第五十一話『トラウマ』―4
凌の記憶では、つい先日が初対面のはずだ。
自然と眉間に力が入ったのをすぐに解し、凌はひと言。
「そうなんですね」
凌の仕事は、あくまで洋介の殺害。長話をして余計な感情が顔を出しては、仕事がし辛くなる。それに、彼の言う“秘密”など、どうせ《P・Co》のデータベースに載っているような情報だろう。そう結論付けて、腰の脇差に手を添えた。
今度は逃がさぬよう、一撃で確実に仕留められるよう、焦点を合わせる。
ジリ、と左足を下げた時――、
「お母さんに押し倒されるって、どんな気分だった?」
ピタ、と凌の動きが止まった。否、刀の柄に添えられている手が僅かに震えている。
「君のお母さんはよっぽど敏晴さんの事が好きだったんだね。彼が死んで、君の事を敏晴さんだと思い込んじゃうくらい精神が壊れちゃうなんてさ」
「なん……で、それを……」
体制はそのままだが、明らかに動揺している凌に、天后も狼狽えた。
「え、何、何? 凌、大丈夫?」
そんな天后は視界に入っていないと言わんばかりに、洋介が続ける。せせら笑いを挟みながら。
「『何で』って、幹部クラスの人間が、翔の爆発の所為で死んだんだ。家族のアフターケアは必須さ。で、君の家の様子見は僕が担当したんだけど……。君の母親が壊れる様子といったら、傑作だったね。勿論、経過観察は“異常なし”って報告したよ」
洋介は遠足の思い出でも聞かせるように、実に楽しそうに語る。
凌の額に、うっすらと血管が浮き出た。
「元モデルだっけ? グラビアもやってただけあって、美人でいい体つきのお母さんだったよね。あの夜自殺しちゃって……惜しかったなぁ。君の家の喜劇、もっと見ていたかったの――」
「に」と笑った顔のまま、洋介の頭が床へ転がった。
洋介の首に一閃が走ったのは、彼が『喜劇』といい終わった時だった。
『あぁ、でも』
凌の耳元で洋介の声がする。
ハッと振り返ると、霊体となった洋介が、同じく霊体のシロと共に居た。
『僕の報告が嘘だって、会長は気付いてた筈だから……つまり、あの人も同罪って事だよね』
すう、と壁に吸い込まれるように姿を消す洋介に向かって、凌が手元にあるビーカーを投げつけた。が、当然当たりはせず飛散。
洋介はシロと共に姿を消した。
「あーッ! クソ! やっちまった!!」
頭を掻き毟る凌に、天后は励ましのつもりで、
『大丈夫よぅ。だってまだその辺に居るはずだし、あたしも探すの手伝うから』
珍しくおろおろと声を掛けている。
「ちげーよ!」
鬼気迫る顔で怒鳴られ、天后がビクリと体を強張らせた。
怯えに似た天后の表情を見て、凌はすぐに深呼吸をして肩の力を抜く。
「悪。違うんだ。いや、あいつは追わなきゃなんねーけど……そうじゃねーんだ。あいつが挑発してきてんのに気付いてたのに、怒りに任せて勢いで殺っちまった……」
『あら、そんな事?』
「そんな事じゃねぇ! ばか! 相手の思惑にまんまとハマったんだぞ!? こんな失態あるかよ! ばかっ!」
ばかって二回も言った……。そんな事でショックを受けている天后を尻目に、凌は洋介が落としたリュックを背負った。
「はぁー、なんか、一気に疲れた。洋介を相手にしてると、翔が可愛く思えるな」
『それ、朱雀の坊やが聞いたら喜ぶわよぉ』
「……あんな奴と比べられても嬉しくねーだろ」
盛大な溜め息を吐く凌について走る天后も、それもそうね、と肩を竦めた。
同時刻、翔がくしゅんとくしゃみをした事を、凌と天后は知る由もない。
◇◆◇◆
「コーセー、暴れないで……いい子だから」
プレイルームで、ミコトはコーセーを連れ出す準備をしていた。だが、場の空気がいつもと違う事を察したのか、コーセーが全く落ち着かない。
「ああ~もう……どーしよー……ボスもイツキ様も上へ行っちゃったし……」
ミコトが手を焼いていると、彼女の足元に居る黒猫の耳がピンと立ち、ピクピク動いた。
「なぁ、なぁっ!」
「どうしたの? ナオミ君」
黒猫が、猫らしからぬ動き――前脚を上げて部屋の天井を指し示す。
しかし、黒い前脚の先には何も居ない。ミコトには、何も視えない。それでも、黒猫――尚巳には視えている。
霊体となった洋介がミコトに迫り、そして――
◇◆◇◆




