第四十二話『あの人は今』―1
時は少し遡り――光がまだキャリーケースに入れられて新幹線に揺られていた頃。
神奈川県横浜市、某所、焼肉屋“匣”。
右脚を失くした寿途が、木の皮で出来た繭から出てきた。日光に当たっているのか疑われるほど青白い肌。光りを全て吸収しているような黒い髪に、黒い瞳。その眼が捉えたのは白髪の男。視線を少し下げると、赤い女が頭や腹から血を流して倒れていた。
後ろにも誰か居る事は感じていたが、寿途にとっては目の前で倒れている人物が重要だった。
自分を好きだと言って仲良くしてくれる、数少ない人物。
その人物は、ぴくりとも動かない。
「ちあき……?」
幼子が、母親を見失った時のような声で呼ぶ。反応は無い。
駆け寄りたいが、その脚も足りない。
ただ、その赤い人物の生命が尽きている事は、どうしようもなく現実的に感じることが出来た。
怒りか悲しみか絶望か虚無か、その全てか。一気に膨れ上がった寿途の感情がその場の空気を震わせる。
それは、翔が要を切除された時に見せたものと酷似していた。
凌が「ヤバ!」と身構えた瞬間――、
『もぉぉおおおお!! くやしー!! あたし、殺されたぁあああ!!』
死んだはずの赤い女が、吠えた。
「!?」
凌がビクッと動きを止める。
寿途が目を丸くする。
やすえが、煙草に火をつけた。
千晶の体は地面に足をついているが、実体と呼ぶには“薄い”。半透明とも言う。つまり、
「……霊体……」
寿途は上げかけていた上体を、脱力させる。
凌も霊魂が形造る“幽霊”が視えるので、その存在をすんなりと受け入れた。
頭や腹から血が流れているように見えるが、それらは現在進行形で流れ出てはいない。
あまりに千晶が喚くので、凌は冷静さを取り戻し、「銃弾が頭部破壊するほど威力のあるものじゃなくてよかった」と心の中で安堵した。見るに堪えない状態の死体も霊体も見てきたが、そういった存在と面と向かって楽しく会話をしようという気にはなれないからだ。
『もお! 聞いてよやすえさん! 洋介のバカが寿君の右脚ぶっちぎったのよ!? くっそ腹立つ!!』
「そりゃあ許せないね。ところで、千晶ちゃんを殺したのは誰なんだい?」
やすえの適応力もなかなかのものだ。先程まで怒りのまま銃口を凌へ向けていたとは思えない落ち着きを見せている。煙草の煙をひとつ吐き出し、腕を組んだ。
千晶は寿途が生きている事を確認すると、肩を竦めて舌を出した。
自分の遺体を観察しながら、千晶は言う。
『わかんない。でも、洋介じゃないと思うわ。あたしを銃で撃つ余裕なんて、あいつにはなかったはずだし。何より、あたしは後ろから撃たれてるしね』
千晶の言葉を聞き、やすえと寿途が同時に凌を見る。
「いや、だからオレじゃないって!」
『あ、そうだ。芹沢君、あたしの頭から銃弾出してくれない? 《自化会》のヤツなら弾で分かるかも』
凌は嫌な顔をしつつ、自身の身の潔白も証明しなければならないので渋々頷き、再び千晶の側にしゃがみこんだ。
とはいえ、取り出すと簡単に言っても銃弾は決して大きなものではない。下手に取り出そうとすれば、千晶の頭蓋は今度こそ割れてしまうだろう。
凌が悩んでいるのを察知した千晶は、つり上がった赤い目をぱちくりさせて笑い出した。
『あっはっは! 芹沢君って案外不器用なの!? じゃあ寿君、よろしく!』
片足が無い為に歩行もままならない寿途を呼ぶ。
『ほら! 芹沢君はボーッとしてないで、寿君を抱っこして連れてきて!』
幽霊に笑われた上に指先で指図され、凌は少しムッとしたが、言われるがまま寿途を抱き抱えて千晶の元へ連れてきた。
寿途の脚は、出血こそ止まっているようだがまだ塞がってはいない。彼の体があと少しでも大きかったなら、もっと難儀だっただろう。
「千晶、冷たい」
動かなくなった千晶の体に手を当てて、寿途は俯いてしまった。
千晶は少しその様子を眺めていたのだが、
『悲しんでくれてる所に水を差すけど……ごめんね寿君。死後そこそこ時間が経ってるし、んまぁ、まだ心配ないと思うけどさ……色々流れ出て来るとあたしもちょーっと恥ずかしいから……。銃弾、早く取り出してくれると嬉しいな』
死んだと言っても羞恥心はある。
寿途も言われた通り、千晶の後頭部を覗き込む。大幅に破壊される事もなく、摩擦によって生じた焦げが確認出来るのみ。奇跡的に綺麗な状態を保っていた。
寿途の細い指でも銃弾を取り除くことは出来ない。そこで、寿途は指先から根のようなものを伸ばして千晶の後頭部へ侵入させる。
「寿途君は木神の“六合憑き”でしたっけ」
凌の質問に、千晶が答える。
『そうよ。寿君の中に六合は居ないらしいけど』
「じゃあ、能力だけ移植した感じですか? 確か、嵐山さんの得意分野ですよね。聖獣を実体化させて血清を作って……」
『あー、ごめん。あたし、そーいう専門的なの分かんない』
千晶は肩を竦め、ややこしい話は早々にパス。そんなやり取りをしていると、千晶の目の前に銀色が光った。
薬莢を脱いだ銀色の弾丸。
カラン、と床に落ちた弾を見て千晶は、ふぅん、と目を細めた。
『拓人……』
「はぁ!?」
あまりに凌が驚くので、千晶は顔を顰めた。
『違うわよ。拓人じゃなくて、拓人んトコのガキよ。拓人の弾は発火で飛び出す訳じゃないし、パッと見金属に見えるけど、素材は土とか石だもの』
「え……あ、そう、なのか……」
『まぁ、拓人が自分が撃ったって証拠を残さない為にいつもと違う弾を使ったって筋も無きにしも……って感じだけど。多分、拓人の銃って普通の弾は入らないのよね。だからおそらく、拓人と同じグループの奴。名前なんて知らないけど、昨日から帰って来てないって言ってた奴じゃないかしら』
寿途も、千晶の言葉を黙って聞いて頷いている。
「そういや臣ちゃんが『浩司君が来たら拘束しといてくださいねぇー』って言ってたね」
やすえは煙草を灰皿に押し付けた。
『へぇ。その“浩司”ってヤツ、裏切り者として処分される前に、元々の裏切り者の洋介と組んだのかしら? どちらにせよ、そいつも処刑対象ね』
にやりと笑う。千晶は自分が殺されたというのにどこか楽しそうだ。凌はそれを不思議……というより不気味に思ったが、千晶の持ち前の明るさがその意識を薄めている。
「で、千晶さん。寿途君もケガをしていますし、千晶さんの……その、遺体も一度処置しないといけないと思うので……。一度、《P・Co》傘下の病院まで行ってもらえますか? 嵐山さんもそこに居るはずなので」
『え!? 会長も怪我したの!? また階段から転がり落ちたとか!?』
また? と聞き返しそうになったのを喉元で留め、凌は滝沢と祝が重症を負った旨を話してから、病院所有の救急車を手配した。




