第四十六話『新種』―5
理科室。今は誰も使っていないのか、実験台にはうっすら埃が乗っている。
発火の危険があるものも多いので、閉校した時に薬品や実験器具は片付けるものだが……行政がズボラなのか、使われていた時のまま残っている。
「薬品類も少しは残っているね」
洋介は棚という棚や引き出しを物色しながら笑みを溢した。フラスコを持つ手には黒いバンドが巻かれている。
「ユウヤ君。悪いんだけど、コレを買ってきてくれないかな」
ユウヤに渡したのは、薬品名と必要な量の書かれたメモと二万円札。
横文字ばかりのメモを見て、ユウヤはあからさまに嫌な顔をした。そんな彼に、洋介が耳打ちする。
見る見る内に、ユウヤの顔が明るくなった。
「それスッゲェ! マジか! 買ってくるから待っててくれ!」
俺だけだと不安だからイツキ兄ちゃんも! と、イツキも連れて行かれた。
残された輝が、洋介に訊く。
「ちらっと見えたが……お前、夢の薬を作ろうとしているな?」
「夢かどうかは分からないけど……まぁ、人間一度は『欲しい』って思うんじゃないかな。それにしても、あれだけでよく気付きましたね」
「ドイツ人には文盲が多い。いや、機能的非識字率が高いと言うべきか。俺様も文章を読むのは苦手だが、文字は読める」
輝は綺麗な顔で笑う。
「俺様は所謂錬金術が専門だ。現代でいう所の科学者だな。魔法だ魔術だと言われるものも確かに存在するが、結局は科学であり化学を応用したものが錬金術だ。つまり、洋介とは耕す畑が同じという事だ!」
光の事を含めたとしても、関係のない輝が何故ここに居るのか洋介には理解出来た。いきさつは分からないが、ユウヤの行っている事は洋介から見ても面白い。
現代の科学でも合成生物を造る事は可能だが、それには時間が掛かる。それをものの数分で行うのだから、現代の化学が専門の洋介には目から鱗だ。
そして、こういった体験は本で読むより遥かに身になる。
輝には慣れた光景かもしれないが、自分と違う趣旨を持つ同じ分野の実験を見るのも、当然インプットには最適だ。
「ここへ来て良かった。学びがある」
洋介は心からそう思った。
「呑気なものだな。《自化会》とやらに追われているんじゃないのか?」
「《自化会》を潰せば問題ないです」
エメラルド色の眼が細められた。
「僕が考えた合成生物大量生産プランがあるんですけど、聞いてくれますか?」
輝は頷くと、洋介へ耳を寄せた。
市内。薬局。
「何か話してるかい?」
洋介に渡された薬名を携帯電話で検索しながら、イツキがユウヤに問う。
ユウヤは耳にイヤホンをつけて自分のスマートフォンを見ている。
ユウヤが聞いているのは、洋介と輝の会話だ。リストバンドに内蔵されている盗聴器が拾う音を聞いている。
「何か仲良くなってるっぽい。でも、俺らを潰そうとか出し抜こうとか、そーいう内容じゃねーな」
「そっか」
「ま、使える内は使っとかなきゃ損だしな。それに、洋介が本当にこんな薬を作れるのかも気になるし」
指先で、イツキの持っている紙をトントン叩く。
「どんな薬なんだい?」
イツキは薬の詳細を聞かされていない。
ユウヤは白い歯を見せて笑った。
「生き物の体の色を変える薬だってさ。つまり――」
ユウヤの言わんとしている事が色盲のイツキにも分かり、いつも細められている目が開いた。
「それは、本当なら凄いね……」
イツキの好奇心も顔を覗かせた。
輝と洋介が理科室で必要な器具を物色していると、何してんのー? とミコトがひょっこり顔を覗かせた。
「ユウ君とイツキ様は居ないのね…………ッ!?」
室内を見回していたミコトが、急に目を見開いて固まった。
ふたりは、どうしたものか、と顔を見合わせる。
「ミコトー? どうしたんだー?」
訊ねる輝の横をミコトが高速で通り過ぎた。
「アンタ、何でイツキ様の髪型真似てんの!?」
洋介のオールバックを指差して叫ぶ。
洋介はペタンとセットされた自分の髪を触って、首を傾げた。
「いつもの髪型に直しただけなんだけど……。あ、グリースはイツキさんに借りたんですけどね?」
実験する時は髪の毛固めてた方が都合良くてー、という洋介の言葉が届いているのかいないのか……ミコトは赤い両頬に手を添えた。
長いまつげのついた目の開閉速度が上がる。
「そ、そうなの……。うん。えっと、悪くないわ。いや、あの……そうね、……良いと思うわよ。うん。か、かっこいいわ」
それだけ伝えて、ミコトはそそくさと出ていった。
「あの娘、お前にホの字らしいな!」
「『ホの字』って……輝さん、いくつですか……?」
「はっはっはたちだ!」
「あ、同い年だったんだ……」
少し年上だと思っていたのが外れたので、洋介が敬語を止める。
輝がやたら偉そうに喋るのも、洋介を敬語にしていた要因のひとつかもしれない。
「そういえばミコトさんって、あまり僕の周りに居ないタイプの女かも」
居るには居たが、洋介自身が千晶の事しか考えていなかったので大学の女は眼中になかった。かわいい、と思ったのは光くらいだったかもしれないが、それも恋愛対象かというとそうではない。
何気に、オールバックを褒められたのは初めてだったりする。
「女の人って結構かわいいんだ……」
「何を今更! 世の女性はすべからく、かわいく美しいぞ! 存在事態が神秘と言っていい!」
輝の熱弁聞き流しながら、洋介は今ある材料を机に並べ始めた。




