第五十七話『世界の平和より』―3
「っつーわけだから、建て直しに関するオレからの意見は以上かな」
ボールペンを置きながら、拓人は会長である臣弥と、設立者の一人である深叉冴に告げた。
「うむうむ。細かい予算については経理担当の康成と要相談だが、良いのではないか?」
深叉冴は反対の意思を見せず、拓人の案を全面的に受け入れている。会員の生活重視の内容だ。深叉冴が否と言うはずもない。
会長である臣弥はというと、何やら浮かぬ顔をしてぽつりと呟いた。
「研究室が小部屋に分かれていないのが気になるんですけど」
本職が“化学者”である会長は解せない模様。
「地下研究室は共同。会長の趣味なら実費で設計してくれ」
拓人の言葉を聞いた臣弥は、不満そうではあるものの案を呑む。
居住区となっている会員の部屋全てに、風呂とトイレを設けるという点でも臣弥は渋った。だが、これは出資元の意見でもあるので嫌とも言えない。
「あとは皆から意見を集めて……そうだな、来週までには最終的に今回の工事概要をまとめるとすっかな」
予算内でどこまで組めるか不透明だが、そこは建設会社とも話していけばいい。建築に関してはプロに任せるのが一番だ。《P・Co》の本社も手掛けた業者だと聞いているので、そこは信用している。
拓人がひと息ついて湯呑に手を添えたと同時に、会長室の扉が開いた。
入って来たのは、金髪二人組。
「邪魔するぞ」
「邪魔するなら帰ってください」
くるりと、綺麗に揃って踵を返す二人組。
臣弥は二人を止めようと立ち上がり、ローテーブルの角に脛をぶつけて悶絶した。
「……何やってんだ、お前……」
金髪の片方が振り向いて声を掛ける。
もう一人は振り向きもせず、
「帰れって言われたんだから帰ろうよ」
と、冗談は冗談として受け取りつつも不快感いっぱいな表情をしている。
「はっはっはっ! 臣弥は竜真さんに嫌われているのだから、喜劇のフレーズを使って寸劇をしようとしても無駄だと思うぞ!」
深叉冴は腕を組んで高笑い。
竜真は深叉冴にとって、妻の兄。義兄となるので彼の事はよく知っている。
「ええ!? 私ってそんなに嫌われてるんですかぁ!?」
わざとらしく驚愕する臣弥は無視し、拓人も立ち上がった。
父親である秀貴の持っている本を指差す。
「それが、光さんの伯父さんが遺したっつー手記か?」
「ああ。輝が解説メモもつけてくれたぞ」
という事は、輝はドイツで二人と合流したのだろう。疾風丸の速さと、二人が使ったであろう“ジェット機”の速さに内心震えつつ、拓人はハードカバーの本を覗き込んだ。
一冊捲ってみると、付箋が沢山貼られていた。字は少々汚いが、日本語で文字が書かれている。
「輝君はどうしたんだ?」
「今回の件で本部へ挨拶に行くっつってたから、ドイツで別れた」
輝は輝で、自分が身を置いている場所で忙しいらしい。
拓人が、肝心な事を訊ねる。
「尚巳たち、元に戻るのか?」
秀貴は本のページをぱらぱらと捲りながら、控えめに唸った。
「薬で戻るみてーなんだけど、俺ぁそっちの専門家じゃねーからな。だから臣弥んトコへ来たんだ」
化学式だらけのページを見せると、臣弥はぱあぁっと表情を明るくした。
頼りにされたのが余程嬉しいようだ。黒い瞳が輝いている。
「まぁ、臣弥がダメなら景君に頼めば良かろう!」
深叉冴の余計なひと言。これが、臣弥のやる気の炎に風を送った。
その風は炎を消したかに思えたが――、
「この私が! 責任をもって、尚巳君や他のキメラさんたちを人間の姿に戻してさしあげますとも!!」
風によって勢いを増した炎を背負い、どんっと勢いよく胸を叩いた臣弥であったが、その場に蹲った。
黒い背広が、ぶるぶると小刻みに震えている。
「せ……背中の傷に振動が……」
「秀貴君お手製の“キズなオール”貼ってあげたら?」
「竜真さん、俺の作る護符に変な名前つけるのやめてくんね?」
言いながら、着物の袖口から一枚の紙を取り出し、臣弥の背中にペタリと貼る。
途端に臣弥はびょんっと飛び跳ね、清々しいまでの笑顔でサムズアップした。
「治りました!」
「なら、一枚五十万な」
手を出す秀貴に、臣弥は「お金取るんですかぁ!?」とまたしても驚愕している。
「何なんですか! 正義のヒーローがそんな事して良いと思ってるんですか!?」
ビシッと指を差して抗議する臣弥。臣弥と秀貴の間に割って入る竜真。
竜真が、突き出された人差し指をやんわり掴んだ。
「はーい、臣弥君。傷を治してもらっておいて文句言わない、言わない。一週間以内に五十万よろしくね」
徐々に握った手に力を入れつつ、にこやかに請求書を突き付けた。
「はっはっはっ! ヒデはブラックでジャックな医者みたいだな!」
深叉冴の高笑いによって、臣弥の嗚咽は掻き消された。
そして、拓人は当然のように臣弥を無視する。
「で、親父たちはいつまで日本に居んだ?」
「明後日までは居んよ」
「んじゃ、本部の立て直しについてとか、他にも色々話してー事があって……、って、え……竜真さん? どーしたんですか?」
目からダバダバと滝のように涙を流している竜真を見て、拓人がぎょっとした。
「秀貴君と拓人君が話してるの見てるとさ……今頃になってじわっときちゃって……。年かなぁ。涙腺もろいなぁ……」
「……何か……すみません……」
自分の反抗期の所為で、そうまで心配をかけていたのかと思うと、拓人も頭を下げざるを得ない。
申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちがない交ぜになり、やるせなくなる。
拓人がそんな気でいると、竜真がおもむろにスマホのカメラを父子へ向けた。
「取り敢えず、秀貴君と拓人君、仲直りのハグでもしようか」
「しねーよ!」
「しませんよ!」
父子たちの声が仲良く重なり、深叉冴の高らかな笑い声が響くその後ろ。まだ立ち直れていない男の姿がそこにあったが、当たり前のように放置されていた。