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第五十七話『世界の平和より』―4 

 ◇◆◇◆




 見慣れた看板のビルへ足を踏み入れ、凌は肩の力を抜いた。昨日も来たというのに、何だか懐かしささえ覚えてしまう。それ程、昨日の出来事は長く感じた。

 実際に福岡まで行っていたのは、たったの半日だというのに。


 凌は一度、光を送り届けるのも兼ねて天馬家へ寄ってから、東京まで戻ってきた。

 尚巳は本社へ行き、社長である雅弥と、その秘書である謙冴に挨拶を済ませていた。


 凌が狭い階段を一歩一歩(のぼ)っていると、その足元を黒猫が通過した。飛ぶように駆け上がっていく。その軽快な動きは猫そのものだ。


「低い位置からだと世界が違って見えて新鮮だなー!」

「そりゃ、一八〇センチから三〇センチくらいになりゃ、別世界だろーな」


 今更ながら、猫の視界とはどんなものなのだろうか。と思うと同時に、自分の置かれている状態が本当に分かっているのかと問い詰めたくなる気持ちが、ふつふつと湧き上がる。

 凌は嘆息しながら所長室の扉を開けた。始業時間にはまだ早く、誰も居ない。

 潤は今回の報告をする為に尚巳と入れ違いで本社へ行き、泰騎は私服へ着替える為に一度自宅へ戻っているらしい。


「そんでさ。敵討(かたきう)ちはどーなったんだ?」


 人の姿であったなら、確実にニヤニヤしていると思わせる声で尚巳が問う。

 尚巳は、凌が負けた事は聞いているが、詳細を知らない。だが当然、負けた本人は事細かに報告する気になれない。


「だから、負けたって」


 凌はこのネタでイジられるのにもう辟易(へきえき)していた。自分の口から『負けた』とは、もうそろそろ言いたくないものだ。


「でもまぁ……何かスッキリしたかな」


 清々しいような、しがらみから解放された気持ち。もし勝って翔を殺していたとしても、こんな気持ちになれたかは怪しい。いや、きっとなれなかっただろう。


(まぁ、今となってみれば……って感じだけどな)


 凌は胸中でひとりごちると、所内で配る為に買った土産を置いた。よく整頓されている机だ。土産が入った紙袋と並ぶように、尚巳も凌の机に跳び乗る。三角耳の生えている頭に、タオルが投げられた。


「お前、常に土足なんだから足拭けよ」

「あ、悪い。何かもう猫生活に慣れちゃってさー」


 お気楽な相方に、凌も閉口するしかない。能天気なのか、肝が据わっているのか。いずれにせよ、自分が尚巳と同じ立場になっていたら冷静ではいられないだろう。タオルで四本の足裏を拭いている相方を眺めながら、凌は思った。


「取り敢えず、お前もおれも生きてて良かったな!」

「良くねーよ。お前、猫じゃん。お客さんとの食事どーすんだよ……。日を改めたとしても、この感じだと結局オレ一人で行かねーとじゃんかよ……」


 結局、約束の日は翔の相手が入ったのでキャンセルの電話を入れてある。そして、別の日に延期してもらったのだ。

 ドイツから合成生物(キメラ)に関する書物が届くにしても、尚巳がすぐに元の姿の戻れるかというと――凌は、無理だろうと思っている。そもそも、凌は人と昆虫や動物が“合成”される過程も知らないのだ。

 先行きを思って、凌は項垂(うなだ)れてた。


「それに関しては、ごめん!」


 土下寝(どげね)のポーズで謝られ、凌が半眼になる。

 尚巳が人に戻れるかどうか心配しているというのに、当の本人はどこ吹く風。凌は気を揉んでいる自分がバカバカしく思えてきた。


 折角、過去の大きなしがらみが無くなったというのに。心配事は無くならない。ひとつ問題が解決すれば、また次が湧き出てくる。


(それが人生だと思って、生きていくしかねーな)


 かつて復讐を誓いこの世界へ身を置く事となった青年は、若干の悟りを開いて今の状況を受け入れた。

 結局、彼は今まで同様、これからもこの業界(せかい)で生きていくのだろう。




◇◆◇◆

 

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