第四十九話『敵襲』―1
時は少し遡り、翔たちが空港へ向かっていた頃。
「虫、来ないね」
寿途はグレープ味の炭酸飲料をストローで吸い上げながら言った。
《自化会》本部の食堂。純喫茶のような内装のここで、寿途と千晶はまったり過ごしていた。
『その内来るでしょ。まぁ……何にも来ないパターンもあるけどね』
千晶は宙に浮いたまま寝そべって寿途の様子を眺めている。
“何かがこっちに向かって来ている”、“数は多そう”、そんな情報しかない状態だ。それらの目的地が《自化会》であるとも限らない。
その場合、襲われるのは一般人だ。
それはそれで厄介なのよね、と千晶は思っていた。
『来るなら来てくれた方が一気に片付いて良いわ』
そもそも、迎え撃つ、よりも、乗り込む、方が性に合っているので、この待ち時間すら千晶にとっては、とてもじれったいものだった。
「あ、何か来た……かも」
寿途の黒い瞳が上を向く。しかし、外は微かに風の音がしているのみ。
気のせいかな? 寿途がそう思って再びストローに口をつけようとした瞬間――、
「わぁぁあああっ」
外から大きな悲鳴が聞こえてきた。
寿途と千晶が声のした方へ到着すると、腹部から出血している会員がふたり、地面に倒れ込んでいた。背後からではなく、正面から抉られている。
「傷……くっつける」
『だめよ。きっと手遅れ』
寿途がふたりの元へ向かおうとするのを、千晶が手で制す。
「だめじゃない。やってみないと分からない」
寿途は千晶の手をすり抜け、車椅子を走らせた。
初めて寿途に反論され、茫然としている千晶の横で呑気な声がした。
「これも成長ですかねぇ」
しみじみと言いながら、あんパンを頬張る黒尽くめの男。相変わらず、少々寝癖らしき跳ね毛がある。
『って会長!? こういう時、非戦闘員のボスは隠れとくモンでしょ!?』
「僕も隠れててくださいって言ったんですよ。でも聞かないんです」
会長である臣弥の隣には、呆れ顔の第二秘書の康成が立っていた。
「さて、大変です。千晶さん、敵が居たら教えてくださいね。出来れば詳しい位置を」
康成は右手に包丁を持っているだけの状態。それだけでも不安だというのに、更に不安になる事を言う。
『康成さん、もしかして英善より弱い?』
「さぁ。英善さんとは手合わせした事がないので、何とも言えませ――」
『康成さん、横!』
千晶の声が康成の耳に届き、康成は臣弥のスーツの背を掴んで後ろへ跳んだ。
だが、包丁を持っている右腕からは鮮血が噴き出した。
「嵐山さん、もう少し後ろへ」
「おやまぁ。本当に“見えない”んですねぇ」
呑気な臣弥の声に千晶が、はあ? と声をひっくり返した。
『見えないってどういうことよ! 見えるじゃない! 触角の長いキモ男が!』
千晶は怒鳴るが、目の前には何も居ない。
「これは洋介君の仕業ですよ。彼、最近体の色を変える薬を熱心に作っていましたからねぇ」
「でも、透明になる……なんて可能なんですか?」
千晶が『透明?』と怪訝な顔をしている。
千晶の目には特殊なコンタクトレンズが入っている。そのお陰で、様々なものが視える。視界のピント調整をする事で霊体はもちろん、サーマル機能も使えるハイテクコンタクト。因みに、義眼タイプならば更に機能が充実しているとの事だが、千晶は過去にこのコンタクトタイプを選んだ。
そのコンタクトを着けたまま死んだので、その効果を死後も使えているようだ。
康成は包丁を左手に持ち替え、再び後ろへ跳んだ。一拍遅れて、ガキンッと、硬いもの同士のぶつかる音がする。
臣弥はあんパンを咀嚼しながら唸る。
「まぁ、こうして実現出来ているのがその証拠……ですかねぇ」
ちらりと寿途の方を見て彼が怪我人の手当てを終わらせた事を確認すると、臣弥は走った。寿途の居る方へ。
康成よりはるかに索敵能力に長けた寿途の近くならば、ほぼ百パーセント安全だという考えなのだが……、革靴の臣弥は盛大に滑って転び、食べかけのあんパンが吹っ飛んだ。
「ああっ! まだ半分残っていたのに!」
「言ってる場合ですか!」
康成が盛大にツッコむ。
と同時に、千晶の鋭い声が飛んで来た。
『会長、逃げて!』
“逃げる”などという高等技術、臣弥は持ち合わせていないので、地面を転がった。地面が抉れ、破片と土埃が舞う。コロコロと、攻撃らしきものを間髪躱しながら、寿途の所へ辿り着いた。途中、破片や埃を吸い込んだのか、大いに噎せながら臣弥はよろよろと立ち上がる。
黒いスーツは汚れて白くなっているが、九死に一生を得た状態。
『会長、なんかすっごくカッコ悪ぅ……』
千晶は虫けらを見るような蔑みを臣弥へ向けた。
スーツはボロボロで、髪もいつもの五十倍くらいボサボサになっている。
「大丈夫。お父さんは、ぼくの近くにいて」
それに比べて、十二歳の息子の頼もしいこと。
寿途は臣弥の周りに木の蔓で壁を作った。
そこで、千晶はひらめいた。にんまり笑い、目の前に居る“キモ男”に接近し、そして――、
『康成さん! あたし諸共やっちゃってー!!』
強敵を捕まえた味方がよく言う台詞を叫んだ。見えない――千晶は触れもしない――何かに抱きつく形で。
康成には見えないが、そこに何かが居るのだという事は充分に伝わる。
勿論、千晶の言う“キモ男”も自由に動ける。触角が生えているらしい見えないソレ。ソレに抱きついているポーズの千晶が迫ってくる。その千晶の胸元を目掛けて、康成は包丁を投げつける。
包丁が宙で止まった。包丁に付いているロープを引くと、そこから赤い飛沫があがる。
『康成さん、ナイス!』
死んで血流が止まったからか、ソレは姿を現した。長い触角、背中には大きな翅、立派な大顎。口に収まりきっていない、牙のような歯も飛び出している。包丁は心臓に直撃したのか、胸元に刺し傷。そして、首には黒い首輪のようなものが巻かれている。
木の壁から這い出て来た臣弥も含め、四人は絶命しているソレを囲んで唸った。
声を揃えて言う。
「これ、何の昆虫でしょう」
『これ、何て昆虫かしら』
と。
体はカブトムシのようだが、頭には角ではなく長い触角が二本伸びている。腕や足は人間のものだが、皮膚が硬く、よく見れば腕からはギザギザとした、太いトゲのようなものも生えている。
「もしかして、複数の虫と合成されてます?」
意見を求めるように、康成が臣弥に問う。
臣弥も、そのようですねぇ、と頷いた。
決めつけていたわけではないが、昆虫と人間は一個体同士でしか合成されないという意識が頭の隅にあったので、一同は面食らっている。
「まぁ、鵺だって猿や虎や狸や蛇の融合体ですもんねぇ……」
『会長、科学者が幻想的生物を引き合いに出すのって、どうなのかしら』
千晶の指摘に、臣弥は差し指を横へ振って答える。
「その幻想的生物から細胞を摘出して活用しているのが、私です」
振っていた指を自分に向けてドヤッとしている臣弥を、千晶の赤い眼がジトッと見返す。
「しかし、会長がされている研究と、キメラを生成するのとでは原理が異なります」
康成の言葉には臣弥も、それはそうですけどぉ、と肩を竦めた。それも一瞬の事で、すぐに姿勢を正す。
「透過は、きっと時間に制限があるはずです。薬ですからね。で、薬であるなら対処方法もあります」
再び、臣弥は胸を張って言った。
「さて、寿途君は私と地下研究室へ。康成君と千晶さんは、他のキメラをお願いします」
指示を出すと、臣弥は寿途と本部の方へ行ってしまった。
秘書である康成は、寿途君が一緒なら大丈夫でしょう、と一度嘆息し、会員の叫び声がする方へ走った。




