第五十五話『義兄弟』―5
家族を失う、というのは翔にとっても経験のある事だ。
それがとても“悲しい”、“寂しい”、“辛い”という事も体験し、理解している。当然、それらは環境によって個人差があるだろう。
だが、翔は東陽が今、自分が経験したものと同じ感情を抱いていると確信していた。数日前の自分では、ろくに理解できなかっただろうが。
東陽はこれから、独りだ。それは寂しいだろうし、辛くもあるかもしれない。
「どうせなら、名前でも変えて別人として生きていくっていうのもアリだと思うんだよね」
だからこその提案。“別人”は自分が受け入れさえすれば、存外、悪くない。翔はそう思っている。
翔は少しばかり、考え込んでいた。
「東陽さえよければ、俺の家のアパート――」
故に反応が遅れたのかもしれない。
否、翔の反応は速かった。
一瞬、大きく膨れ上がった殺気。翔が反射的に守ったのは、背後に居た光だ。脊髄反射に近い反応で後ろへ跳び、自身を光の盾にした翔が目にしたのは、服の背に赤いシミを無数に作っている東陽の姿だった。
小さなシミは徐々に広がり、次第に大きなシミになり、東陽は座り込んだ姿勢のままゆっくりと横へ倒れた。緊張の糸が張り詰めている中、彼の動きだけがスローモーションのようだ。
何者かに攻撃されたのだと脳が理解するまでに、時間はかからなかった。
周りに新たな人の気配はない。
カサ、と木の葉の隙間から何かが飛び出した。ひらりと飛ぶそれは、紅い蝶。人の顔程の大きさをした、燃えるような紅い色が翻る。普通の蝶と違う点は、大きさと触角の代わりに筒のようなものが飛び出しているところだ。
何故、と考えるより早く、再び蝶からの殺気が膨れ、弾ける。同時に、“筒”から何かが飛び出した。連続で。
翔はソレを炎で蒸発させようとしたが、そこに物体は無かった。炎が揺らめき、翔の体に穴が空く。幸い、貫通は防いだ。
あーあ、と自分の体を見下ろしていた翔が、恵未に教わった呼吸法で傷を塞ごうとした時。翔の耳に、念仏のような声が届いた。
拓人の“不動金縛りの法”。
蝶の動きが止まり、その場に落ちる。死んではいない。
「それ、昆虫にも使えるんか。便利やな」
拓人の後ろで祝が感嘆の声を上げた。
「コレは元々、人外用の呪法だ。っつか、親父が昔謙冴さんに教えてもらった法らしいから、翔も使えるはずだろ」
「初耳。俺は父さんからそんなの教わってない。父さんが使ってるのも見た事ないよ」
天馬家は末子が家督を継ぐ、変わったしきたりのある家系だ。技術の継承云々についても複雑な何か――能力と立場に応じて獲得技術に差があるのかもしれない。と、拓人はそれ以上、翔には言及しなかった。
祝は祝で、呪禁師さんの技やなかったんか。と驚いている。
動かなくなった蝶を観察してみると、筒は銃口のようにも見えた。しかし、弾倉はない。弾もない。
原理は分からないが、空気砲のようなものを発射したのかもしれない。
拓人が蝶の写真をスマホに収め終えると、翔は巨大な蝶を塵も遺さず燃やした。
「キメラを作ったユウヤと東陽を間違えたのかもな。怨みは計り知れねぇだろうし」
蝶に人間が合成されていたのかは、翔たちには分からない。だが、自分の身体を別のものへと変化させたユウヤを恨んでいる可能性は高いだろう。
他にも特殊な力を持った生物が残っているかもしれないからと、拓人と祝は見回りに向かった。
翔は東陽の傍らに座り込んだ。
顔だけ見れば、眠っているようだ。
「折角仲良くなれたのにね。神も仏もないって、この事かな?」
折角生きようとしてたのにね、と茶色がかった髪を触るも返事はない。
「悲しい?」
光が問う。
翔は肩を竦めた。
「悲しい……のかな。寂しいのかもしれないね。ねぇ、東陽はもう逝っちゃうの?」
振り返ると、半透明の東陽が漂っていた。申し訳なさそうな顔をして、頭を垂れている。
『すみません。折角、翔さんがやり直す話を提案してくれたのに……』
「それは別に良いよ。東陽の方が無念だろうし。でも、東陽に生きててもらいたかったのは本当。こんな時、何て言えばいいのかな……。残念……かな?」
『僕に生きててもらいたいって思ってくれる人が居るだけで、僕は救われますよ』
東陽は綺麗な顔に笑みを浮かべ、齢十四歳とは思えない思いきりの良さを口にする。
彼の人生がその言葉を紡がせるのかと思うと、光の方が泣きそうになった。しかし、彼女は東陽にかける言葉を持ち合わせていない。“残念”。それに尽きる。
「そっか。俺はもうちょっと東陽と居たかったんだけど……仕方がないね」
覚悟を決めた者に、この世に留まるよう言うのも酷だろう。
翔は手をひらひらさせてこう言った。
「ばいばい」
『ありがとうございます。翔さんも、光さんと仲良く。お元気で』
潔い。と言えばその通りだ。立つ鳥跡を濁さずとも言うが、東陽は気持ちが良いほど、あっさりと逝った。
「冥府で皆と再会できたら良いね」
翔は誰にともなく言葉を溢していた。聞いていたのは、光のみ。
「そうね」
光はそれ以上の答えを持ち合わせていなかった。ただただ、翔の言葉に同意し、祈る。東陽の魂が安らかで在らんことを。輝が見れば嗤うであろう行動だが、それによって同時に光の心も落ち着いていく。
翔は静かに、両手をそれぞれ、東陽とイツキに向けた。




