんだろ?」
「栄養バランスは考えなくても良くなったが、人間の時の習慣でな。食い物を見ると何となく腹が減るのだ。あと、味覚もそのままだから、美味いものは美味い」
「へぇ、そういうもんか……」
秀貴は、見ているだけで胸焼けを起こしそうなチョコから目を逸らした。
「そういえば、ヒデが何処へも行かず何日もこの建物内に居るとは珍しいな。自宅へは帰らないのか?」
「あぁ。行き来が面倒臭ぇから、ここに泊まってる。名前だけだけど、一応はガキ共の面倒頼まれてるしな。特にお前んトコのガキが一番問題だ」
「何をぅー? ウチの翔は超絶可愛いぞ! 最近は笑うようにもなったんだぞ!」
飛んでくる唾の量が倍に増えた。
「相変わらず最上級の親馬鹿だな……。あいつの場合、性格っつーか、性質も問題だな」
「は?」
林檎の欠片が、深叉冴の口からこぼれ落ちた。
「あいつ……翔、いつからあんなドMになったんだ?」
深叉冴の口から、唾液もこぼれ落ちた。
秀貴が続ける。
「昨日は自分の腕に穴ぁ開けるし。この前も、すげぇ嬉しそうに串刺しになってたしな。やたら怪我したがるのも含めて、多分、本人も無意識だ」
「とは言っても、儂も死んでいたからな……よく言う『あの世からお父さんが見守ってるわよ。うふふ』とか出来る状況でもなかったしのう……」
深叉冴は、シャリと音を立てて、林檎をかじった。
深叉冴の足元にあるゴミ箱には、林檎に刺さっていた串が既に数本放り込まれている。
「ドMというか、痛みを感じるのが嬉しいといった感じじゃないか? ずっと“痛い”事を知らずに生きてきたからな」
「いや。それぁもう、紛うことなき立派なドMだよ。まぁ、見た感じドSそうなあの嫁さんとは、相性良いのかもしんねぇけど」
秀貴の言葉を、深叉冴は目をぱちくりさせて聞いていた。
「ヒデ。お前、一体誰の話をしておるのだ?」
本気で理解できていない様子で、深叉冴が林檎を噛み砕きながら首を傾げている。
が、すぐににんまりと笑い、肩を竦めた。
「あぁ。翔と光君か。翔はドMではないし、光君もドSではない。ただ、あのふたりは良い夫婦になるよ。儂はそう思っておる」
盛大な溜め息を吐き出すと、秀貴は「まぁ、そりゃ一旦置いといて」と、話を切り替えた。
「翔は寿途と違って、攻撃性のある能力を持っているわけだが……」
「ああ、昔に比べて、かなり力の制御が上手くなっているな!」
「『上手くなってる』じゃねぇよ……ここに達するまでに十七年掛かってるんだぞ? 遅すぎる。大体、お前がちゃんと指導しとけばこんなに時間も食わなかったんだろ?」
「その“指導”をしようとして、儂は事故死したのだが……。いやぁー、我が息子ながら強い強い」
「……殺されといて、呑気な事言ってんなよ……」
眩暈が起きそうなのを気力で止めながら、秀貴が呻いた。
「おそらく、臣弥的には翔も含めて俺に面倒見させるつもりなんだろうが、俺はそこまで器用じゃないんでな」
「ふむ……で? どうするんだ?」
秀貴は腕を組むと、「ひとり」と呟いた。
「翔の相手が出来そうな奴を知っているんだが……刀の扱いもかなり上手い奴な。ある人物の許可を取らなきゃなんねぇ上に、かなりナイーブな問題も……」
コンコンと、窓ガラスを叩く音が室内に響いた。
外には、一羽のカラスが止まっている。足には紙が括りつけられている。
たまらず深叉冴が声を漏らした。
「伝書鳩……ならぬ伝書烏? これまた、古風な伝達方法で」
携帯やスマートフォンが普及し、至るところに電波塔が建てられた現代では、鳩が目的地まで辿り着くのは至難の業だ。
そんな中、秀貴を追ってここまで来たこのカラス――只者ではない筈だ。
林檎をかじる深叉冴の横を、秀貴が窓に向かって歩き去った。
「噂をすれば……」
少し濡れてくたくたになっている紙切れを広げ、文章を読み終えると、深叉冴に声を掛けた。
「深叉冴、お前携帯かスマホ持ってるか?」
「ああ、翔名義で買ったのがあるぞ。……壊すなよ」
黒いスマートフォンを取り出しながら、深叉冴が少し嫌そうに秀貴を見た。
「はいよ。で、ボタンねぇけど、これってどうやって電話かけるんだ?」
自身が強磁性体の秀貴は、普段から電子機器を嫌う。なので、通信機器など持ち歩かない。
故に、文明の利器“スマートフォン”の操作方法など知りはしない。
深叉冴に教わりながらスマホを操作し、手紙の送り主に電話を掛ける。数回の呼び出し音の後、繋がった。




