第五十四話『別れ』―2
「何やあいつ。今度はオールバックの兄ちゃんに入りよったんか」
祝はもう、呆れてしまっている。
意識の戻ったユウヤはというと、イマイチ状況が呑み込めていないのか呆然と周りを見回している。
その中で、血溜まりにちょこんと乗っている手まり……否、自分の姉の頭部にピントが合うと、ヒステリーを感じさせる絶叫を上げた。
金属を擦り付けるような、声変わりもまだの叫び声。
更に、周りを手当たり次第に捩じり始めた。
自制がきかなくなっているのかもしれない。
窓ガラスは割れ、サッシは縄のように曲がり、外に面した廊下の壁は柔軟性が足りず、砕け散る。
「てめぇら、よくも姉ちゃんを!! 死ね! 死ね!!」
端正な顔を憤怒と恨みで歪め、この場に居る三人を般若の形相で睨みつけた。
それに対して「いや、やったのお前だから」と瞬時に言える人物は居なかった。
そして、いつの間に逃げたのか――イツキの姿もなくなっている。
気付いた拓人が、ユウヤの捩じり攻撃を回避しながら声を張った。
「凌、洋介が逃げた! ここはいいから洋介を追え!」
今、洋介が入っているのは高速移動が出来るイツキだ。
追いたいが、どちらへ逃げたのかも分からない。
ただ、洋介は先刻『シロが他のキメラを放った』と言った。
となると、彼の性格からして安全な場所からそれを眺めようとするだろう。
そうであれば――「屋上……」。
ぽつりと呟き、凌は天后と屋上へ走った。
二階には、拓人と祝と天空と、逆上しているユウヤだけが残っている。
ユウヤが腹立ち紛れに辺りを捩じり散らしているので、そろそろ天井が落ちてきそうだと察した拓人が舌打ちをした。
同時に、胸中で苦虫を噛む。
(何か、自分を見てるみたいでスゲェ嫌だ)
自ら黒歴史と言い表した頃を思い出し、米神が痛くなった。
苛立ちも込み上げる。
「あぁもう! おいガキ! ユウヤ! 聞け! 止まれ! てめぇの姉ちゃんの体をよく見てみろ!」
今まで叫びながら破壊行動を繰り返していたユウヤが、ぴたりと止まった。
「姉ちゃん……?」
首から上だけを動かし、マヒルのネジのようになった体へユウヤの目が留まる。
絞られた雑巾のような体からは、骨や内臓がはみ出していた。
その形状は、ユウヤの見慣れたもので――。
霞がかった暗い世界の中で体が勝手に動いて、最愛の姉を捩じり殺した記憶が蘇る。
光沢のある黒地の布に在る虎の刺繍から突き出した、どこのものかも分からない骨を呆然と眺めた。
“虎ってカッケェよな! 牙とかスゲーしさ! でもこいつら、狩りが下手くそなんだって。めっちゃカワイくね!? ギャップ萌えってヤツだな!”
屈託なく笑う姉の姿が、脳裏で再生される。
小さい頃に親を事故で亡くし、頼れる親戚もなく自分とアサヒを育ててくれた。
いつも笑顔で、小さな体で働いて。
その所為で学校へはろくに行けず、行っても居眠りばかりしていたからか頭は良くなかったが。
だからこそ、自分は沢山勉強して姉を助けようと思った。
しかし、いくら働いても金が無い。
そんな時に現れたのが、イツキだ。
彼には教養があった。
だが、自分から姉を奪う存在でもあった。
ユウヤはイツキの事が気に入らなかったが、ある日、彼はこんな話をしてきた。
「バイトじゃ金は集まらない」
じゃあどうすれば良いのかと訊いた。
すると彼は目を細めて、
「無いなら奪えば良いんじゃないかな?」
と、立派な日本家屋を指差した。
それが地元の暴力団員の住む家だと知ったのは、金を奪いに忍び込んだ時だ。
金も人員も奪った。
その連中に聞いたのが、ユウヤたちと似た、不思議な力を持つ奴らが集まっている組織の話だ。
孤児を保護している場所が一番入り込みやすそうだったので、双子の兄に行ってもらった。
それが《自化会》だ。
金も技術も人材も奪ってやろうと思った。
中でもとりわけユウヤの好奇心を刺激したのが、“合成生物の造り方”だった。
団員も戦力も増え、上手くいっていると思っていたのに……、コレだ。
「姉ちゃんの居ない世界なんて」
ユウヤが体の中心に力を込めた瞬間、乾いた音がひとつ、ユウヤの耳に届いた。
一瞬、鈍器で強く頭を殴られたような衝撃があったが、そこでユウヤの世界は真っ黒に染まった。
「あー……年下殺すのって精神的にくるなー……。しんど」
銃口を下へ向け、ヒビだらけの壁に背中を預けて拓人は太く長い息を吐いた。
「関東者が関西弁使うなや。気色悪い」
「いや、最近よく聞くから、その内標準語になるんじゃね?」
拓人の言葉に、祝が渋面を作る。
「あと思ったんやけど、拓って人を殺すん向いとらんのとちゃう?」
「は? 今更気付いたのかよ。お前と一緒にすんな」
マヒルとユウヤがその辺で浮遊していないか確認しながら、拓人も顔を渋くする。
組んで仕事をしていた頃に嫌な素振りを見せなかった拓人なので、祝は少し驚いた。
「嫌々やっとったん?」
「だからこその、罪悪感の少ねぇ銃だろ」
まぁ、こいつにも愛着あるから今更手放す気もねぇけどな。と付け加えながら、銃をホルスターへ滑らせた。
「んじゃまぁ、体育館から出てきたキメラも気になるし、下りるか」
拓人は伸びをすると、祝と共に地獄絵図と化した二階を後にした。




