第四十八話『出発』―2
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「やぁ秀貴。奇遇だね」
声がした方を見やると、頭から靴の先まで黒い優男が立っていた。その隣には、グレーのスーツを身につけた強面で恰幅の良い男が控えている。
「奇遇じゃねーだろ」
待たれていたのは明らかだ。粗方、《P×P》の紫頭に国際便の予約名簿でも覗かせたのだろう。
秀貴の予想通り、雅弥は頷いた。
「十一時五十五分発、乗り換え一回のベルリン行き。この搭乗口付近で待ってたら会えるかなーって思ってね」
相変わらず回りくどい男だと思う。連絡を寄越されてもろくに対応しない自分の所為だという自覚もあるが……。
秀貴は嘆息した。
「拓人君と翔君の事、心配じゃない?」
さほど気にしていなかった人物たちの名前を出され、瞼が落ちる。
「心配してどーなんだよ。何のためにお前んトコのお蛇様を家庭教師にやったと思ってんだ。あと、拓人の心配は端からしてねぇ。あいつは俺より優秀だ」
「知ってる。出藍の誉れってやつだよね。そりゃあ、昔っから君がいくら欲しくても手に入れられなかったものを持ってるんだものね」
そんな気は毛頭ないといった笑顔で嫌味を言ってくる。長年の経験から、本気で言っていない事は分かるが気分の良いものではない。
そんな秀貴の思考を読んだかのように、友人が言う。
「あ、嫌味じゃないよ」
ということは、
「嫌味じゃねーか」
半分そうかもー、と笑う顔に蹴りを入れたくなっていると、今まで秀貴の後ろに立っていた竜真が前へ出た。
「雅弥君が秀貴君のことを大好きなのは知ってるけど、それ以上うちの弟をイジメるなら僕、怒っちゃうかも」
というか、珍しく怒っている。口元は笑っているが、目が笑っていない。
「嫌だなぁ。保護者の前で本人をイジメるなんてしませんよ」
雅弥は肩を竦めた。
「ところで僕、拓人君にもフラれちゃってさ。次は翔君でもスカウトしようかなぁ」
どこまで本気か分からない口振りで思惑を吐露する雅弥に、何で俺に言うんだ、とまた瞼が下がった。
「やめとけ。あいつは多分――」
「秀貴君、そろそろ」
時計を指され、秀貴が踵を返す。
手を振って見送る雅弥に、秀貴がひと言。
「ウチの息子と甥に手ぇ出したら、いくらお前でも許さねーからな」
友人に忠告する様子を、竜真は心底嬉しそうな顔で聞いていた。
ふたりから遠ざかり、秀貴は「あいつら、結局何しに来たんだ?」とぼやく。
竜真はまだ嬉しそうに顔を綻ばせ、荷物を持って歩いている。それを怪訝そうに見られるものだから、口を開いた。
「血が繋がっててもきょうだいの縁を切る人も居れば、血が繋がってなくてもきょうだいだって言ってくれる人も居るなんて、世の中面白いね。秀貴君」
今し方、翔の事を『甥』と呼んだ事が余程嬉しかったようだ。
改めて言われると気恥しいものがあり、秀貴は首の後ろを掻いた。
「そりゃ……一緒に居た年数は短ぇけど、つぐみは俺にとって妹…………、いや、姉貴みたいなもんだしな」
『先生』、『師匠』という言葉を飲み込んで選んだ『姉』に、竜真の顔が更に緩んだ。
つぐみ――翔の母親。髪も瞳も表情も輝いていた、少女のような女性。
外界と接触のない環境で育ち、身内から手切れ金を渡されて身寄りのなかった秀貴に、人の中で生きる術や身に余り扱いきれていなかった特異な力の扱い方を教えたのが、彼女と竜真だった。
世話焼きのつぐみは、秀貴にとって『年下の姉』といえる存在でもある。
竜真には今でも頭が上がらない秀貴だが、つぐみとは遠慮なく喧嘩をする程仲が良かった。遠慮なく喧嘩の出来る、唯一の相手だった――とも言える。
「翔君と光ちゃんがデートしてるトコ見て、秀貴君泣いてたもんねぇ」
「泣いてねぇ」
「いやぁ、たまには弱音吐きなよ。お兄ちゃんいつでも受け止めるよ?」
「聞けよ」
聞こえないフリをされるのもいつものこと。
荷物を持ったまま両耳を押さえて、聞こえないよー、と言っている顔面に拳を喰らわせたい気持ちになる。が、呼吸をひとつ挟む。
どうせ聞こえないんだろう、と。もしくは、昔と変わらずここに居てくれる存在に感謝の念が湧いたのかもしれない。
つぐみは、兄である竜真のことをこう呼んでいた。
「行くぞ、兄貴」
ゴトッと荷物が落ちる音を背中で聞きながら、秀貴は搭乗ゲートへ急いだ。




