第六話『チャイニーズ・マフィア』―1
《P×P》の面々。泰騎、潤、凌、尚巳は、遥か上空一万mにいた。
旅客機ではなく、会社が所有する小型の貨物機だ。
搭乗者は四名のみ。
操縦しているのは潤。
泰騎と潤――そして倖魅は、十七歳の時に、アメリカで操縦士の資格を取っている。
倖魅は年が違うので、泰騎と潤の一年後に渡米していた。
会社の所有している貨物機は一機のみだ。
今回はたまたま空きがあったので《P×P》が借りて使用している。
潤の隣では泰騎が落書き帳を広げて、ボールペンでガリガリと絵を描いていた。
雲の上では景色も変わり映えしなく、退屈していたのだ。
雑に荷物にまとめてあったので、落書き帳は少し湾曲していた。
だが、描いている本人は気にしていないし、見せられた方も、慣れているので今更どうこう指摘はしない。
「潤ちゃん、見てみてー。“冬の100着限定ピスミロンT”のデザイン、これにしよーやー」
「今から冬デザインが通るか? 日本に帰ったら倖魅に見せろ」
「りょーっかい!」
元気よく返事をする。
しかし残念ながら、向かう先は日本ではなく中国だ。
離陸してから、まだ十分程度。
泰騎は窮屈な空の旅を、それなりに楽しんでいた。
手持ちのスナック菓子を紙皿に出し、後ろを向く。
紙皿を持った腕を、後部座席に向かって伸ばした。
「これな、期間限定のドラゴンフルーツ味なん!」
渡された方は、微妙な表情を見せる。
「ドラゴンフルーツって、スナック菓子に起用するほど特徴のある味でしたっけ……」
一抹の疑問を抱きつつ、凌は紙皿を受け取った。
通路を隔てて隣に座っている尚巳は、興味深そうにその薄茶色の物体を眺めている。
「ドラゴンフルーツをフレーバーに選ぶなんて、センス有り余ってますね!」
瞳の小さな、大きな目を輝かせながら、泰騎を見た。
泰騎も親指を立てて答える。
「な! 味はせんけど斬新よな!」
味はしないんだ……。
凌が声には出さずツッコんだ。
そして、ひとつだけ口へ放り込んだ。
薄くスライスされ、揚げられたジャガ芋が、口の中で砕ける。
なるほど。薄くて特徴のない味だ。
うすしお味に、申し訳程度の甘みが絶妙な調和を――生んでいるかどうかは、凌には分からなかったが。
きっと季節の終わりには、スーパーで箱積みにしてたたき売りされるだろう。ということが推測できた。
そして、凌は残りを尚巳に渡した。
「二時間後に到着して、上海支部に物資を届け、現地時間の午後三時から各々の標的殲滅に移る。今回は小さなマフィア関係の非合法団体だな。拠点が二箇所に分かれているから、ふた組で行動する様になる。仕事が終わったら滞在ホテルに集合だ。標的の顔写真と、入手できている分の刺青の写真を渡すから、目を通しておいてくれ」
前を向いたまま淡々と言い終え、潤が書類の入ったファイルを泰騎に渡す。と、泰騎はそのまま凌へ流した。
「ワシはさっきもう見たけん。あ、どっちの拠点に誰がおるかまではハッキリしとらんから、全員覚えといてな」
「あ、はい。二十人くらいなら覚えられると思います」
「ちょっ! おれ二十人もすぐに覚えられませんよー!」
尚巳が、頭を抱えて叫んだ。
「すまない。クライアントと本社からの資料提示が遅れて。俺が受け取ったのが、今朝だったんだ」
「潤先輩が謝らなくても良いですよ! 頑張って覚えますから!」
尚巳はスナック菓子をひと掴み口に入れ、資料とにらめっこを始めた。
うわ、味しなさすぎ。――呟いた言葉は、エンジン音に紛れて消えた。
上海支部へ物資――中国で販売する分の商品やら、なんやら――を届け終え。
泰騎と尚巳、潤と凌のふた組に分かれて行動を始めた。
上海。とはいえ、観光地になっているような中心街ではなく。
所謂、スラムのような。決して治安が良いとは言えない、そんな場所だ。
天候が悪いのか、はたまた空気が悪いのか――おそらく後者であろう――空はどんより灰色にぼやけており、太陽が霞んでいる。
泰騎と尚巳は、東へ進んでいた。
資料を頭に叩き込んだ尚巳は、先を歩く泰騎を追いかける。
首元には、ホクロに見える超小型マイク。
耳には同型のワイヤレスイヤホンを装着しているので、小声でもお互いの声は聞こえている。
ふと、見覚えのある顔が路地を横切った。
今回の標的のひとりだ。
尚巳が泰騎を見やると、彼も気付いたようだった。
「尚ちゃん、さっき路地入った奴追っかけてくれん? 多分、目的地に着くと思うんよ。ワシはちょっと遠回りしてから行くけん。あ、中に入るのはちょい待っとってな」
「はい。じゃあ、また後で」
歩かず走らず、周りの人の流れに沿って泰騎は遠のいていった。
(んじゃ、おれはまず、あいつ見つけないとな)
少し細くなっている路地へ入り、周りを見回す。
小柄だが特徴的な刺青をしているので、すぐに見付ける事ができた。
中国のマフィアは細身な者が多い。この男も、そうだった。
(武器が発達したから、体を鍛える必要が無くなったんだな、きっと。こういう奴は、人を殺すのも躊躇しない。こっちとしてはすっごく有り難い人種だな……)
胸中でひとりごちる。
数分も歩くと、資料にあった目的地にたどり着いた。
コンクリート打ちっぱなしの、四角い事務所だ。
(さぁて、泰騎先輩が来るまで隠れとくか)
周りはマフィアだらけ。タンクトップに刺青姿の人間が屯っている。
自分の姿はTシャツにジーンズ、背中にはメッセンジャーバッグ。
今出て行くと、確実に浮いてしまう。
騒ぎを起こすにはまだ早い。
少しして、イヤホンと頭上から声が重なって聞こえた。
「尚ちゃん、お待たせ」
隠れていた建物の屋根から、泰騎が飛び降りてきた。
いつもは頭に掛かっているゴーグルが、目に装着されている。
「んじゃ、行こうかー」
「おれも正面から入れば良いですか?」
言いながら、バッグから狙撃銃と、拳銃を取り出し、拳銃は腰のホルスターに掛けた。
狙撃銃は地につけ、構える。
「うん。窓とかでもええけど。ワシは飛び道具使わんから、長距離攻撃宜しく」
泰騎は笑いながら手を振り、歩いて正面へ出た。
実に堂々と出ていくので、尚巳は思わず三度も瞬きをした。
刺青男たちが泰騎に気付いて近付く。
泰騎は片手を上げて軽く、街中で友人と出会ったような仕草で挨拶した。
左手では、少し大きめで厚みのあるナイフが踊っている。
中国語で、笑いながら語りかけた。
「こんにちは。良い天気だね。絶好の暗殺日和だよ」
と、流暢な中国標準語で。
それを聞き、米神に青筋を立てた赤毛のモヒカン頭の男が、折りたたみナイフを開いて構える――のを見て、泰騎が更に口角を上げた。
「ナイフ仲間がおって、嬉しいわぁ」
日本語で言うと同時に、地を蹴った。
疾い。
尚巳も、思わず見入ってしまった。
というのも、地を蹴った脚から重心を上半身に移動させたのと幾分違わず、重心が下半身に移動していたからだ。
つまり、最終的にスライディングをしたのだが、それが終着でもなかった。
身体を低くし相手の懐へ入り込んだ泰騎が、左手に握ったナイフをモヒカンの腹部に深く突き刺す。
と同時に、モヒカンが腹から吹き飛んだ。
真っ赤な飛沫が噴きあがる。
噴出する血やら臓物やらを浴びながら、泰騎はゴーグルの奥にある瞳を輝かせた。
周りの人間は、訳が分からず立ち竦んでいる。
「ひゃぁー。やっぱりガスの量を増やしたら派手じゃなぁ!」
泰騎の手の中でくるくる回っているのは、WASPナイフだ。
手元のスイッチを押すことにより、刃からガスが吹き出す仕組みになっている。
「目立つけん、潤には止められとったんじゃけどテンション上がるわぁー。あ、尚ちゃん、潤には内緒じゃで」
近くに居ない尚巳にマイク越しに言うと、泰騎は頭を振って、浴びた血を弾いた。
シャンプー後の犬のようだ。
この状況を奇襲だと理解した者が、次々と武器を構える。
「あぁー、敵意殺意むき出しとか、たまらんね! めっちゃ、やりやすいわぁ!」
言うが早いか。
泰騎は銃を構えた小柄な者の足元に滑り込み、通りざまに足首を刺し、爆破。
足から崩れたところで、その人物を反転させ、放たれる銃撃を弾く。
しかし、小柄で華奢な身体は銃弾を貫通させた。
ので、男の体が蜂の巣になるのを確認するよりはやく、次の標的の元へ跳んだ。
それを脳が理解した頃には、両側から迫っていた男二人に穴が開いている。
外の異変に気付いた他の仲間が、窓から狙撃の素振りを見せたので、尚巳は狙撃銃を構えた。
(あの位置なら、泰騎先輩に当たりはしないだろ)
規則性や理論性など無視した動きをする今日の相方を視界の端に収めながら、尚巳は引き金を引いた。
標的が窓奥に倒れるのを確認し、入口付近を見やる。
男が六人倒れているのが目視できた。
泰騎は既に建物の中へ消えている。
時間にして、一分弱。
尚巳が感嘆の息を漏らす。
(銃を持ってる相手に、ナイフ一本で。しかもこの短時間に……確かに、強いや。でも、これじゃまだ決定打にはならないんだよなぁ)
尚巳も、倒れている男達に息がないか確認しながら、建物へ入った。
外で六人、上は尚巳が一人始末した。
残りがどれだけ居るのかと、泰騎は鼻歌が漏れそうにほど逸る気持ちを、抑えながら進んでいた。
武器はナイフ三本。
これで充分だと踏んでいる。
相手がハンドガンだろうとマシンガンだろうと、泰騎にとっては大した問題ではなかった。
相手が撃つ前に、仕留めればいい。
撃たれても、当たる前に避ければいい。
それだけのことだ。深くは考えない。
七歳の時、父親と年の離れた兄二人を手にかけた日から。
何故なら、考えるより先に身体が動くから、だ。
深く考えれば考える程、動けなくなる。泰騎は、そんな自分の性質をよく自覚していた。
だから、考えない。




