あとがき
連載期間、約六年。
改めまして、ここまでお付き合いくださった皆様、誠にありがとうございます。
『世界の平和より自分の平和』の翔は元々、私が十四歳の時に加入した一次創作の会員制サークルに登録したキャラクターでした。
そこから、彼らを動かそうと用意した舞台が『より平』です。
話は変わりますが、私の父は怪我で三回死にかけた事があります。
そんな父に「気張らんでええけど、一秒後には死ぬかもしれんって事は頭に置いとけ」と言われた事があります。
その後、小学三年生の春。クラスメイトが母親に殺されるという痛ましい事件が起き、翌年には通っていた小学校である事件が起きて一年生の女子が二名犠牲となり亡くなりました。
そんなこんなで「死って案外身近にあるんだな」と思うようになったわけです。
だからといって、何かするでもなくのほほんと生きていた私。
(まぁ、まだ小学四年生でしたし)
数年――学級崩壊などを経て生まれた彼ら。飽き性の私が、唯一続けてきた創作活動において最も重要な“キャラクター”たちなわけですが……、物語を、ちゃんと最後まで描いた事がなかったんです。
2005年頃に自作のホームページで『より平』を連載していたのですが、こちらに掲載している『より平』の第四話くらいまでで止まっていたんですよね。
その頃の私はというと、専門学生をしていました。
一年次に基礎技術、二・三年次に専門技術を習得する学校で、漫画を描いていました。一年で素描、DTP。立体物制作、情報デザインなどについて学び、その後は心理学、東洋医学、殺陣、剣術、演技、ストーリー構成などを二年かけて広く浅く学びました。
作中に出てきた呼吸法などはここで教えられたものですね。
漫画で賞をいただいたりもしましたが、創作はあくまで趣味。本職にする気のなかった私は、数年間一次創作から離れて二次創作へ浮気をしていたわけです。
そして、専門時代の先輩と結婚、出産を経て、ふと思いました。
「そういえば、ウチの子たちをちゃんと形に残せていないな」と。
十六歳の時に加入した会員制創作サークル(十四歳の時に入ったところとは別サークル)にて創作活動自体は続けていましたが、長編作品をひとつも完結させられていなかったのです。
(漫画は投稿する時、十六~二十四ページの読み切りで描いていたので)
しかし、漫画って描くのに時間がかかるんです。
プロット→ネーム→下書き→コマ割り→線画→ベタ・トーン→仕上げ。
背景とかを描いていたら、三十秒で読めるページに三時間は掛るわけです。
生きている内に描ききれません。一秒後には死ぬかもしれないのです。
と、いうわけで小説を書き始めました。
折角だから今まで体験してきた事も含めて、自分のエゴを詰め込んでやろう! と構成し直して書き始めたのが、この『より平』です。
私自身に教養が無くつたない文章で読みづらいところもあったかと思いますが、ここまでついて来てくださり、本当にありがとうございます!
キャラクター第一子が生まれてから約二十年経ちましたが、こうして完結させる事が出来て嬉しいです。
他の作品も大抵関連作品なので、よろしければ覗いてやってくださいませ。
またどこかでお会いできれば幸いに思います。
三ツ葉きあ




