第四十三話『人間ではなくなったヒトと人間離れした人間』―2
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『ええええええええ!?』
外まで響き渡る叫び声に反応する者は、僅かだった。
神奈川県某所。とある総合病院の一室。
赤髪の幽霊の絶叫は、入院している同室の三人と、付き添いの人物が「ここ、一応病院だから」と宥めるに留まった。
癖のある黒髪の少年は、陶磁器のように白い肌に整ったパーツを乗せてはいるものの、あまり表情が変わらず、人形のようだ。
赤髪の女幽霊……千晶を驚かせたのは、彼の言葉だった。
入院患者の付き添いとして来ている嵐山臣弥は、パイプ椅子に座ってお気に入りのあんぱんを頬張っている。
「そういえば、千晶さんは知らなかったんですねぇ。雪乃さんの中に六合が居た事」
「おれも初耳やで」
と言うのは、黒髪で大きなつり目が特徴的な、安宮祝。
口元に黒いピアスが着いている。耳にも大量のピアスが着いていたのだが、洋介に耳ごと千切られ、痛々しい形をしている。
更に痛々しいのは、切断された両腕だ。肩から先がない。それでも本人は元気なので、重症さを感じさせない。
ベッドに座って、雑談に参加している。
そしてもう一人。ベッドに横になっているのは、滝沢英善。
《自化会》会長第一秘書の彼は、溶けた腹部が痛すぎて、座ることさえ出来ない。喋っても痛いので、聞きに徹している。
「おれはできないけど、雪乃お姉ちゃんなら千切れたあしをくっつける事もできる」
『何それ。めっちゃ便利じゃん!』
「それ、人体に詳しい雪乃さんだから出来るんですよぉー。血管や細胞などについて覚えれば、寿途君も出来るようになりますよ」
臣弥は口の端にあんこをつけたまま、にこにこ笑っている。
幽霊となって浮遊している千晶は、両腕のない祝を見て言った。
『祝も、雪乃さんに頼んでその腕治してもらったら?』
「おれの腕はあのアホが処分しよったんや。ほんま腹立つわー」
立腹してから、祝はしたりと笑う。
「まぁ、それやったら鬼かっこええ義手でも造ってもろうてやなー……」
「そんな予算、ウチにはねーぞ」
ずっと聞きに回っていた滝沢がボソリと、ひと言溢した。
会長である臣弥は明後日の方向を向いて、あはははー、と笑っている。あんこを付けたまま。
「会長、また何か無駄遣いしたんか?」
「そんな事はしていませんよぉー」
今までと逆方向に顔を向けて笑っている臣弥に、祝はじっとりとした視線を突き刺している。
「あーあ。一気に萎えたわ。会長、売店でジンジャーエール買うて来て。まだ閉店しとらんハズやから」
顎をしゃくって壁の時計を差す。
「ええー? 私、パシリですかぁ?」
不満を口にするも、祝のジト眼は変わらない。
「やさぐれて、いつ殺しに掛かって来るかも知らん拓と組んで、いつ裏切るか分からん洋介とも組んでやっとったんやで? パシリくらいええやろ」
っちゅーわけで、ジンジャーエール頼むわ。と祝は臣弥に向かって久方ぶりに笑顔を向けた。
「分かりましたよぉ」
渋々と。立ち上がろうとしてバランスを崩し、ズベシャアッと転んだ臣弥に『五体満足の会長が転んでどーすんの?』と千晶が指を差してキャハキャハ笑った。
「っちゅーか、死んどるお前が一番元気ってのもどないやねん……」
『死んでるから痛くも痒くもないしー』
と幽霊は気楽なものだ。
よろよろと病室から出て行く臣弥の後姿を見送ってから、祝は天井を見上げた。
(あーあ。拓、今頃何しとるんやろ)
今となってはすっかりイイコちゃんとなった元相方の事を気にしつつ、ジンジャーエールを待つ。
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「ゼロカロコーラを飲むより普通のコーラを飲む方が体にええっちゅーのは、ウチの会社に居る医者の言葉でな」
灰色の髪と瞳をした青年は、そんな事を言いながらクーラーボックスから、ペットボトルのコーラを取り出した。それを大岩に座っている金髪の青年に差し出しつつ、自分も隣へ座る。
「ありがとうございます。ゼロカロリーのものって、後味が全部同じですもんね。体が全力で『ヤベェぞ!』って訴えかけてくる感じ、分かります」
金髪の青年――拓人は苦笑しながら、ガッツリカロリーの含まれた黒い炭酸飲料を受け取った。
Tシャツは所々汚れて破れ、ジーンズは出来たてほやほやのダメージが施されている。
背後は木々の生い茂った山なのだが、野獣か嵐が通った後のように、木や岩や地面が抉れている。
灰色の髪の青年――泰騎は月明りも入らない暗闇を眺めながら、プシッとペットボトルの蓋を外した。
泰騎の服もボロボロではあるが、小さな穴が開いていたり、所々焦げている程度。
「ところで拓人は普段、何飲むん?」
「玉露が好きです」
泰騎が瞬きを繰り返す。
「コーラとフランクフルトが似合いそうな見た目しとるのに、渋いな!」
何となく見てくれでコーラが好きそうだと思ってのチョイスだったのだろう。拓人はそう考えると、困ったように笑った。
「甘いものよりは辛いものや苦いものが好きだったりします」
「大人じゃなぁー。あ、でもワシも辛いモンは結構好きじゃで!」
子どものようにコロコロと笑う泰騎につられて、拓人も笑う。
「でも何か嬉しーわぁ。ワシ、拓人には嫌われとると思っとったもん」
泰騎はまだ笑っているが、拓人は眼を泳がせた。
「嫌ってはないです。苦手意識は持っていましたけど」
「でも、今日は鬼ごっこ呼んでくれたじゃろ?」
「泰騎さん、死ななさそうなんで」
「何でじゃッ!?」
叫ぶ泰騎を笑うと、半分に細められた灰色の眼が拓人を見た。拓人は拓人で、来てくれてありがとうございます、と笑顔を返す。
「因みに『死ななさそう』ってのは親父の言葉です」
「師匠ヒドー」
ワシは只の人間じゃのに、と口を尖らせて呟く泰騎の胸ポケットから、着信音が漏れ出た。ジャケットも傷だらけだが、スマホは無傷だ。ちょいとすまん、とひと言断りを入れ、電話に出る。
「お疲れさん」から始まり「はいはい」や「そうなんか」という相槌を打っている泰騎を、拓人はコーラに口をつけながら眺めていた。
通話内容は聞こえないが、時折泰騎が「ごめんて」、「そんなに怒らんでや」と言っている事から、通話相手が少なからず怒っている事が伺える。しかし、泰騎の態度から事の重大さは測れない。
まぁ、他所の組織の事だしな。と、他人事と決め込んで、拓人はコーラを口へ流し込む。二酸化炭素が弾ける刺激は、嫌いではない。
(辛口のジンジャーエール、久々に飲みてーな……)
重傷で病院へ運ばれたと報告を受けた、元相方の意地の悪い笑顔が脳裏をよぎる。
「拓人」
呼ばれて顔を上げると、泰騎が意地の悪い――悪戯っぽい笑顔を向けていた。
「《P×P》に来ん? 福利厚生バッチリ! 有給年二十日、持ち越し最大四十日まで可能! 給料は安いけど、誕生日パーティーや忘年会や――」
「いや、遠慮します」
さっきの電話から、何故いきなりこんな話題になったのかと疑問に思う間もなく、拓人は断っていた。
泰騎は、ソッコーで断られた! と泣き真似をしている。
「あー……、オレの親父の所為で《P・Co》の人も沢山死んでますから」
「師匠取り合って“花いちもんめ”したってヤツじゃろ? そんなん、もう誰も気にせんって」
「オレは気にします」
拓人は、はぁ、と溜め息をひとつ吐き出し、遠くを見つめて言った。
「あいつ、二十年だったか二十一年だったか……それくらい前に、アメリカの某組織に声掛けられてたらしくて。あまりにしつこいから、断る理由を作る為にどっか手頃な団体に入ろうかって、ポロッと言ったらしいんです。そしたら、ウチの会長と《P・Co》の社長さんが兄弟喧嘩を始めて……って、深叉冴さんから聞いてます」
「師匠、モテモテじゃな」
ある程度の事は《P・Co》の社長である二条雅弥から聞いている泰騎は、冗談めかして肩を竦めた。
だが、当事者の息子である拓人にとっては、堪ったものではない。
拓人はもう一度溜め息を吐き出した。




