第五十四話『別れ』―5
校舎が崩れて五分。
翔は光をお姫様抱っこした状態で、雪乃の作った蔓の上に居た。
バリケードの頂点。
穴のあいている縁に腰かけて、崩れていく学校を眺めていた。
地鳴りのような音が消えても、土埃は収まらない。
地面は雨で少し湿ってはいるが、建物から出た小さな破片や粉塵がまだ舞っている状態だ。
大きな建築物の倒壊現場を生で見た光は、言葉を失くして翔の首に掴まっている。
誰か瓦礫の下敷きになっているかもしれない。
イツキは気を失っていたし、《S級》の三人は持ち場の一階に居るはずだ。
「あ。あれ……」
光が指先で翔の視線を導く。それは体育館の前だった。
薄暗くなってきた景色の中に青白い灯りが広がっている。
「凌かな?」
翔は校舎倒壊時、凌が体育館の屋根へ飛び移るのを見ていた。
「音も鳴りやんだし。そろそろ下に降りてみようか」
光は無言で頷いた。
まず向かったのは、灯りの見えた体育館。
そこには、沢山の合成生物たちが血や体液を流して倒れていた。
只の人間にしか見えない者から、全く人間の面影が無い者まで。
様々な異形が息絶えている。
元々白い光の顔が、徐々に蒼くなっていく。
翔はそんな光の手を引き、合成生物の死体を跨ぎながら、青白い光の元へ歩いた。
光の正体はやはり凌で、瀬奈と澄人と自分を守る形で分厚い氷のドームが体育館の前に鎮座している。
翔と光が歩いて来たので、もう危険はないと判断した凌は氷を消した。
瀬奈が「凌さんありがとー! でも寒かったぁ!」と、凌に抱きついている。
凌は別人のような営業スマイルでそれを受け止めた。が、抱き返すわけでもなく、無言だ。
澄人は寒そうに腕を摩っているが、大きな怪我もなく周りをキョロキョロ見回している。
少し離れた場所には朱莉が立っていて、その横に、股間を両手で押さえた全裸の霊――浩司が浮いている。
「翔さん、許嫁さん見付かったんですね」
朱莉は金髪人形の頭を撫でながら、良かったですね、と少しだけ表情を和らげた。
「朱莉も笑った方がかわいいよ。もっと笑いなよ」
「善処します。ところで、許嫁さんが険しい顔をしていますよ」
真顔に戻った朱莉に指摘されて振り返ると、光が据わった眼で翔を見ていた。
「許嫁さん、安心してください。私は秀貴さん一筋ですから」
朱莉と秀貴の関係を知っている翔は頷いたが、光は予想外の名に瞬きを繰り返している。
「えっ……っと、秀貴さん? って、拓人君のお父さん……よね?」
そんな、分かりきっている事を口に出して確認してしまう程、困惑していた。
朱莉は朱莉で、当然だと言わんばかりに胸を張って返す。
「そうです。私の恩人。この世で最も大切な人です。いずれ必ず、拓人さんに私の事を『お義母さん』と呼ばせてみせ――」
「誰が呼ぶか! 何度も言わせんな!!」
ガタガタと瓦礫を押し退け、校舎の残骸の中から拓人と祝が現れた。
それと同時に、朱莉が小さく舌を打つ。
「いやぁー、拓の突貫塹壕が無かったら死んどったかもしれへんな」
祝が黒い腕を天に向けて伸びをしながら言った。
隣では拓人と朱莉が睨み合って「絶対諦めさせてやる」「それは不可能です」などと言葉の応酬をしている。
祝がぽつりと、
「それやったらもう、お前らが付き合えばええやんか」
と半眼で呟けば、「絶対に嫌」だと二人の声が揃って返ってきた。
祝が心の中で、息ピッタリやん……、と小さくツッコミを入れていると、今度は翔が「だめだよ」と口を挟んできた。
「拓人が誰かと付き合ったら、竜忌が怒り狂っちゃうよ」
「え……竜忌まだ拓の事諦めとらんのん? っちゅーかソレ、拓の人権が脅かされとるやん……」
祝がげんなりしていると、次は明るい声が割って入ってきた。
「ナニナニー? コイバナぁ? あーしも混ぜてぇ~!」
笑顔を引き攣らせた凌の腕に絡みついている瀬奈と、銃を構えたまま周りを警戒している澄人と、やはり股間を押さえている霊体の浩司。
それと、人間の子どもサイズのサボテンが歩いてくる。人間だと錯覚するような佇まいだ。
『おいお前、ミドリを置いてくなんて酷いじゃねーか』
元々ミドリの使役者である威の相方だった浩司が、朱莉を非難する。
朱莉は、浮遊している浩司を半眼で睨んだ。
「ミドリ……威が入ってるんでしょ」
びくっ。
浩司の顔が引き攣り、しゃなりしゃなりと歩いていたミドリの動きが止まった。
「おかしいと思ってた。ミドリの事なら浩司の方が詳しいのに、何で置いて行ったのか……って」
ミドリが居れば、浩司の逃亡も成功していたかもしれない。
そして、雪乃が自分で連れているのではなく、わざわざ朱莉に渡してきたのも疑問だった。彼女は、植物の声を聞くことが出来る。
つまり、雪乃はミドリの姿をした威の希望を聞いて、ミドリを朱莉へ託したのだろう。
朱莉は、そこまで仮説を立てていた。
「でも、私、威とは一緒に居たくないから」
キッパリ言い放つと、サボテンの姿をしているミドリから威の霊魂がふわっと浮き出てきた。
ぐしゃぐしゃにベソをかいている。
『あかりちゃぁあん……』
「うるさい。しつこい」
生前と全く同じやり取りを見て、浩司が嘆息した。
『分かった。威はオレが連れて逝くわ。嵯峨は好きに生きろよ』
「私は今、好きに生きてる」
反論され、浩司が苦笑する。
拓人の傍まで行って、耳元でこそっと、
『オレ、今なら副会長に同情できます』
「そーだな。あいつ、カワイソーな奴なんだよ……」
その頃、秀貴がくしゃみをした所為で飛行機が大きく傾いたのだが――一同は知る由もない。




