第四十七話『会議2』―4
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「Bitte! Bitte loss meine Hand los!」
それは幼くも力強い、秋虫のような幼女の声だった。
空には無数の星が輝いているが、月の姿はない。英国風の庭園に、大きな影がみっつ。咲き誇っている赤い薔薇と同じ高さの影がひとつ。大きな影は、その小さな影を囲っていた。
薔薇の為に煌々(こうこう)としているライトが、声の主たちの姿も浮かび上がらせている。
小さな影の周は、金色に輝いている。それは長い髪の毛だった。
「ちょーっとついて来てくれるだけで良いからさ。そんで、頼んだ奴を消してさえくれりゃお家に帰してやんよ」
縦にも横にも大きな影が言った。低い、大人の男の声だ。
「どうせ日本語分からねーんだ。無理矢理連れてって、仕事終わらせたらテキトーに売っ払おうぜ」
少し細い影が、焦りを感じさせる声で大きな男に向かって言っている。
もうひとつの影は苛ついた声で、どうでもいいけど早くしろよ、と急かした。
小さな影を掴んでいる大男は、ジャックナイフを広げた。幼女の体が固まる。
「おとなしくついてくりゃ、手荒な真似は――」
「キャァアアアッ!!」
それは、黒板を爪で引っ掻いたような声でもあり、濡れた指でグラスの縁を撫でたような声でもあった。
幼女の叫び声に耳を塞ぎ、目を瞑っていた細身の男が目を開けた時――
――ボトッ。
大男の肘から先だけが地面に落ちた。
もう片方の腕はない。
それどころか、大男の姿がない。
彼が立っていた場所も少し抉れている。
あまりの光景に、残された男ふたりは言葉を失くした。細身の方は腰を抜かしたのか、その場にへたり込んでいる。
幼女は浅い息を繰り返し、泣きながら、瞬きもせず「Estutmirleid.Entschuldigung.Entschuldigung.Entschuldigung……」と謝っている。
気が動転したのか、仲間を消された怒りからか、立っていた男が少女に殴りかかろうと腕を振り上げた。
幼女は咄嗟に目を閉じ、体に力を入れて身構える。
しかし、その拳は少女に届く事はなかった。幼女が目を開けた時、男は真っ赤な炎に包まれていた。
少女も残された男も、灰となった男が風に流される様子を呆然と眺めていたが、男は突然、地面を這うように両手両足をバタバタ動かし始めた。
少女から遠ざかろうともがいているのだろう。
「おじさんもバイバイ」
男か女かも分からない、幼い声がして――残っていた男も炎に焼かれた。
脱力し、幼女はその場にペタンと膝をつく。
「だいじょうぶ?」
幼女のピンチに現れたヒーローの姿を、ライトがぼんやりと浮かび上がらせる。
幼女と同じくらい……いや、少し小さい背丈だ。顔は丸く、特に頬はまんじゅうのように柔らかそうだ。頭全体の毛がぴょんぴょん跳ねている中で、てっぺんにある毛束だけが重力に逆らってのびていた。
その顔には、血に似た赤い色の目がふたつ灯りに反射している。
「あ……あれ……あなたがやったの?」
マシュマロを思わせる、むにっと柔らかい手が幼女の右手を引き上げた。
「うん。おれ、つよいから」
返事があって、幼女は目を皿のようにしている。
「あなた、ドイツ語がわかるの?」
「ドイツ語? しらない。聞こえることばにへんじをしてるだけ。それより君は、まじょなの? 男の人、きえたよね?」
「まじょ? ち、ちがうの、アタシは……」
「まじょってカッコいいよね。おれ、すきだよ」
屈託なく笑った顔は、年相応の男児のものだった。
「でも、おれのかち。おれはふたり、けしたもん」
「だ、だめよ。さんにんもいなくなっちゃった……」
幼女が再び泣き出す。
男児は地面に転がっていた大男の腕を拾うと言った。
「女の子をなかせるのはわるいやつだって、テレビでハイパーマンが言ってた。わるいやつは、いないほうがいいよ」
男児は、残っていた腕も瞬く間に燃やしてしまう。今度は灰も残らなかった。
「かけるー? どこだー! 出てこーい!」
遠くで声がして、男児が振り返る。
「とうさんがよんでる。いかなきゃ」
声のする方へ踵を返した柔らかな手を、幼女が掴んで止めた。
「あ、あの、アタシが男の人をけしたこと、だれにも言わないで……」
はらはらと溢れる涙を指で掬うと、男児はそれをひと舐めして「まじょのなみだもしょっぱいんだ」と呟いてから笑った。
「うん、やくそく。おれたちだけのひみつ。じゃあね、かわいいまじょさん。バイバイ」
男児は軽い足取りで走り去り、すぐに薔薇の大群に隠れて見えなくなった。
ひとり残された幼女は、自分の右手を左手で包み込んでポツリと。
「……かける……」
深叉冴が参加した“まだ幼い少女が行う降霊術”セミナー終了後の出来事。
半年後、翔の魂はふたつに分けられ――彼の口からこの夜のことが語られることはなかった。




