第四十二話『あの人は今』―4
扉を開けて入って来たのは、成端な顔立ちの、口元にホクロがある少年。
「僕って気配を消すのが下手なんですか?」
「お陰でよく分かりました。“後藤”と書いて『がとう』と読むのは珍しいですね」
東陽から、いつもの笑顔が消えた。
康成は笑顔のままだ。
「元々超能力を持っているのに嵐山さんの実験で『超能力が開花した』ってウソをついてたんですよね? こういうウソって、前後の数値を見たら結構分かっちゃうものなんですよ」
「上手く騙せてると思ってたんですけど、残念です。それにしても驚きました。本名までバレてるなんて」
表面上は平静を装っているものの、東陽の顔にはうっすら汗が滲んでいる。呼吸も浅く、速い。
康成は笑顔を崩さず、いつも通り優しいままの声で言った。
「君が翔様と同じグループになったと聞いたので、僕が独断で《P・Co》に調査を依頼したんです。そうしたら《天神と虎》とも繋がりがあったので、結局、このまま泳がせておく事になったんです」
康成の言葉に、東陽は渋面で首を竦めた。
「会長は人を泳がせるのが好きなんですね」
「あの人は経過と結果をセットで見たいんです。人の動きも全て実験の内なんですよ」
康成は少し困った様子で返すと、同様に東陽に訊ねる。
「君が何故この部屋へ来たのかは知りませんが、僕は内勤の人間なので、穏便に済ませられませんか?」
「そう……ですね……」
東陽は考える素振りを見せて、小さく唸った。
そして、にこりと笑うと――「逃げます!」と、廊下の窓から飛び降りた。
ここは三階だが、康成も後を追う。
東陽は自分の体を操って地上へ降り立つ。その直後、重い音と共に、康成も片膝を突いて地面に着地した。
「うわ、スーパーヒーロー着地だ」
東陽が、裏山の方向へ走りながら口元を引き攣らせる。
康成も困り顔で、「膝を傷めてしまいますね」と後を追う。内勤だ、と言っていた人物とは思えない動きに、東陽の焦りは大きくなっていった。
あと少しで裏門。康成は足も東陽より速く、二人の距離もあと少し。手を伸ばして届くかどうかという距離になった、その時。
「ぎゃああああ!」
断末魔のような悲鳴が、敷地内にこだました。
思わず振り返る康成。その耳に「やっと生まれたか」という東陽の声が微かに届いたが、康成が門の方へ向き直った時には、声の主はこの場から消えていた。
康成が携帯電話で東陽が逃げた旨を臣弥へ報告しながら本部へ戻ると、体を赤や紫にしている子どもたちが、蹲ったり倒れたりしていた。
「えーっと、嵐山さん。……毒ですかね……、犠牲者が続出しているんですけど……東陽君の捕縛と本部内の処置、どちらを優先します?」
電話の向こうから聞こえるのは、いつもの、のんびりした声。
『そうですねぇ。東陽君の行先は分かっていますし、今は本部の子の救済をお願いします。連絡が取れ次第、雪乃さんにそちらへ向かってもらいますねぇー』
「分かりました」
電話を切り、それをズボンの尻ポケットへ収めると、康成は悲鳴や呻き声が上がっている方へ走った。
中庭には、転がっている人と……、
「虫……?」
毛虫とムカデが這っている。大小様々だが、大きいもので大人、小さいものでも五歳児程の大きさをしている。
活麗園を襲った合成生物の中に、人間と虫の合成生物から生まれた巨大な虫が多くいたという情報が入っていた事を思い出す。毒蛾の幼虫や成虫は毒の毛針を飛ばすのだとも、秀貴から報告を受けている。
しかし、本部に今居る会員はおそらく、詳しい事を知らないだろう。
「うぅん……本格的に動くのは久し振りですね」
伸びをして、体を左右に捻り、手首を回して屈伸してから、腰にある包丁に手を添えた。
「暗い場所は倫さんの方が得意なんですけど……仕方ありません」
建物の灯りの中で黒い影が動いたのを、康成は包丁を投げて仕留める。黒い影は一層激しく動いたが、少しすると動きは弱まり、次第に動かなくなった。
包丁の柄の付け根に巻いてある伸縮リードを巻き戻して包丁を手元まで戻す。刃に付いた緑色の液体をハンカチで拭きながら、嘆息した。
「雪乃さんが来るまでなら何とかなりますかね」
紐の付いた包丁を投げて毛虫に刺し、それを振り回して他の毛虫に当て、更にその毛虫を飛ばして木やブロック塀や壁に強打させる。そうやって、刺したりぶつけたりしながら毛虫を始末しつつ、本部の建物へ向かった。
途中、自分と同じくらいの大きさをしたムカデに遭遇したが、包丁で顎を斬り落としておいた。
康成の身長は180センチほどある。
そんなムカデに襲われれば、子どもならひとたまりもないだろう。と思っていたら、案の定……。頭部が半分砕かれている、小学生であろう少女が倒れていた。
その横では、ちぎれかけた腕をぶら下げた少年が体を真っ赤に腫らせて倒れている。
可哀想に。とは思うが、自分に治療が出来るかというと、否だ。せいぜい、毒の進行を止める程度。
康成は少女の服を破って、少年のまだ細い二の腕をきつく縛った。次に、少年の口に丸めた布を押し込むと、ひと言。
「痛いですが、我慢してくださいね」
声を掛けると、ぱんぱんに腫れている少年の腕を、思いきり包丁で切断した。
「死んだ方がマシ……と思っていたらすみません」
痛みでボロボロ泣いている少年の口から布を引き抜き、康成は被害の大きそうな本部の二階へ急いだ。
《自化会》本部、二階。《A級》と《S級》の会員の部屋が並んでいる。それぞれ二人部屋となっていて、東陽もここで生活をしていた。
活麗園でナシイラガの幼虫を相手にした人物が一人も本部に残っていなかったのもあり、被害は大きい。
「さぁ。場所も狭くなりましたし、人も増えたので包丁を放り投げるのも控えなくちゃいけませんね」
階段横にある掃除用具入れを開け、上部に仕込んである板を外し、その奥に隠してあるハンドガンを手に取った。
「はぁ……銃って嫌いなんですけど……仕方ないですね。というか、ココに備品を隠してあるって言ってる会員さん……一体何人居るんでしょうか……」
内通者も居るので知れ渡るのもまずいのだろうが、非常用の武器の隠し場所が知られていないのも問題だ。
「そもそも、内通者……限りなく黒に近いグレーな人間を組織内に置いておく事自体、アウトな気がするんですけどね」
パン……ッと乾いた音と共に、ドドメ色の体液が散った。予備の銃弾も取り、一匹ずつ毛虫を殺していく。
報告によると繭を発生させて成虫になるらしいので、幼虫の内に早く殺してしまいたいものだが……。
「うぅん……輝君が言っていた、モシラ……ですかね?」
時既に遅し。バサバサと羽を振り、ついでに毒針を振り撒きながら、ナシイラガの成虫らしき蛾が廊下を塞ぐように飛んでいる。
廊下には、毒針が刺さりまくった会員たちが倒れている。
「難易度高いですね」
言いつつ、包丁を遠投した。
包丁は蛾の頭を飛ばし、天井にくっついている繭に刺さって止まった。包丁の紐を引いて手元に戻すと、掃除用具入れから雑巾を取り出し、ドドメ色の液体を拭き取る。
「僕では解毒が出来ないので、皆さん、針を抜いて毒を吸い出すなり、肉ごと切って毒が回らないようにするなり頑張ってくださいね」
優しい声でなかなかえげつない事を言うなこの人。と、毒に苦しむ者たちは思ったが、当たり前といえばそうなので、各々考え、毒の回りを遅くする方法を実践していく。
「結構、キモの据わった子が多いんですね」
感心です。と、緑と赤を足したような色の液体が飛散している廊下を進み、東陽の部屋へ到着した。
扉を開けると、そこには――部屋の半分を占めている蛾が一匹と、無数の卵から這い出ている最中の幼虫たちの姿があった。




