第四十三話『人間ではなくなったヒトと人間離れした人間』―4
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天馬邸では、光に言われた通り帰宅した深叉冴が、腕を組んで仁王立ちしている翔に睨まれていた。翔の肩には寒太がとまっている。
「父さん、ちょっと話があるんだけど」
今にも殴り掛かりそうなオーラを背後に、翔は深叉冴の前から動かない。
倫と潤は食卓で向かい合ってほうじ茶を啜っている。倫は笑いを堪えきれずに口元を震わせているのだが、潤は自分がここに居てもいいものかと気まずさを感じていた。倫が小声で、一緒に見ときましょうよ、と言うので席を外さず座っている。
深叉冴は何故翔が怒っているのか訳が分からず、たじたじしていた。
「えぇっと、翔? 儂は光君から言付かった内容を伝え――」
「うん。光が無事なのは俺も嬉しいけど、先にはっきりさせたい事があるんだよね」
「はっきり……?」
「俺に、隠し事してるでしょ」
深叉冴は翔とそっくりな顔で神妙な顔をしている。
実は……、と。翔のおやつを勝手に食べただとか、翔の部屋へ勝手に入っただとか、翔の服を勝手に着ただとか……そんな事で怒られているのかと思い色々告白していくが、翔の眉間の皺が深くなるだけだった。
見当違いだったようだ。
翔は翔で、どう言えば通じるのかと、良い言葉が思いつかず、苛々している。
『いや、普通に「百舌鳥に入ってる分の俺を元に戻せ」でいいんじゃね?』
百舌鳥がアドバイスを送る。
「でも、それじゃ寒太はどうなるの?」
『この体は元々、とっくに死んでんだから今更だろ。そんで、俺とお前が元に戻るだけだ』
寒太は呆れ気味に言った。
深叉冴は寒太の言葉が分からないので、きょとんとしている。そんな様子に、翔が唸りながら頭を掻いた。
「父さん……。俺は俺で、寒太も俺なんでしょ?」
深叉冴が目をしばたたせる。
数秒の間を挟んで、
「……いつ、気付いた?」
「んー……生まれた時の夢、は……たまに見てたんだ。起きたら内容を殆ど忘れてたけど。今日は、はっきり覚えてた。おかしいなって、思った。俺って、かなり昔の事はぼんやりとだけど覚えてるのに、五歳くらいからの事ってあまり覚えてないから」
五歳。母親が死んだ頃。そこからの記憶が曖昧で、物忘れが酷くなったのもこの頃から。代わりに、その頃から傍に居る寒太は昔の事もよく覚えている。
翔は寒太に関して、長生きをしているから記憶力も優れているのだと思って、特に気にする事もなかった。
寒太は特別。
そう思って過ごしていた。
確かに、寒太は特別だった。
「寒太が、俺の分けられた精神を持ってた……なんて、気付けたのは奇跡かなって思う」
翔は肩に乗っている寒太と交視する。寒太は小さくて丸いつぶらな瞳を、翔から深叉冴へ移した。
翔も同じように深叉冴を見る。
深叉冴は俯き、癖のある黒髪と肩を震わせていた。その様子から意図や感情が分からず、翔は眉根を寄せて深叉冴の発言を待った。
がばっと顔を上げた深叉冴の目からは、滝のように涙が流れ落ちている。
「すごいぞ翔! その事に自ら気付くとは! お前は天才だな! いや、神だな、神!」
「……まぁ、俺は神様みたいなものだけど……」
なんか違う気がする、と翔は少し引き気味だが、こんな深叉冴には慣れっこなので寒太は微動だにしない。
ダバダバと涙の滝を出し尽くし、深叉冴はふぅと息を吐いて軽くかぶりを振った。
「正確には“感情を分けようとした”のだがな。元々気性の荒かった翔だが、つぐみが死んだ時、ついに手がつけられなくなってな。怒りの感情だけどこかへ移せないものかと思い……言い方は悪いが、手頃な亡骸が庭に……」
それが、寒太だった。
「儂は元々、人外の魂を扱うのが専門だからな。感情のみを分けることは出来ず、結果的に精神――魂を二分する事となった。そして、寒太に移した方は朱雀を多く受け継いだ部分だったのだろうな」
「だから俺と寒太は性格も違うんだね。寒太、喧嘩っぱやいもんね」
『そりゃお前もだろ』
間髪入れず言われ、翔は首を傾げる。
「えぇ……? じゃあ、寒太が戻ってきたらどうなるの?」
余程短気で、かなり怒りっぽかったのか。だとしたら、周りの人間はかなり苦労して自分を育てたんだろう。翔がそんな事を考えていると、深叉冴がひとつ手を叩いた。
「翔が突然爆発を起こしても、今は潤君が居るから大丈夫であろう」
いきなり自分の名前が飛び出し、潤が噎せ込んだ。
「それもそうだね」
何故か教え子まで安心した顔を向けてくるが、潤は頷きもせずほうじ茶に口をつけた。
倫は口元を押さえて肩を震わせ、笑っている。
「うむうむ。翔も世間に出て久しいし、頃合いであろう」
深叉冴が袖をたくしあげる。手を離すとストンと元に戻ったが、本人は気にせず翔と寒太に手のひらを向けた。
「それでは、翔を元に戻すとするか」
深叉冴の表情はどこか明るい。
「ふふふ。この姿の儂にも昔のように『父さん大好き』と抱きついてくれるやもしれぬしな!」
期待値MAXの深叉冴を余所に、翔と寒太は、うんともすんとも言わない。
それはもう、ただの“別人”だろうな。
翔と寒太は同時に思った。
 




