第四十九話『敵襲』―5
「お父さん!」
臣弥の元へ向かおうと、寿途が車椅子を方向転換させたと同時に、するどい声が飛んできた。
『康成さん、こっち!』
半透明の赤い女が現れ、何かに抱きつくように腕を丸めた。
寿途には視えないが、“そこに何か居る”事は感じ取れる。
そこを、ワイヤーのついた包丁が突き刺した。
ワイヤーに引かれ、包丁は康成の手元へ戻っていく。
先程の比ではない赤い飛沫が、勢いよく飛散した。
『寿君、蔓的なものを伸ばして康成さんを屋上まで引き上げてくれる?』
姿を現した合成生物が落下していくのを背景に、千晶が言った。
「でも千晶、お父さんが……!」
涙ぐんで狼狽える寿途。
千晶は落ち着いた声で行動を促す。
『しっかりしなさい。大丈夫だから』
寿途の蔓に引き上げられて屋上まで来た康成はまず寿途の頭を撫でて、よく頑張りましたね、と労いの言葉を贈った。
そしてそのまま、寿途の車椅子を押して階段の方へ向かおうとする。
「え、ちょっと待って……お父さんが……」
寿途が慌てて振り返ると、目から滝のように涙を流して立っている臣弥の姿があった。
「ふたりとも、ヒドイじゃないですかぁー! 私、怪我してるんですよ!? もっと心配してくださいよぉー! あだだだだっ」
「それだけ叫ぶことが出来れば元気です。安心しました」
康成は呆れた様子で、寿途の車椅子を反転させる。
寿途は何が起きているのか理解できないのか、康成と千晶の顔を順に見て瞬きを繰り返した。
『怪我してんのは本当なんだから、じっと寝てなさいよ』
千晶は空中で胡坐をかいて、頬杖を突いた。
三十半ばの中年はというと、未だに涙を流しながら背中を丸めてしゃくり上げている。
「うぅ……だって、私が重傷となったらトシがどんな反応をしてくれるのか気になって……」
「そんな人を試すような事ばかりしているから、翔様や拓人君に嫌われるんですよ」
「えぇー? 私、嫌われているんですかぁ?」
わざとらしく驚く臣弥をぶん殴りたい衝動に駆られながら、康成は臣弥の背中を確認する。
傷自体は深くない。
それでも、傷の範囲は広く、出血が多いので完全に安心は出来ない。
「僕と千晶さんで残りの合成生物が居ないか確認して回るので、寿途君は会長や他の負傷者と一緒に病院へ向かってください」
車が来るまでは応急処置をお願いします。
そう言い残し、康成は千晶と共に階段を下りて行った。
ふと見上げた空は青く澄んでいる。
ふわふわと浮いている雲を眺めていると、寿途は肩が軽くなった気がした。
実戦経験が殆どなく、かなり気を張っていたのかもしれない。
「背中の傷、塞いでからおりよう」
負傷者が多数いるので、自分の役目はまだ終わっていない。
そんな事は承知しているが――寿途は一先ず、安堵の息を吐き出した。
臣弥の傷の処置を行うために臣弥の傍らまで車椅子を滑らせる。
臣弥はそれに歓喜した。
少し過剰かと思う程、臣弥が何らかの植物の葉でぐるぐる巻きにされていく。
その様子を、烏が一羽……貯水タンクの上からじっと見ていた。




