第五十六話『水面下では』―3
何故今、副会長である人物の名が挙がるのか。
「秀貴って、飛行機持ってたの?」
目を見開いて驚いている翔。
光は嘆息した。
「翔。それも気になるけれど、今気にするところはそこじゃないわ。何で秀貴さんがドイツへ向かっているのか……よ」
輝はどうどう、と馬でも宥めるように手のひらを二人へ向ける。まずは翔の疑問に答えた。
「ジェットは秀貴が持っているわけではなく、彼が所属している組織のものだ。旅客機の倍は速度が出るし、旅客機より優先的に空路を進める」
またしても二人の頭上に疑問符が出現した。秀貴が所属しているのは《自化会》のはずだ。
あまりに二人がきょとんとしているので、輝の声もトーンが下がる。
「本当に知らないのか? アメリカに本部がある《H.O.O.D》じゃ有名人だぞ?」
翔は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔のまま、瞬きもせずに固まっている。かと思うと、突然堰を切ったように叫んだ。
「《H.O.O.D》って、ハイパーマンが居るとこだよね!?」
ハイパーマン。全身タイツを纏い、赤いマントを靡かせ空を駆け、弱きを助けるナイスガイ。アメリカの、主にニューヨークを守っているスーパーヒーローだ。
翔は、空を飛ぶ超人である彼に少なからず憧れを抱いていた。
「そうだな。彼らは度々、コミックやアニメ、映画に取り上げられる有名人だ! 各国の警察や軍人がヒーロー、《H.O.O.D》に所属している者たちはスーパーヒーローと呼ばれているぞ!」
輝の言った事は、翔にとって周知の事実だった。
何故なら、アニメも映画も寒太と共に観ていたからだ。それは、ドキュメンタリーであったり、完全ファンタジーであったり。だが、どれも大抵ヒットしている作品群だ。
一部からはアイドルのように扱われ、また一部からは神のように崇められている。
活動内容は様々だが、主に犯罪の抑制、人命救助を行っているのだと報道されている。
ただ、日本ではあまり知られていない組織でもある。
「じゃあ、じゃあ、秀貴にも活動名があるの? 何ていうの!?」
眼を輝かせて興奮気味に詰め寄られ、輝は半歩下がった。
「あるのかもしれないが、本人は専ら本名で良いと言っているぞ。あと、彼の着物はスーツ開発担当者があつらえたものだというのは、聞いた事がある」
翔の瞳の輝きが一層増した。あの着物がヒーロースーツの一種だったとは。
光は話に頭がついていかず、ずっと困惑している。そして、今知りたいのはそんな事ではない。
「だから、何で秀貴さんがドイツに行っているの?」
話題を元に戻した。いや、翔にとっては今までの内容も重大だったので、まだ話を聞きたそうにしているのだが――。
輝は空咳を前置き代わりにして、答える。
「伯父さんの手記を取りに行ってもらってるんだぜ!」
光は、何故輝が取りに行かないのか……と不思議に思った。だが、すぐに彼が殺人の容疑をかけられていることを思い出す。
「《H.O.O.D》ならば警察より権限も多い。何せ、世界規模の平和維持局だからな。そして、秀貴には真犯人の事も伝えてある」
「で、その手記には何が書いてあるの?」
翔が訊ねた。
輝は、聞いて驚け! と両手を広げる。
「キメラを元に戻す方法だ!」
光は大層驚いているが、翔はきょとんとして小首を傾げている。話題の凄さにピンときていないようだ。
「合成した生物を元の姿に戻すなんて、そんな事が可能なの?」
「伯父さんはずっと、その研究をしていたんだぜ」
伯父の研究に寄り添っていた輝は、自分の事のように、誇らしげに胸を張った。
自信満々という事は、研究成果は概ね良好なのだろう。
「まぁ、俺様も内容までは知らないがな!」
輝のひと言で、穏やかになっていた光の不安は爆発的に高まった。
「と、いうわけで。そろそろ秀貴から連絡があると思うぞ」
八時から行われている会議にて。輝は皆にも説明を終わらせたところだ。
円卓に向かって座っている面々は、差こそあれど一様に安堵の表情を浮かべた。
「あまり楽観的にはなれないけれど……。尚巳さんや、他のキメラにされた人たちにも希望はあるわ」
輝の雑な説明に補足を入れつつ、光は紅茶の入った紙コップを傾けた。
光と輝の伯父が残した手記。それは勿論、興味深いし頼みの綱である。
しかし、一同が気にしているのはそれだけではなかった。《自化会》副会長の、海外での活動内容も興味の対象だ。
「親父は表立って脚光浴びるの苦手だろうし、メディアも嫌いだしな。《H.O.O.D》は組織名に入ってる通り、ハイパーマンみたいに目立つ広告塔と、親父みたいに悪事を秘密裏に“覆う”人員に分かれてるって聞いたことあるな」
内情を多少は知っている拓人が、春巻きを口へ運びながら紙にペンを走らせていた。今回、《P・Co》へ支払わなければならない依頼項目のメモだ。
だがこの会議、“会議”とは名ばかりで、始まってみれば只の打ち上げだった。光は昨夜も同じような場に居た気がするが――今は意識の外へ追いやる事にした。
輝の話を事前に聞いていた翔は、皿いっぱいの焼き鳥と唐揚げを次々と口へ放り込んでいる。
打ち上げが始まって、十分程度。拓人のスマホに着信があった。テレビ電話になっている。相手は――。
「竜真さんだ」
『やぁ、拓人君。他の皆も元気かい?』
秀貴のマネージャーだ。
タイムラグがある所為で、拓人と竜真の声が被った。それに苦笑しつつ、拓人が「元気ですよ」と言葉を返す。
竜真は一番に、輝の容疑を晴らして真犯人を地元警察へ伝えた旨を報告してきた。
拓人は、件の真犯人が死んだ事を伝える。
すると竜真は後ろに控えている、制服を着た地元の警察らしき人物に話し掛けた。真犯人死亡の旨をドイツ語で伝えると、すぐに相好を崩して画面に向き直った。
『はい。これで輝君はいつでも戻って来られるよ』
安心してねー、と手を振る竜真に、輝は「さすが《H.O.O.D》に所属している者は頼りになるんだぜ!」と、礼にしてはお粗末な称賛を送っている。
次に竜真は、ハードカバーのノートを見せてきた。輝の伯父が残した研究ノートだ。
『さすがに、コレは僕たちじゃ分からないから輝君、取りに来てくれるかな?』
容疑者ではなくなったので、輝もドイツへ自由に出入り出来る。伯父の家の中にはまだ、伯父の手記が多数置き去りになっているのだ。
輝は首を縦に振った。
「分かった。疾風丸で早々に向かうとするんだぜ。ところで、二人は戻って来ないのか?」
『うん。こっちでも仕事があるしね。こっちの警察署にイーストサイドギャラリーの爆破予告があってさ。犯人を捕まえて、お説教をしなくちゃならないんだ』
竜真の笑顔を見た数名に、悪寒が走る。
雪乃は「竜真さんは怒るととても恐いんだそうです」と困り顔だ。
「はっはっはっ! ドイツでは秀貴よりも竜真の方が人気なのだがな! まぁ、俺様の方がカッコイイがな!!」
輝は何故か張り合っている。光は頭を抱えた。
画面の向こうでは竜真が「輝君、人気者だもんねー」と、変わらぬ笑みを湛えている。
「よし! 俺様は今からドイツへ向かうんだぜ! 着いたら連絡するから出るんだぞ! 着拒はナシだからな!」
叫びながら疾風丸を出現させ、それに飛び乗る。隠密モードとなり透明化した一人と一体は、文字通り疾風の如く颯爽と去っていった。
エントランスの方から破壊音が聞こえた気がしたが、一同は当然のように無視した。




