第五十七話『世界の平和より』―1
翌朝。
「はーい。皆揃ったかー? これから空港へ行って、飛行機で羽田まで戻るで!」
夜の内に作ったのか。
観光ガイドよろしく、泰騎が旗を振っている。ピンクのウサギが描かれたものだ。
まだ早朝。朝食は飛行機の中で済ませる。因みに、操縦は潤だ。
今から羽田空港を経由して横浜へ戻っても学校には間に合うが……。
「今日は皆、学校行かずにしっかり休めよ。連絡はオレからしとくから」
拓人が指示すると、瀬奈が元気よく挙手した。その様子から疲労感は伺えない。
「はぁーい! あーしはいっつも行ってないからダイジョーブ!」
「それ、大丈夫じゃねーからな? っつーか、校外に学びがあるっつーのは分かるけど学校でしか体験出来ねぇ事も結構あるから。普段はちゃんと行けよー」
瀬奈の軽い返事を聞きながら、拓人は朝食用に買ったおにぎりのフィルムを剥く。
隣に座ってきた凌の手元を見やると、同じくコンビニのおにぎりがあった。
「凌はおにぎりが好きなんだ。あと、チーズハンバーグ。結構お子ちゃまなんだよ」
とは、黒猫の発した声。
「うるせーよ。好きなモン食って何が悪いんだ」
海苔を綺麗にたたみ、凌が三角形の頂点へかぶりついた。
拓人は、案外ひと口がでかいんだな、と思いながらそれを眺める。
「尚巳は何も食わねーのか?」
拓人の疑問に答えたのは凌だ。
「猫缶買ったら怒られた。んで、追加でブリトー買わされた」
コンビニの白い袋から出てきたのは、ウインナーとチーズのブリトー。レジで温めてもらったらしく、まだ湯気が出ている。
「熱いから冷ましてんだ」
「へぇ。ってか猫缶勿体なくね? 尚巳、ちゃんとこれも食えよ」
猫缶を差し出され、尚巳があからさまに不服そうな顔をした。
「えー……コレ食ったら、人間として何か大事なものを失う気がする」
プライドなどドブに捨ててきたような男が、何か言っている。
拓人は猫缶を指先で回転させながら、
「猫缶なら犬のより味がついてるし、結構美味いぜ?」
という言葉に、凌も尚巳も固まった。
「拓人、食ったことあんのか?」
「子どもの頃な。ウチに来てた野良猫用に買ってたら、母親にバレてさ。捨てるの勿体ねぇから、オレが食った」
あん時はマグロフレークだったかな? と記憶を手繰りながら、拓人は昆布のおにぎりを口へ入れた。
猫缶の話など興味のない翔は、光の隣で唐揚げと焼き鳥を食べていた。光はサンドイッチを膝の上に乗せている。
「俺は猫って嫌いだけど、光は好きだよね」
「ええ。魔女といえば猫じゃないかしら?」
「それ、“光が”好きって事になるの?」
「あら。アタシも好きよ。特に黒猫はシックでかっこいいわよね」
わざと尚巳に聞こえる声量で言う。
尚巳はまんざらでもなさそうに尻尾を振って、紙皿に乗っているブリトーに口を寄せた。
翔としては面白くない。少しむっとしている。
意趣返しをされてもつまらないので、光は翔のふわふわと癖のある髪を梳くように撫でた。それで機嫌が直る翔も翔だ。ピリ辛唐揚げを食べながら、触角を上機嫌に揺らしている。
拓人は自分の出したゴミをまとめながら、思い出したように朱莉を振り返った。
「そういや。今更だけど、朱莉は何で今の苗字が“嵯峨”なんだ?」
黙々とフレンチトーストを頬張っていた朱莉が、隣の席に座っている金髪人形と共に小首を傾げた。
口の中のものを飲み込むと、乏しい表情で口を開く。
「単純に、家が嫌いだったので。修学旅行で訪れた地名にしました」
会長である臣弥や《P・Co》の社長である雅弥と同じ『京都の地名』ではあるが、それとは関連がないようだ。
しかし、その場に居る者たちは違う事を考えていた。
どうせなら、もっと文字数の少ない漢字にすれば良かったのに、と。だが、誰も何も言わなかった。
そうこうしていると、飛行機は川崎市の上空へと差し掛かった。




