第五十六話『水面下では』―4
焼き鳥の串を咥えたまま、翔はもう居ない相手に向かって振っていた手を下げた。
「今回も嵐みたいだったね」
疾風丸の巻き起こした突風により紙コップがいくつか倒れ、零れた飲み物を拓人と雪乃が拭いている。
『元気だよね』
とは、画面の中で朗らかに笑っている竜真だ。
後ろから、ひょっこり秀貴も顔を覗かせた。否、かなり後方からカメラに映り込んだだけなのだが。たまたま、こちらのカメラと目が合った。かと思うと、光速で朱莉が画面にかじりつく。息も荒い。
「秀貴さん、秀貴さん、秀貴さん、秀貴さ……」
「いやー……、朱莉、マジやべーっしょ……ドン引きだわー……」
瀬奈がドン引いている横で、澄人も同じようなリアクション。何なら、画面に映っている秀貴も渋い顔をしている。
竜真は眉を下げて苦笑いだ。
『あはは。朱莉ちゃんも元気そうだねー……。えっと……秀貴君は他にも仕事があるから――』
『滝沢から聞いてんぞ。朱莉、学校もろくに行ってねぇらしいな』
画面に近付いてきた秀貴に指摘され、朱莉が一歩、スマホから離れた。表情こそあまり変化は見えないが、心なしかしょんぼり肩を落としている。
『税理士試験受けるんだろ? 高校ちゃんと行けよ』
「へぇ? 朱莉、税理士になるの? イガーイ」
瀬奈が瞠目する。
それに対し、朱莉はすぐさま反論の為に口を開いた。
「違う。秀貴さんの納税管理をする為に必要なだけ」
一部のメンバーは「え、この人ちゃんと税金納めてるの?」とでも言いたげな表情。
朱莉の言葉を聞いて、拓人は心の中で一人納得していた。
竜真は朱莉に、秀貴のマネージャーをやらないか、と誘いをかけていた。てっきり、今の竜真と交代する形になるのかと思っていたが、どうやら違ったようだ。
(いや……。竜真さんはあの時そのつもりで言ったのかもしんねーけど、親父が頷くわけねーよな)
距離を取って、朱莉の恋愛感情が他へ移るのを待つ気なのかもしれない。何せ、相手は仕事の事を殆ど告げずに家族と距離だけ取っていた、不器用な男だ。多分、今回も距離を広げる事くらいしか考えていないのだろう。
『あ、そーだ聞いてよ、拓人君。秀貴君ってば今回も飛行機落としかけ――』
『別に、あれは俺の所為じゃないだろ』
『えー? だって君、くしゃみしたじゃない? その直後に……』
わいわい言い合っているおっさん二人を眺めていても仕方がない。拓人が嘆息していると、尚巳がスマホの前までやって来た。画面の前でジャンプをしながらくるりと回っている。
「見てください。おれ、今猫なんです!」
しぃ……ん。
おっさん二人が固まった。
黒猫が喋っている。だが、声には覚えがあった。
『尚巳、お前、マジで猫なのかよ……』
ドイツに居る二人は尚巳が猫と合成された事自体は知っているが、どんな姿になっているのかまでは知らない。
『キメラっていうから人の面影があるのかと思ってたのにねぇ? 本当に猫なんだねー』
竜真は少しがっかりしている様子。
その横では秀貴が、口元に手を当てて肩を震わせていた。
「って、ちょっ! 秀貴さん笑わないでくださいよ! 今のおれ、めっちゃカワイ――あべっ!」
動物愛護などくそくらえと言わんばかりに、朱莉が尚巳を跳ね退けて再び画面に張り付き――卒倒した。
「きゃ! 朱莉さん、大丈夫ですか!?」
雪乃が駆け寄る。
朱莉は頭から湯気が吹き出すほど、顔を火照らせていた。
「凌さん、ここへ氷を……!」
雪乃が出したバナナの葉に、凌が氷を出す。
場は一時、騒然とした。
のぼせている朱莉を覗き込み、翔は感嘆の声を上げる。
「秀貴って、睨んでも笑っても人を殺せるんだ。すごいね」
「翔、それ、褒めてないわ。あと朱莉さんは生きてるから」
光の冷静なツッコミ。過去に自分の本性を翔に知られて卒倒した時の事を思い出しているのか、視線は何もない方向を向いている。
翔はというと、冗談半分本気半分だったのか、薄ら笑いを浮かべていた。
少し後ろでは、凌が真顔でごくりと喉を鳴らした。
「あれが噂の“イケメンビーム”……」
「凌ちゃん、それギリギリアウトなヤツかもしれんで」
泰騎も冷静にツッコむ。それを横目で見ている潤は、同僚二人のやり取りの二十パーセントも理解できていないようだ。
『まぁ、えーっと……尚巳君も元に戻れるよ。大丈夫』
朱莉に突き飛ばされて吹っ飛んでいた尚巳だが、猫の柔軟な体のお陰で怪我は免れている。へへっと笑って凌の肩へ飛び乗った。
重さで凌の眉間に一瞬皺が出来たが、気にしない。
「猫生活もなかなか良いんですよー。気楽で」
「おま! お前が人間に戻れないとオレが困るんだっつーの!」
凌はおかんむりだ。怒るのも当然だろう。尚巳が猫のままだと、単純に凌の仕事が増える。
竜真は朗らかにその様子を見ていたのだが、今まで隣に居た人物が消えている事に気付いた。どうやら、地元警察と共に爆弾の撤去へ向かったようだ。
『僕も追いかけよー。あ、雪乃もお疲れ様。そっちの時間で明日中には帰るから、竜忌によろしくねー』
「はい。お気をつけて」
雪乃は朱莉を介抱しながら頭を下げた。
通信も、そこで切れる。
「しっかし、秀さんはほんま忙しいんやな。今思えば、よう講師として来てくれたもんやで」
祝は紙コップにジンジャーエールを注いでいる。
拓人はスマホをズボンの尻ポケットに戻しながら、嘆息した。
「洋介からの頼みだから断れなかったんだろ。親父、洋介の事かなり気にしてたみたいだし」
勿論、翔の事も気がかりだったからだろう。と胸中で付け加える。
祝は事情を知っているので、肩を竦めて見せた。そして、洋介の話はもうたくさんだとばかりに視線を逸らせて、ジンジャーエールを飲み始めた。
「ほんで、本部が壊滅状態やってゆーとるけど、本部の奴らはどないするん?」
「今日は非常用のテントがある。あとは明日帰って見てみねーと分かんねぇな」
立て直しに数億掛かるとして……。という拓人の呟きに、澄人が驚愕する。
「ちょっえ!? 数億円も掛かるんですか!?」
「いや、下手したら十億以上いくぜ?」
澄人が石化してしまった。数字が大きすぎて頭がパンクしたようだ。頭から煙が立ち昇っている。
「ま、そこは会長や他の会員とも話し合わねーとな」
いずれにしても、現物を見ない事には始まらない。なので、この話題も打ち切りだ。
「ねぇねぇ、潤」
翔が潤の腕にまとわりついた。光は今、雪乃と一緒に朱莉の様子を看ている。
「俺、合格?」
潤は少し思案した。翔の言葉の意味を理解し、あぁ、と手を一度軽く叩く。口を開きながら、はてと首を傾けているが。
「合格というか……翔は一度しか能力を使っていないんじゃないか?」
はて。今度は翔が頭を斜めに向ける。《天神と虎》へ到着するまでは、暴れる気満々だった翔。しかし、現場でした事といえば、透明な合成生物を消し去ったくらい。
あとは、光にプロポーズ的な言葉と共に契約書と薔薇を贈り、東陽と話したくらいのものだ。
 




