表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
270/280

第五十七話『世界の平和より』―5

 



「それでね、暗号化されてた化学式を輝が訳してくれたから、それを元に薬を作ってるんだって。出来たら拓人が届けるらしいよ。すごいよね」


 本部で見聞きした事を話す翔に、光が相槌を返す。

 以前の翔ならば身振り手振りを交えて説明していそうな内容だが、今の翔は落ち着いて話している。話題の内容を、きちんと理解しているからだろう。

 皆元に戻れると良いね。と翔が言うので光も、そうね、と頷いた。


 母屋の屋根の上。翔と光は並んで座り、別々に行動していた時の事をお互い話していた。

 月がもう高い場所にいる。敷地の外にある街灯の薄い灯りも相まって、二人の姿を縁取っていた。


「尚巳さんは猫生活を活楽しんでそうだったけれど……。順応力の高い人なのね」

「俺は尚巳の事よく知らないんだけどさ。拓人の事泣かせたから、一撃喰らわせようかと思ってるよ」


 拓人と尚巳が電話でやり取りしていた時の事を持ち出す。光は現場に居なかったので、ピンと来ていないようだが……光は光で言いたい事がある。


「あら。尚巳さんはアタシの恩人でもあるのよ」


 光の言葉に、翔が手をひとつ叩いた。


「それなんだよね」


 光には、翔の言葉の意味が分からない。


「俺にとっては嫌な相手でも、光にとっては良い人。この世界はそれの集まりなんだよね」


 光の頭上に「?」が出現した。

 翔は空を見上げた。暗い空に、星がたくさん見える。


「皆違って皆良い。けど、全員は受け入れられないから。俺は、自分っていう世界の中にある平和を守りたいなって思うんだ」


 つまり、自分の好きなものだけ平和であればいい。と、そう言っているのだろうか。平和主義者が聞いたらブーイングを起こしそうだ。

 だが、光は頷く。


「『世界平和』って言葉自体を“悪”とする人が、世の中に一定数居る以上、アタシはそれでも良いと思うわ。そもそも、“平和”の概念すら人によって違うんだもの」


 ただ、と翔が呟いた。

 街頭に照らされたその横顔は、どこか物悲しげだ。


「俺、東陽は助けたかったんだ」


 あの時。翔ならば東陽を助ける事が出来ただろう。しかし、そうすれば光は死んでいたかもしれない。あの瞬間、翔は無意識の内に光と東陽を天秤にかけた。そして、翔の中で、天秤は光へ傾いたのだ。

 だから光を助けた。その結果、東陽は翔の世界から居なくなった。


「難しいね。助けたい人を絞り込むと、必ず誰かが居なくなっちゃうんだもん」

「人生なんて、選択の連続よ」


 生まれた時から選択ばかりを迫られてきた光が肩を竦める。

 伯父や伯母とドイツに住むか。両親と共に日本に住むか。日本へ国籍を移すか否か。使い魔はどうするか。本当に翔と結婚したいのか。

 親と離れて男所帯の天馬家で過ごし、翔に恐がられ……。

 選択を誤ったかと思い煩う事も少なくなかった。それでも、紆余曲折を経て、今はこうして翔と並んで話している。

 過去の選択があったから、今この瞬間がある。光にとって、“正解”の道だったのだろう。


「もし、翔が命を取りこぼして落ち込む事があれば……翔に命を助けてもらったアタシが、(あなた)の隣で笑うわ。それを見て『俺はこの笑顔を守ったんだ』って思えばいいの。自信持ちなさいよ」


 そう言って、光はいつもの澄ました笑みではなく、幸せそうな――とびきり美味しいものを食べた時のような笑顔を、翔へ向けた。


 頬が真っ赤だ。


 翔は思わず吹き出した。


「はははっ。あぁ、そうだった。俺、光のこの顔大好きなんだ」


 口に出して言えば、光の顔は焼きりんごのように湯気が上がり、顔がふやけてしまった。

 翔の手が光の腰に回り、腕に力が込められ、光の体を引き寄せ、二人の顔が近付……、


「翔様ー! 光さーん! どこですかー? お夕飯が出来ましたよー!」

 

 光が熱い頬を両手で包み「お約束……」と渋い顔をしていると、光の手の上に翔の手が被さり、二人の唇が重なった。

 触れるのみ。そのまますぐに離れる。一瞬の出来事だった。

 その瞬間、思いきり渋面だった光は、何が起きたのか理解が追い付いていない。


 ひと息置いて――状況を把握した光の顔が、更に赤みを増していく。今にも顔から火を吹きそうだ。


「信号機色の光、かわいいね」


 真っ赤な顔に、青い瞳、黄色の髪。

 茶化され、光の赤い頬が膨らむ。


「ごめんごめん。どんな顔をしてても光は可愛いけど、笑った顔が一番だよね」


 膝裏と背中に腕を回して光を抱きかかえると、翔はそのまま飛び降りた。無事着地に成功し、体勢を立て直す。

 天馬邸の裏庭に、もうプレハブ小屋はない。一週間程の内に起きた事が嘘のように、元通りになっている。


「あ、翔様と光さん。どこに居たんですか? ご飯、出来てますよ」


 二人に気付いた康成が手招く。

 様々な事が変わったけれど、自分にとっての“好き”が増えるのは心地の良いものだ。と思いながら、翔は母屋の入り口へ向かった。


「……下ろしてほしいんだけど……」


 顔を真っ赤にした光を腕に収めたまま、穏やかな笑みを浮かべて。





 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ