第八話『訓練初日』―3
「威のそれは、攻撃形態はサボテンだけか?」
状況が把握できない内に訊かれ、威が「はい?」と裏声で聞き返した。
「攻撃形態はサボテンだけか……と訊いた」
苛立っている秀貴の声に、威が体を緊張させて、姿勢を正す。
「はっ、はい! あの、他の植物にもなれますが、サボテンが一番扱いやすいので、愛用しています!」
「そうか。じゃあ、朱莉。お前の人形は、結局何が出来るんだ?」
「専門は防御で、攻撃力は低いんです。でも、人形なので気配無く標的に近付くことができます」
朱莉は、床に落ちた甘ロリワンピース姿の人形を拾い上げる。
肌の表面に、パチパチと静電気のようなものを感じながら、制服のスカートを押さえた。
「ところで、何で制服なんだ?」
秀貴が問うと、朱莉は人形を抱え直して、秀貴に向き直った。
「私服を持っていないので」
今時の女子高校生にしては珍しいが、秀貴は「そうか」と受け入れている。
「なら、次に集まる時はジャージを着て来い」
「はい」
答えると、朱莉は秀貴から少し離れた場所に、威と並んだ。
東陽も同様にナイフを拾いに来た。
「お前も、いつもナイフ以外は何を飛ばすんだ?」
「僕は、何でも飛ばせますよ。ただし重くなるほど速度が遅くなるので、ナイフくらいが丁度良いんです。でも、今の僕では一度に扱いきれるのは五本が限度ですね」
「そうか」
短く答え、秀貴は腕珠を戻した。
磁気を帯びていた場の空気が元に戻る。
「翔」
「何?」
翔はまだ少し不機嫌そうではあるが、元々機嫌が良いのか悪いのかよく分からない顔をしているので秀貴は気に留めない。
例え極端に不機嫌にされようと、秀貴は気に留めはしないだろうが。
「気になった事はあるか?」
「秀貴が言ってくれたから、良いよ」
そう答えたが、本当はろくに何も考えていない。
そんな翔の返事は想定内だった秀貴は、脇に置いていた紙袋からノートとボールペンを取り出した。
「俺がこれから言う事を、これに書き写せ」
筆記用具を受け取り、翔がノートを開く。
「当面の課題をお前らに提示するぞ」
秀貴は、三人へ顔を向けた。
「まずは、威。サボテンは子が出来るだろ? 小さくても良いから、一体から複数体に数を増やせるようしろ」
「え、あ……はい」
「次に、朱莉はその陶器人形以外に、小さい……そうだな、ボージョボー人形かブドゥー人形か……ストラップに付いてるような小さいぬいぐるみで良いから、軽くて小さい、単純な人形を増やしておけ。中に刃を仕込めば、小さくてもそれなりに使える。陶器と違って、割れる心配もない。陶器は割れると証拠として残るうえに、音がするからな」
「はい」
「東陽は、速度を上げる事と本数を増やす事が当面の目標だな。余力があれば、他のものを飛ばす訓練もしておけ。これは知り合いがよく使っているんだが……ボールペンとか、筆記用具は汎用性が高いと思うぞ」
「はい」
「俺からは以上だ。『そんなの出来るならとっくにやってる』とかふざけた事ぬかしやがったら、俺はもうお前らの相手はしねぇからな。困ったら取り敢えず相談しに来い。但し、解決する保証はしない」
横柄な態度だ。が、とにかく今は聞くしかない。
一同は、無言で首を縦に振った。
「じゃあ、今日は格技場好きに使って良いから、自主練な。道具の調達に行きたい奴は、自由に出て行って良いぞ。昼までには帰ってこい」
秀貴は皆にそう伝えると、壁に立てかけてあった折り畳み式のアウトドアチェアを広げた。
椅子に座った秀貴の隣に、翔が立つ。
ノートとボールペンを秀貴に差し出した。
「ねぇ、俺は何をすればいいの?」
「お前は規格外だからな。あいつらと一緒には無理だ」
「……つまんない」
あからさまに不機嫌そうに、翔は壁に背中を預けた。
懲りずに、秀貴へ顔を向ける。
「……ねぇ、さっき拓人にも訊いたんだけど、秀貴って一体何なの?」
秀貴は椅子に座ってから初めて翔を見たが、表情に変わったところはない。
いつものように、溜め息混じりに気怠い返事を翔へ寄越した。
「『何』って訊かれてもな……あいつは何て言ってたんだ?」
「拓人は『人間離れした、只の人間』って言ってたよ」
「なら、そうなんだろ」
秀貴は答えると、再び視線を翔から離した。
腕を組んで面白くもなさそうに、他のメンバーの様子を眺めている。
翔は納得できず、更に口を開く。
「多少なら見たことあるけど、触れるくらい大量の電磁波垂れ流してる人間、見たことない」
秀貴が、いかにも面倒臭そうに翔の方を見た。
「俺は、お前みたいに人工的に作られたんじゃなくて、完全に自然派性の特異体だよ。電気特異体質つってな。つまり、只の人間だ。呪言師としての能力しかない筈だったのが、生まれてみたら電子レンジと同じ能力まで持ったガキだったってわけだ」
翔は「俺にも分かるように、具体的に教えて」と踏み込んだ。
秀貴が嘆息する。
「俺自身が、強磁性体なんだよ。とんでもなく強い電磁波が出てるんだ。だからこの腕珠を両手につけてねぇと、電子機器は壊れるわ、生き物の脳は壊れるわ、心臓は止まるわ、最悪内側から爆発するわ……ほら、洋介が言ってただろ? 『睨んだだけで人が殺せる』だったか。元々俺の一族が持ってる呪力と相まって、相手を眺めながら『死ね』って思うだけで相手が勝手に死ぬ。まぁ、俺自身で五割くらいは制御できるし、腕珠の数で力の調整さえすりゃ、簡単な病気や怪我を治したりも出来る。だから悪い事ばっかじゃねぇけど。オレが制御したくらいじゃ日常生活は送れねぇし。何より疲れる。反対に、力を無効化できる腕珠さえ着けとけば、変な気を使わなくても生活できる」
翔は、秀貴の言葉を頭で整理しながら「へぇ」と呟いた。
理解した風を装ったが、頭の中はごった返していて整理などつかない。
「お前が俺の気配に気付けなかったのも、この腕珠の所為だ。つい昨日増やしたばかりでな」
このひと言だけは、翔にも理解が出来た。
「あ、そうだったの。俺、ホントに秀貴は化け物なんだと思っちゃった」
翔の言葉を聞き、秀貴が明らかに嫌そうな顔をする。
「お前にだけは言われたくねぇよ」
「拓人にも同じようなこと言われて、凄く笑われた。そっか、人間なんだったら……化け物扱いしたこと、謝らなきゃ。ごめん」
「お前に気を使われると、気持ち悪ぃ……」
秀貴は半眼で、格技場内へ視線を戻した。
まぁ、親からしてみりゃ充分化け物だったろうがな。
胸中で呟いた言葉は、口から発せられることはなかった。
「ねぇ、俺も何かしたい」
トントントントン、翔が木刀袋の先で床を突く。
「禁刀持って来てんなら、深叉冴んトコ行くか? 今のあいつなら、力加減しなくても死なねぇだろ。もう死んでんだし」
「行きたいけど、父さんの所って……今は祝が居るでしょ? 俺、祝に嫌われてるからヤだ」
秀貴が、眉を寄せて痙攣させる。
「お前、本当面倒臭ぇな……。っつか、人目を気にするような繊細な神経してねーだろ。お前は」
「嫌われてるものはしょうがないけど、ずっと恨めしそうに見られるの、疲れるもん。だから、秀貴が相手してくれれば万事解決」
禁刀――元々は邪気を払う為の、“刀”というよりは“剣”に近い形状をした、全長一メートル程の刃物――を取り出し、鞘で秀貴の脇腹を軽く小突く。
「嫌だ」
一蹴されても、翔はめげない。
「さっき皆の武器が落ちた原理も気になるし」
「却下」
「俺を鍛えると思って」
「面倒臭ぇ」
「秀貴のケチ」
「ケチで結構」
変わらず格技場内の様子を眺める秀貴。
翔は無言で鞘を抜くと、禁刀の刀身を眺めた。
父親から受け継いだそれは、周りの景色が鮮明に映り込むほど澄んでいる。
正直、自分には綺麗すぎると、翔は常々感じていた。
小さく溜息を吐く。
「もういい。素振りでもしとくから」
「そうしとけ」
秀貴は、翔が自らやる事を示したことに安堵した。
これで、本格的に他の連中を眺めているだけで済む――と。
翔は不機嫌なまま、禁刀をひと振り。ふた振り。
右腕のみで数回振ると、左腕を真っ直ぐ前へ出した。
左腕を正面で曲げる。
右腕を肩の位置までへ引くと、何の躊躇もなく、刀身を左腕へ向かって真っ直ぐ下ろした。
刀身が風を切る短い音の後に、刃が肉に刺さり食い込む鈍い音が、秀貴の耳に届いた。
隣を見る。
左腕から血を噴き出している、友人の息子の姿があった。
「この角度じゃ、力が入らないから骨まで切れない……」
訳の分からない事を呟いている。
「力が入らないなら、いっそ突き刺してみると良いかも」
名案だとでも言いたげに、更に訳の分からない事を呟いている。
素振りをすると言っただけなのに、何故こいつは左腕から血液を噴出させているのか。
何故自分の刀を自分の腕に突き刺しているのか。
理解ができない。
血溜まりの出来ている床を見る。
鼻腔に届く血の臭いと、更に左腕に穴を開けている目の前の人物を見て、秀貴は頭痛がした。
「やっぱり骨で止まる……こう、ぐりっと回したら……」
「お前、俺の言ったこと聞いてたか? お前が怪我をすると、後が面倒なんだよ。やるなら俺の目の届かねぇ所でやってくれ」
言って聞かせたところで、もう手遅れだが。
「だって、痛いんだよ?」
おもちゃを取り上げられた子どもの様に、翔は愕然と秀貴を見る。
手には血塗れた禁刀が握られたままだ。
「そんな顔しても駄目だ」
「……だって、痛いんだよ?」
理解出来ないという顔を向けてくる翔の存在が、秀貴には理解が出来ない。
表情筋が更に強張る。
「そりゃ痛いだろうよ」
駄目だ。会話にならない。
秀貴の頭痛が増した。
薄々気付いてはいたが、自分では手に負えない。
そう悟ると、秀貴は――本当に、自分の息子を尊敬した。
(翔と意思の疎通が出来ることに関しては、褒めとかねぇとな……)
秀貴がそう心に決めた時――翔は自分の腕に開いた穴から向こうの景色を眺めて、満足そうに頬をほころばせていた。




