第四十二話『あの人は今』―2
病院へ千晶の遺体と寿途を送った後。凌は《自化会》本部へ戻り、翔と同じグループだという後藤東陽に声を掛けられ、成り行きで訓練の相手をする事になっていた。
東陽はTシャツにジーンズというラフな服装で、腰には革製のウエストバッグを巻き付けている。
「後藤君は、翔との付き合いは長いのか?」
「東陽でいいですよ、凌さん。翔さんとは、お話しするようになって二週間くらいになります」
あまりに最近だったので少し驚いた凌だったが、《自化会》が本腰を入れて訓練を始めたきっかけを思い出し、頭を下げた。
「《P×P》の奴が突っ走った所為で二人も殺めてしまって――」
「頭を上げてください。僕、亡くなった二人とは接点がなかったので……その、謝られても何て言っていいか……」
困惑する東陽に凌も、それもそうか、と首を竦める。
「ところで、凌さんは翔さんと一対一で勝負したんですよね?」
それで負けたからここに居る……とは続けられなかったが、凌は心の中で自嘲しながら呟いた。
ただ、目の前に居る少年の言葉は嫌味を含んだ言い方ではなかった。
「僕、翔さんが誰かと戦ってるところとか見た事ないから気になって……」
東陽は眼を輝かせて、凌に詰め寄って来る。
朱雀――一般的に神と呼ばれる存在から生まれたとなれば、少年心をくすぐるのだろう。それこそ、漫画や映画のヒーローのようにも思えるのかもしれない。
東陽は期待を帯びた眼差しで凌の言葉を待っているが……、
(いや、翔はどっちかっていうと悪役っぽかったし。ってか、あいつの戦いぷりじゃ東陽の期待にゃ応えらんねーだろ……)
凌は自分と戦った時の翔の様子を思い出してげんなりした。体の使い方は勿論、自分が生まれ持った能力ですらろくに使いこなせていなかったのだ。
根拠の全く分からない自信だけは感じられたが……。
「翔の戦い方は……そうだな……ユニーク……だったな」
凌にはそう伝えるのがやっとだった。
それを東陽がどう受け取ったのかは分からないが、彼は「そうなんですね!」と納得した様子で手を打っている。
凌はふと、今居る格技場を見回した。以前、潤について来た時は外からしか見なかったが、あの時と変わらない。つぎはぎだらけのままだ。
(《自化会》、ホント人材育成に関して手ぇ掛けないんだな)
会員全員が学校という教育機関へ入って入るが、それはある意味教育を放棄しているとも捉えられる。一般常識や協調性を育むという点においては有効だが、特殊な仕事を行う上では個々に合った教育が必要だ。と、凌は自らの経験を振り返って考える。
(ま、他所者のオレには関係ねーか)
もともとは凌も《自化会》内の孤児施設に居た。とはいえ、それもほんの数か月。正直、思い出など全くない。
ふっと、尚巳もここに居たんだよな……、と連絡のつかない相方が頭を過る。が、尚巳の顔こそ平凡をそのまま表したようなものなので、もし出会っていたとしても覚えている筈がない。
「凌さんは式神さんを使うんですよね。凄く美人の。一緒に走っているのを見ました」
凌が小さく、あぁ……、と答えると、東陽はニコニコ笑ったまま首を傾げた。
「僕は霊って見えるだけで、除霊も従える事も出来ないんです。千晶さんは例外ですけど、《自化会》の中じゃ式神を使える人が優位に立つんですよねー……」
東陽が何を言いたいのか分からず、凌は黙って聴く。
「僕、思うんですよ。“使役するから強い”って、それって他力本願なんじゃないのかなって」
ぐさっ! と凌の心臓に矢で射抜かれたような衝撃が走った。
他力本願――実際、凌自身も気にしている事だったりする。
凌の身近には潤という存在が居るが、本来式神が持っている力は彼の遺伝子に組み込まれる形で細胞と一体化している。要するに、借りものではなく、自身の力。
凌は、刀を武器として扱う事が多い。刀は脇差。持ち運びやすく扱いやすいのが、脇差を選んだ主な理由。対翔戦でも使っていたが、刀の先に氷で刃を付け足すのも、よく使う戦法だ。
しかし、それは式神の力があってこそ出来る業であって、凌自身の実力のみでは、彼がバカにしている平常時の翔にすら劣る。
つまり、東陽の言葉は『式神が居なければ大した事はない』という、遠回しな嫌味。
「あ、でも、式神さんに力を借してもらえるだけで充分凄いですもんね!」
慌てた素振りで自分の言葉に訂正を入れているが、凌の顔は渋い。
東陽は、すみません、とバツが悪そうに視線を落としている。
(いや、『悪い』と思ってるっつー事は、マジで嫌味だったんだな……)
凌は口角が曳くつくのを感じながら、静かに息を吐いた。
「本当の事だし、謝られても困るっつーか」
謝られると余計惨めになるっつーか、と心の中で、苦虫を噛みながら付け足す。
東陽は東陽で、たじたじと苦笑するしかない。
「えっと、僕も訓練をして少しは強くなれたと思うんです。そして、僕に足りないのは実戦経験なんです。でも、講師の副会長は忙しい方だし、もう一人は女性ですし、もう一人は亡くなりましたし……」
「そうだ、な!」
東陽の鳩尾に、綺麗に回し蹴りが入った。
三メートルの距離があったのに、突然重みと痛みが横から来て、東陽が噎せ込む。
「ほら。実戦だったら敵は待ってくれねーぞ。言っとくけど、オレの体術は《P×P》最弱レベルだかんな」
東陽が顔を上げると、凌は十メートルほど離れた場所に居た。東陽は、凌の腰にある脇差を指差す。
「けほっ。その刀……使わないんですか?」
「さすがに、不意打ちで斬り付けたりしねーよ。使いたくなったら使う」
なるほど……。小さく呟き、東陽は体勢を立て直した。ウエストポーチから、細身のナイフが五本飛び出す。それは、綺麗な弧を描いてそれぞれが同じように動き、凌に向かってくる。
それを五本とも凍らせたが、氷漬けのナイフは依然、凌へ向かってくる。
(凍らせたら重くなるから速度が落ちるかと思ったけど、関係ねーんだな)
ひょいと横に跳び退いてみたが、ナイフはヒュンと曲がって凌を追尾する。
(結構自由に動かせるんだな。いいな、便利で。でも、直線じゃなくて曲線的な動きが多い気がすんな)
ナイフを目で追いながら避けていた凌だが、後ろから微かに風を切る音が聞こえ、反射的にしゃがみながら横へ跳んだ。
東陽の腰から、更に二本のナイフが飛び出す。今度は大振りなものだ。
凌は細身のナイフ五本を続けて避け、大きなナイフ二本を拳ほどの氷で覆った。
すると二本のナイフはゴトゴトと床へ落ちる。
まだ綺麗に列を成して向かってくる五本のナイフも同様にナイフの周りに水蒸気を発生させ、五本一気に氷り漬けにした。
(ある程度重くなると動かしにくくなるんだな)
床の上でガタガタ小刻みに動く氷のオブジェから視線を東陽へ戻すと、彼はにっこり笑ったまま、指揮者のように人差し指で弧を描いた。
次の瞬間、
「って!」
凌の左腕に裁縫針が刺さっていた。死角となっていたのに加え、小さかったので痛みを感じるまで気付かなかった。
「同じグループの人がお裁縫をしているのを見て思いついたんですが、結構有効そうですね」
東陽はにこりと笑って、指を動かして遠隔で細い針を抜く。
針の先には、数ミリ赤が付いていた。
「何で背後を狙わなかったんだ? 後頭部刺しゃ一発だろ」
刺されたところを摩っている凌に、東陽は肩を竦めて見せた。
「残念ながら僕、目で見えないものは動かせないんです。ところで凌さん、ひとつお聞きしたいんですけど……」
凌と目が合うと、人当たりの良い笑顔の少年はにっこり笑ったまま質問した。
「翔さんを殺すには、どうすればいいと思いますか?」
「は?」
質問の内容が内容だったので、凌の顔が思いきり顰められた。
決して『仲間を殺す』発言に驚いたわけではなく、「何でそいつに負けたオレに、そんな事を訊くんだ」という苛立ちの為だ。
だが、東陽は凌が前者で驚いたのだと思ったのか、言葉を変えた。
「えっと! 翔さんのように特別なヒトを相手にした場合、どうすればいいのかなって思って!」
「そりゃ、相手の弱点攻めてみりゃいいんじゃねぇか? 相手も生き物だからな」
翔の要については触れず、それらしい事を言ってアドバイス代わりにしてみる。
東陽は、そうですね、とどこか腑に落ちない空気を纏ってはいたが、笑顔で頷いた。
(弱点を聞きたかったみたいな反応だな)
凌は、はたと『内通者がまだ居るかもしれない』という潤の言葉を思い出した。
目の前に居る東陽は針の血を拭きながら、
「でも、この針に毒とか塗ったら使えそうですね」
「言っとくけど、毒じゃ翔は殺せねーぞ」
「ヤだなぁ、凌さん。僕は別に、翔さんを殺したいわけじゃないんですって」
たじたじと両手と首を横に振る東陽に「ま、いいけど」と返し、ナイフの氷を溶かしてやる。
「もういいのか?」
「ええ。やっぱり動く人間を相手にすると違いますね。ありがとうございました!」
頭を下げる東陽に見送られ、凌はつぎはぎだらけの格技場を後にした。
いつの間にか外はとっぷり暗くなっていたが、蛍光灯の発する人工の灯りを眺めながら凌は本部の中へ向かう。




