第五十二話『正義と矛盾』―2
「あ、ごめん、東陽。忘れてた」
光を背後へやりながら、翔が東陽へ謝罪した。続いて、何か思い出した合図のように両手をポンと合わせる。
「あともういっこ。ごめん。前に俺と拓人の事見てたのが東陽だって気付かなくて。あの頃の俺、物忘れ酷かったから」
東陽は東陽で、いつの話だっけ? といった感じだ。少し考えて、翔の眼に小石がぶつかった時の事だ――と気が付いた。まだ二人が対面する前。ユウヤと共に、《自化会》の上級者を視察していた時の事。
「僕も忘れていました。目、痛そうでしたね」
「ジワッとしてジンジンする感じ。気持ちよかったよ」
にこりと笑って、当時の感想を述べる。東陽の笑顔が引き攣ったのは目に入れず、翔は続けた。
「ねぇ、東陽はどうしたいの?」
どう? と訊き返され、翔は東陽の顔を正面から見据え、更に大真面目に訊き返す。
「世界征服、したいの?」
「世界征服なんて、出来るわけないじゃないですか」
即答された。だが翔は、違う、と笑いもせずに言い返す。
「出来る、出来ない、じゃなくて。したいか、したくないかって訊いてるんだよ。まぁいいや。質問を変えるね」
翔は一度目を瞑って肩を竦めると、再び口を開いた。
「弱い者いじめして、楽しいの? 俺たちに嘘ついて、楽しかった? 東陽は、どうしたいの?」
質問が増えた。
東陽は眉を下げる。肌にじんわりと汗が滲んできた。
「別に、弱い者いじめだなんて……」
「普通の人を合成材料にするのは、弱い者いじめじゃないの?」
あれは、ユウが勝手にやっている事で……。東陽はそう小さく呟き、バツが悪そうに俯いた。ユウヤの倒錯的な行いには、双子である東陽も辟易しているようだ。
翔は表情を変えない。怒っているのか、呆れているのか、表情から情報を得るのは困難だ。
「一緒になってやってるって事は、東陽もユウヤと同じ考えって事だよね? それとも、ユウヤが東陽の事を弱い者いじめしてるの?」
東陽は答えの正解が分からず、押し黙った。その姿は、言い訳を考える子どものようにも見える。
「どうせ、特殊な力を持ってるせいで子どもの時にイジメられたとか、蔑まれたとか、そんなくだらない理由なんでしょ」
「くだらなくない!」
はっきりとした、絶叫にも似た怒鳴り声だった。
翔は少しだけ口角を上げ、じゃあ何? と、幾度目かの質問をした。
東陽は十四歳。いつもは落ち着いた笑顔をしていて大人びて見えるが、今は年相応の子どもらしく、泣き出しそうな顔を耐えようと歪めている。震える唇を開き、震える声を発する。
「確かに、翔さんの言った通り……迫害もイジメもありました。でも、それを『くだらない』だなんて言わないでください」
「本当の事だし」
「ちょっと、翔……言い過ぎ……」
たまらず後ろから光が口を挟むが、翔に手で制される。光にも多少思う所があり、東陽に同情の念が生まれているのかもしれない。
しかし、そんな事は翔の気には留まらなかった。
「この日本は、とても住みやすい。個人としてではなく、集団としてね」
話がどちらの方向へ向いたのか分からず、東陽も光も疑問符を浮かべた。
「超能力だっけ? その所為でイジメられるなら、そんなものは隠しちゃえばいい。見せびらかすから『異質だ』って気味悪がられる。でしょ?」
光は翔の話を聞きながら、あなたは隠せてないわよね、と思ったが黙っておく。
「あ、俺は人間にどう思われようと構わないから、こんなだけどさ」
それでも、人目につく所ではミミズは食べないし、飛んだりも滅多にしないよ。と付け加えられた。
「でも、ふとした拍子に力が働く事があるじゃないですか……」
東陽の声は弱々しい。
対して翔は、飄々と言って退ける。
「『皆はこれ出来る? 出来ないよね? 俺ってスゴイでしょ』って開き直っちゃえばいい。いっぱい舎弟が出来るよ」
これは実際の翔の体験談となるのだが……残念ながら、東陽には響かなかったようだ。
「それは翔さんだから出来るんです。皆が皆、そんなに強くないんです」
「人間を蹂躙して統御しようとしてる奴が何言ってんの?」
翔は翔で、わけわかんない、と目を据わらせて言った。東陽も子どもだが、翔も大概こどもだ。精神年齢でいえば、東陽の方が上かもしれない。低レベルな言い争いから脱しない。
「自分を受け入れない奴は殺してしまおうって? 自分と違う奴は気に入らない? それ、結局最後は自分ひとりになるよ。だって、同じ個体は存在しないんだもん」
だから、意見の違いや軋轢が生じるのも仕方のない事。それを受け入れられないのなら、極論、独りになるしかない。
「自分で自分の居場所を作ろうとするのは、すごくいいと、俺は思うよ。でも、その為に生き物をたくさん殺すのは、良いとは思わないな」
あ、これ、人間的な考え方ね。と、翔は手をひらひらさせた。
「人間と一緒に暮らす以上、最低限は俺も様式に従わなきゃね。人間の事が好きな神にどやされちゃう」
人間の事が好きな神――つまり、人間たちと共に在る神。人間の事が嫌いな神は、そもそも人間の世界に寄り付こうとはしない。
「弱い者いじめをしてる東陽たちは、消さなきゃ」
「正義のヒーロー気取りですか?」
東陽の指摘に、翔が目をぱちくりさせた。首を傾け、違うよ、と答える。
「俺の自己満足。それに、東陽やその家族からしたら、俺は悪者でしょ?」
東陽は顔を顰めたまま。翔が何を言いたいのか、全く分からない。
もしかしたら、何も考えていないのかもしれない。そう考えが過った時、翔が、クイズしようか、とまた訳の分からない事を言い出した。
「2001年くらいだったかな? とある会社が、洗剤の要らない洗濯機を発売したんだよね」
弱い者いじめがどうとか言っていたのに、急に家電の話になって、東陽は勿論、光も困惑した。
しかし、翔は一人で話を続ける。
「本当に水だけで汚れが落ちるから、すっごく売れたんだよね。しかも、水を使わない洗濯機まで作ってたんだけど……数年後、優れた洗濯機は会社ごと消滅した。クイズそのいち。何でだと思う? ヒントは、洗剤が売れなくなったら困る人」
ほぼ答えを言われている状態で、東陽はおずおずと、洗剤を作っている会社に潰されたんですか? と質問する形で答えた。
「そ。石鹸洗剤工業組合にね。じゃあ、クイズそのに。悪者はどっち?」
クイズなど本気でやるつもりのなかった東陽だが、考え込んだ。
洗濯機を作ったメーカーは、環境の事を始め人々の暮らしを豊かにする為、心血を注いでその洗濯機を開発したのだろう。洗剤を使わないなら、家計も助かる。アレルギーやアトピーを持つ人も安心できる。
しかし、洗剤が売れなくなれば洗剤を作っている人々の暮らしはどうなるのか。仕事を失くし、路頭に迷うかもしれない。
「ほら、お互いが悪者でしょ」
翔は軽口を叩く。
「まぁ、俺からすれば組合が悪者だけどね。努力して成果を出したヒトを、寄ってたかってイジメるなんて、カッコ悪いよね」
当然、水だけで落ちないガンコな汚れもあっただろう。石剤工に所属する会社が、そういった汚れを確実に落とせて、尚且つ人体に害の少なく環境に優しい洗剤を開発していたなら現在の洗濯事情も変わっていたかもしれない。
(日本の洗剤って、CMで大口叩いてる割りに、汚れが全然落ちないのよね)
自分の衣類は自分で洗濯している光は、心の中で嘆息した。
翔は思い出したかのようにポンと手を叩いて、
「じゃあ、最初の質問に戻るけど……」
東陽は、どうしたいの?