第四十四話『光と尚巳と来客』―2
黒い三角形の耳が、ピンと立って動く。聞きなれないワードだったのだろう。
「妖精……って、ファンタジーアニメや映画に出てくる?」
「あら。妖怪や神様が身近に居る貴方なら、驚かないと思ったのだけれど。まぁ、妖精って言ってもアタシのひいおばあちゃんよ。おばあちゃんはハイエルフとドイツ人の混血なの。珍しいけど、他にも居るのよ? イギリスやノルウェーに多いかしら」
「イギリスと……ノルウェー……」
確かに、ヨーロッパの中でもその二か国は妖精やその類の神話が多い。と思いながら、尚巳は丸い目で光の青い瞳を見上げた。
「別の星とも、別の世界とも言われる、地球とは作りが違う世界のヒトたちね。そこは遠いようで、扉を一枚隔てた場所にあるようなもの――って、おばあちゃんが持っていた、ひいおじいさんからの手紙には書いてあったわ。その昔、妖精と呼ばれる彼らはこちらの世界の文化に触れて、あらゆるものに興味を持ったの」
アタシたちが向こうの世界に行ったとしても、きっと同じだと思うけれど。と光は溜め息混じりに言い、星空を見上げた。
「アタシのひいおじいさんは戦時中に怪我をして、深い森の中を逃げている時に、その世界へ行ったらしいわ。そこでハイエルフのひいおばあさんと恋に落ちて……かは分からないけれど、……ある、魔法をかけられたの」
光は尚巳の黒い瞳を見ながら肩を竦めた。
「人間は寿命が短くて可哀想だから……って。自動的に他人の魂を喰らって自分の寿命を延ばす――呪いのような魔法よ」
ね、魔女っぽいでしょ。そう言う光の表情は硬い。
「ひいおばあさんは魂を喰べられて死んで……ひいおじいさんはどうなったのか知らないけど……。その子ども、つまりアタシのおばあさんだけが逃げるようにこちらの世界へ来たっていう話よ」
信じるか信じないかはアナタ次第です。と、何かのテレビ番組の決め台詞で金髪少女は話を結んだ。
「アタシの事は話したわ。次は尚巳さんについて教えて。貴方、《自化会》に居たのよね?」
「そ。おれは元々拓人と組んでて、ちょいとやらかして殺されそうになったところを、拓人の親父さんに助けられたんだ」
黒猫は話しながら光の反応を伺う。
光の反応は、それは知ってる、と言わんばかりのものだったので、尚巳は話の内容を変えてみる。
「おれ、コインロッカー出身でさ。《自化会》に拾われて、今はもう無いけど、訓練施設で育ったんだ。一緒に遊んでた奴がその日の夜には居なくなるなんてザラでさ。勿論、死体は返って来なかった。名前すら無くて、番号で呼ばれてたし」
光は眉根を寄せつつも、尚巳の話を黙って聴いている。
「おれは703番。因みに、実験用マウス込みの番号だよ。十歳くらいかな……もうちょい前だったかもだけど、その頃急に名前を貰ったんだ」
光は、安直な名付けだと思ったが口は開かず耳を傾ける。
「よく一緒に遊んでくれたねーちゃんがさ、俺たちを一般会員と一緒に過ごせるようにしてくれたんだって、後から聞いた。んで、おれはあの頃あぶれてた拓人と組まされたってワケ」
黒猫は大きなあくびで話を締めた。もう話す気はないのか、手すりの上で丸くなって眼下に広がる夜景を眩しそうに見ている。
光は今まで、突然黒猫にされたというのにやけに落ち着いている尚巳の様子に違和感を抱いていたのだが……、
(この人の、妙に達観した言動はそういう事……)
生きる事に対して希望を持たずに育った人間の姿がコレか、と納得した。死に対して“終わりと考えない”兄ともまた違う。
(いつ死ぬかもしれないって、常に思ってる人……)
そんな事を思ったが、目の前に居る黒猫は生きる事を楽しんでいる。ただ、その楽しい時間がいつ終わろうが構わない、仕方がない……といった空気を、光は感じた。
そういう人物を敵に回すと、恐ろしいものだ。
「尚巳さんが敵じゃなくて良かった」
「って言っても、今のおれは《P・Co》の人間だから。《天神と虎》が現れなかったら敵だったけどな」
猫の姿だから分かり辛いが、笑ったのだろう。ヒゲが上下に動いている。
光は短く、そうね、とだけ答えて、下広がる輝きに目を落とした。
「今回の件、貴方はどう見る?」
尚巳は尻尾を揺らしながら顔を光へ向けた。
「でっかいおもちゃを手に入れた子どもが無茶な遊び方をしてるから止める。ってカンジかな」
おもちゃにされた尚巳が言うのも妙な話だ。が、光は頷いた。
「そうね。使い方を間違えれば、おもちゃも兵器になるものね」
実際に死人が大勢出ている時点で、光の中でユウヤは“悪”となっている。悪事は止めなければならない。問題は、それをどうやって実行するか、だ。
「光ちゃんは魔法とか使えねーの?」
「さっきも言ったけれど、アタシは魔女とは似て非なるもの。出来る事といえば、死者と対話したり、仲間にしたり、魂を消滅させたり、人を亜空間送りにする事くらいよ」
「ん? 今、とんでもない言葉が聞こえた気がしたんだけど……」
「さぁ、姿が見えないからって殺されたんじゃ、たまったものじゃないわ。そろそろ帰りましょ」
フリルのついたスカートをふわっと翻して尚巳の疑問を打ち消すと、光は校内へ戻った。




