第四十九話『敵襲』―2
康成と千晶が到着した中庭では、蝶の翅を背中に生やしたスーツ姿の女が会員と交戦していた。
「あれは見えますね」
康成が千晶に言う。千晶は眉を顰めた。
『あたしにはずっと見えてるから、逆に分からないわ』
臣弥の言っていた“制限時間切れ”というやつだろうか。そう思っていると、蝶羽女の他にも、蜂のような翅を生やした蜘蛛のような生き物も浮き出るようにその場に出現した。
ただ、こちらは人間の要素が少ない。
首から上だけが人間で、体はセアカゴケグモ。その背中に、オオスズメバチのものと思われる翅があるのみ。
いや、蜘蛛の尻からは康成の腕ほどの太さの針が出ている。
『うっわー。すっごい! 毒! ってカンジー』
「それもですけど……今まで人間ベースのキメラが多いイメージだっただけに、コレはちょっとビジュアルに引きますね……」
唯一人間の面影がある頭部ですら、顔は青紫色。
目、鼻、口の周り以外は短く黒い毛に覆われている。
『アクションゲームの敵キャラみたいね』
千晶が呟いていると、会員と交戦している蝶羽女がスーツジャケットの胸ポケットから小さな瓶を取り出し、蓋を開けて中身を飲み込んだ。
香水を入れるディフューザーのようなものも取り出して、自分へ向けて噴霧している。
少しすると、蝶羽女の姿が徐々に消え始めた。
「へぇ。透明になる薬って内服と外用に分けられてるんですね」
『康成さん、呑気な事言ってないで行くわよ』
千晶は蝶羽女の方へ向かっていたのだが――、
「私、大丈夫です。先に蜘蛛蜂男をお願いします」
まだ“少女”という表現が自然な、細身で小柄な会員が助っ人を拒んだ。
千晶には、蝶の鱗粉らしきものが少女の体へ降り注いでいる様子が見える。
吸い込めば確実に肺がやられるだろう。
蝶羽女も、鱗粉を振りかけるだけではなく、手に持っているナイフで少女に襲い掛かろうとしていた。
危ない! 喉まで出掛けた叫びが、引っ込んだ。
ナイフは少女に当たる寸前で、ボヨンと押し戻されている。
よく見れば、鱗粉も少女の体には届かずに地面へ落ちていた。
まるで、見えない膜のようなものを纏っているようだ。
千晶がポカンと口を開けていると、康成が蜘蛛蜂男の脳天に包丁を突き刺して言った。
「彼女は《A級》の中村愛さんですね。《A級》の子は拓人君の護符に守られているので、ある程度は安心のようです」
パン、パン、と乾いた銃声が二回響き、クリーム色のような体液が噴き出した。
数秒後に、蝶羽女の死体が姿を現す。
その首にある黒いリングの中央が、赤く点滅を始めた。
『え、何これ』
先程、康成が殺した蜘蛛蜂男には見られなかった反応に、千晶の眉間が一気に狭まる。
そこで、康成が雪乃の報告書を思い出した。
「それ、爆発します!」
出来るだけ短く伝える。
千晶はともかく、愛は生身で至近距離に居る。いくら護符を持っているとはいえ、無事では済まないだろう。
爆発の規模も分からないので、康成も後ろへ跳んで距離を取り姿勢を低くする。
赤い点滅は次第に早くなり、間もなく爆発した。
半径三メートルほどを巻き込み、そこを包むように煙が広がる。
大規模ではないが、十メートルほど離れていた康成の所にまで爆風に乗って小石が飛んで来た。
煙と埃が風に流れ、原形の分からなくなった焦げた肉片が全貌を見せた。
肉片は辺りの木の枝にも引っ掛かっている。
爆心地の傍らには、へたり込んでいる愛の姿が確認出来た。少し煤けているものの、傷らしい傷は見当たらない。
『こんな凄いお札が作れるのに、何で拓人って天ちゃんと仕事をする度に傷だらけになってたのかしら……』
護符の効果に唖然とする千晶。康成は苦笑した。
「拓人君、自分の為に自作のお札は使えないみたいですから」
『ふぅん。ま、自分の為にああいった霊符が使えたなら、拓人ってもっと幸せな人生送ってるハズだものねぇ』
成山の血筋は代々呪禁師の家系。
大昔は“人を呪い殺すこと”に特化していた。人を呪わば穴ふたつ、と言うが、成山家の人間は自分の作った霊符の効果を自らに向けることが出来ない。
身を守るためのものは勿論、“恋愛成就”なども同様に。
ただ、細かく分類すると“守護符”と“放出符”があり、効果が外へ向く“放出符”は使うことが出来る。と、以前拓人に説明されたことを思い出しつつ、康成は立ち上がった。
座り込んでいる愛に手を差し伸べようと近付いたのだが……、
「ふふふ……ふふ。拓人さんが愛のこと守ってくれた……ふふふ……うれしい……」
自分を抱くように腕を絡ませ、うっとりと恍惚の表情を浮かべている愛の姿を見て、康成は高速で進行方向を変える。
「千晶さん、行きましょうか!」
にっこり笑って、他の声がする方へ走った。
『拓人って、何だかんだで女子人気高いのよね』
解せぬ、といった風に、宙を飛ぶ千晶が言った。
同じような表情で康成は、どうして、とぽつり呟いく。
千晶は頭上に疑問符を浮かべて、群青色をした康成の頭を見下ろした。
「どうして、翔様のことを慕っている会員が居ないんですかね?」
真剣な面持ちの康成とは逆に、千晶は肩の力が抜ける思いがした。
「いや、分かるんですよ。翔様は我が儘で頑固で……お顔も凛々しくはなくて、身長も男性平均より低いですし、傍若無人なところもあって……」
『ちょっと康成さん、それ、一個も褒めてないわよ』
堪らず千晶がツッコむ。
『あたしは天ちゃんのこと好きだし。強いから』
強さが恋愛対象に直結する千晶の言葉を聞いて、康成の表情が晴れとも雨とも言えぬものになる。
『っていうか、美人の許嫁が居るんだから、それ以外は必要ないでしょ』
それそのものが不満な千晶の、精一杯のフォローだった。
だが、康成としては義理とはいえ、弟が不人気なのは面白くない。
「まぁ、いいですけどっ!」
自分でもよく分からない不満を解消するかのように、姿を現した状態でキョロキョロしていた合成生物を始末する。
首輪は爆発しなかった。
『あの爆発って、ランダムなのかしら』
「死んだら作動する仕組みみたいでしたけど……全ての首輪には仕掛けられてないんですかね」
倒れた合成生物の心臓が止まっている事を確認する。首輪を見ても、やはり何も変化はない。
この合成生物たちの心臓は、人間と同じ位置にあるのだろうか……。そんな疑問が康成の脳内に浮上する。
虫の心臓――背脈管――は背中にあるはずだ。が、取り敢えず死んでいるのでヨシとする。
そんな矢先、本部の中からいくつかの爆音が聞こえた。




