第五十六話『水面下では』―5
「まぁ、周りに被害がなさそうだったし……合格、かな……」
というか潤は当初より、翔が無闇やたらに爆発を起こしさえしなければ、合格させる気だった。だからこそ、潤は翔の近くではなく校庭に居た。
そもそも、今回翔の合否云々は、彼らに付いて行く為の口実のようなものだ。
だがしかし、翔が喜んでいるので、潤は無言で翔の頭を撫でておいた。すると翔は破顔して、潤の体にすり寄る。
「えへへ。潤って優しいよね。俺、潤の所に就職しようかな」
「俺の胃に穴が空くからやめてくれ」
「え? でも、すぐ治るでしょ?」
翔に自分の言動を見直す選択肢はないらしい。痛覚に鈍感な翔には、胃痛の苦しみも分かるはずがない。治りはするが、治った端から穴が空く事もあるのだ。
言っても無駄だろうからと、潤の口から説明はないが。
「お前が入社試験受けたって、一般常識で落ちるに決まってんだろ。バーカ」
凌の言葉に翔は、凌ってイジワルだよね、と頬を膨らませる。凌としてはわざとやっている事なので、舌を出して挑発していた。
仕事中はもちろん、普段の凌でもなかなかしない幼稚な行動。
「あれ? 凌って拓人の事が好きなんかと思っとったけど、天馬の坊ちゃんの事が好きなん?」
泰騎が意地の悪い事を言う。ニヤけている口元から冗談だという事は伺えるが――生真面目な凌は本気と捉えたらしい。
堰を切ったように狼狽した。
「は!? ちょ! 何言ってるんですか! そんなわけないでしょう!?」
「えー? 好きなコ程イジメてぇっちゅーアレじゃねん?」
「違います! 断じて! 違います!」
凌がムキになるので、泰騎も悪乗りに拍車が掛かっている。
そこへ加わるもうひとつの声。
「えー? 何、何? 凌って俺の事好きなの? だめだよー。俺には光がいるからね」
「あーもう! お前まで来るな! ややこしくなる!」
火種を作った泰騎は満足そうに肩をゆすり、賑やかでええなぁー、と笑っている。
のんびりと缶ビールに口を付けている泰騎に、潤は真顔で訊いた。
「凌は二股をかけているのか? だとしたら、確実に泰騎から悪影響を受けているとしか……」
「潤、色々ツッコミてぇんじゃけど、大丈夫。冗談じゃけん」
それを聞いて潤は、そうか、とあっさり納得している。
ニヤニヤしている翔に抱きつかれている凌も、顔を真っ赤にして「だろうと思いました!」と苦しい言葉を吐き出した。
そのまた少し離れた場所では、雪乃も安堵の息を吐いていた。それを見て、光がひと言。
「雪乃さん、拓人君の事が好きならはっきり言えば良いのに」
「ひゃい!? 私、そ、そそそそそそんな」
思い立ったらすぐ行動派の光と、引っ込み思案な雪乃とでは恋愛に対する姿勢も大層違うようだ。
光にとってはじれったいものもあるが、見ているのも楽しく思えた。
「ふふふ。雪乃さんって可愛いのね。でも、このままじゃ誰かに取られちゃうわよ」
一人、心当たりが大いにある。光の親友が、拓人に獲物を見る目を向けているのだ。そうでなくても、校内には拓人に好意を寄せている者が一定数居る。おそらく、《自化会》にも居るだろう。
雪乃の身近にも一人存在する。つい先日も、雪乃の目の前でプロポーズをしていた竜忌だ。彼に関しては慣れている――と言いたいが、それでも竜忌の発言は雪乃の心臓に悪い。
雪乃は、秀貴からも光と似たような忠告を受けている。
極論、拓人が幸せならば自分はそれで良い。それが自分の幸せだ。雪乃はそう思っている。
否、そう思おうとしている。
所謂、普通の人間とは異なる存在となった自分では釣り合わない。もしくは、迷惑を掛けてしまう。と考えてしまい、歯止めが掛かっているのだ。
「人と違うっていうのは、全てその人の個性だと思うわよ。アタシは」
光はダメ押しでもうひと言加えると、翔の元へ向かう為に立ち上がった。
「個性……」
それは、人でなくなった今でも適用される言葉なのだろうか。雪乃はまたしても、考え込んでしまった。
「雪乃さん、今回の件で報――」
「ひゃあっ!?」
至近距離で拓人の声がした。すぐ後ろだ。
雪乃は座っているのに、少し浮いたかと錯覚させるほど、驚きで体が跳ね上がった。
あまりの反応に、拓人も言葉を失っている。数回瞬きを挟み、拓人は苦笑した。
「あー、……ごめん。雪乃さんなら、オレが近付くの気付いてると思ったんだけど……」
朱莉に向けて力を使っていたので、周囲への意識がおろそかになっていたのは事実だ。
変な声が出た恥ずかしさも相まって、雪乃は眼を回しそうになった。
「わ、わた……私の方こそ、大声を出してしまってすみません……」
「ははっ。雪乃さんってかわいいよな。今回の件の報酬について話したいから、明後日店に寄るから」
拓人が『近々店に行く』と言っていたアレだろう。
伝えたい事は伝えたので、拓人が踵を返す。
「あ、あの……拓人さん、私……!」
拓人を呼び止めた雪乃。その行動に、この場に居る数人が心の中で「おおっ」と歓声を上げた。
「私、あの……拓人さん……あの……、私、拓人さん、あの、す……」
お!? と、数人が心の中で手に汗握りながら、次の雪乃の言葉を待っている。
「す、す……」
周りの期待に反して小さくなる雪乃の声。かと思うと、雪乃は小さな口を精一杯広げて声を張った。
「あの……! 新しいスイーツを考えたので……また、食べに来てください!!」
しん。
そんな音が聞こえる程、静まり返った室内。一拍の後、翔の発する咀嚼音がむしゃむしゃと虚しく響いた。
「分かった。明後日、景と界も連れてくな! 二人とも甘いの好きだから喜ぶだろうな」
拓人は爽やかな笑顔で告げると、そのまま去っていく。
「拓……おま……マジか……」
祝の絶望的ともいえる顔。呆れにも似ている。
だが、拓人はその表情の意味が分からず首を捻るのみ。
少し泣きそうな雪乃だったが、明後日また会えるのだと思うと笑顔が蘇る。
一連の流れを見届けていた面々は、一様に胸中でこう言った。
“ドンマイ”と。




