第四十三話『人間ではなくなったヒトと人間離れした人間』―1
医療器具だらけの室内。血管造影装置の寝台には、黒髪の少女が眠っている。
その傍らで、ワイシャツのみ白い、黒スーツの男は言った。
「いつまでも番号で呼ぶわけにもいきませんし……そうですねぇ……」
男は顎に手を添えて考える。
「この子は土の中で春を待つ花ではなく、雪の下でも強く生きる植物のように育つと期待を込めて“ゆきの”と名付けましょうかねぇ」
どうでしょう? と、隣に立っている金髪の男に目配せする。
すると、ウェーブ掛かった金髪が縦に揺れた。
「良いんじゃないかな。じゃあ、責任を持って僕が身元引受人になるよ。竜忌と仲良くしてくれるといいなぁ」
これが、『702番』と呼ばれていた少女に名前が与えられた瞬間だった。
◇◆◇◆
「雪ちゃぁあああああん!!」
ふわふわの金髪が走ってきた。額の真ん中にホクロ、太めの眉に丸い目。喫茶“仏々”の店長、藤原竜忌だ。
手にあるスマホのライトが眩しい。
「大丈夫!? ケガしてない!? 疲れたでしょ! しっかり休んで!」
「竜忌さん、大丈夫ですから。康成さんが救急車の手配などをしてくださっている間、私は休ませていただいていましたし」
正門を入ってすぐにある花壇のレンガに腰掛けていた雪乃は、柔らかい笑顔で竜忌を迎えた。
つい数分前まで、ここで起きていた事を話す。
竜忌は終盤、心底嫌そうな顔をして、雪乃の話を聞いていた。
「えー……合成生物って人間っぽいから大丈夫だと思ってたのに、虫なのぉ?」
「はい。でも、知性や感情はなく本能で生きている……といった感じだったので、正確には巨大なただの虫ですね」
うへぇー、と渋面を作る竜忌だったが、雪乃は静かに呟く。
「私としては、人を相手にするよりはまだいくらか気が楽です」
「もう! 雪ちゃんは後方支援! 救護班! 前線になんか出ちゃいけないよ!」
プリプリと怒って、頭から蒸気を出す竜忌。
「ありがとうございます」
雪乃は立ち上がり、百日紅の木を見上げる。
竜忌も同じように見上げ、あぁー、と声を漏らした。
「これ、寿ちゃんが生やしたの? どうりで、死人が出てるのに霊体が居ないわけだね」
「はい。敷地内で亡くなった子は、この世に留まる事なく逝ったみたいです」
雪乃の表情は決して明るいものではないが、声は穏やかだ。
続いて、養護施設棟と本部を順に見上げる。
雪乃の顔が、また曇った。
「本部がこれだけの被害を受けて人員も削られているのに、私がのんびりしているわけにもいきません」
随分と静かになった建物の中には、会員の最上位戦力が全くないのだ。
雪乃の横顔を見ながら、竜忌は嘆息した。
「ねぇ。ぶっちゃけ、恨めしくないの? 雪ちゃんの体をそんなにしちゃった組織だよ?」
「私じゃない誰かは施術中に命を落とし、私の後に控えていた子は助かったんだから、私はそれで良かったと思っています」
「ホントお人好しだよね」
理解できないや、と竜忌は眉間に皺を寄せる。
「悪いことばかりでもないですし。一部は寿途君が持っていってくれたので、かなり荷が軽くなったんですよ?」
まだ小学生の男児。光りを全て吸収しているような、光沢のない黒い髪と眼をした子ども。
彼も植物を操る。特に、樹木を操るのが得意だ。
「六合は元々、父さんの式神だったから、おれのになるハズだったんだけどなー」
口を尖らせる竜忌に、雪乃は苦笑する。
六合――翔の朱雀、拓人の天空、凌の天后や潤の騰蛇と同じく十二天将と呼ばれる式神の内の一柱。植物を司っていて、植物の成長を促したり、植物を操る事が出来る。
雪乃は笑みを含んで訊く。
「残念でしたか?」
「全っ然!」
即答。
「おれだと、自分を守るためにしか使わないからね。雪ちゃんが連れてた方が、絶対世の為人の為になるね!」
内心では、厄介なものを押し付けられなくて良かったと思っている。
その事を承知している雪乃は、ふふふ、と笑った。
「六合さん、もう消えてしまいましたけどね」
十二天将……神や聖獣と呼ばれる存在が消えたという報告を聞くとは思っていなかった竜忌は、眼を剥いた。
「いつ!?」
あまりの驚き様に、今度は雪乃が目を点にした。
「もう……一年くらい前に『そろそろ消えるわぁ』って……私と同化する形で……。えっと、竜真さんとも話し合って……あれ……?」
彼の耳には入っていなかったのだと知り、仲間外れにしたような申し訳なさを感じる。
竜忌は大きくかぶりを振ると、雪乃の両肩を掴んだ。
「って! 雪ちゃん、それってまさか……」
あまりの勢いに押されるも、雪乃は眉を下げ、言いにくそうに言葉を紡ぐ。
「えっと……そうなんです……。私、半分…………カミサマ、なんです……」
竜忌の絶叫が、人の少なくなった《自化会》にこだました。




