第四十一話『さいかい』―3
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歓迎パーティーと称されたどんちゃん騒ぎが終わる頃。《天神と虎》のボスであるマヒルが現れた。
髪は昭和を思わせる、短いボブ。おかっぱともいう。頭の中心には真っ赤なカチューシャ。低い身長に、丸めの顔。まるで少女だ。
そんな、少女のような女性が赤ん坊を抱いている。
「なかなか寝てくれねーから、連れて来た」
そう言うマヒルにイツキは、光が初めて目の当たりにする慌てっぷりで駆け寄る。
「コーセーをプレイルームから出したらダメじゃないか。危ないだろ?」
「つってもよ。私も飽きたんだ」
少女のような母は、ほっぺをぷっくりと膨らませて夫のイツキを睨む。するとイツキは「少しだけだよ」と、マヒルの訴えを受け入れた。
マヒルが抱いている赤ん坊は、コーセーというらしい。まだハイハイも出来ない男の子だそうだ。
光は、あまり子どもと触れ合う事がないので、プニプニとしていて涎をたらしている存在に興味津々だ。
「かわいい……」
思わずこぼれた声に、マヒルは太陽のような笑顔を向けた。ついでにコーセーの顔も光へ向ける。
「かーわいーだろ! つっても、私は子どもを産むまで、ガキは嫌いだったんだけどな! ところで、アンタ誰だ?」
大きな丸い目で見上げられる。
光がにこりと笑って「魔女よ」と言えば、マヒルの瞳が輝いた。
「まじょ! ほうきで空を飛べるのか!?」
「アタシは飛べないわ」
苦笑すると、マヒルの表情が変わる。
「じゃ、魔女じゃねーじゃん!」
拗ねた子どものようにむくれるマヒルに何となく既視感を抱いた光は、そうかもしれないわね、と笑う。
マヒルはコーセーを抱いたまま、光の目の前でふわりと浮いて見せた。
「魔女の力を借りれば、私ももっと高く飛べるかと思ったんだけどな」
すとんと床に足をつく。
「アタシは浮く事も出来ないから、マヒルさんは充分凄いと思うわ」
「っていうかもっと驚け!」
光があまりに淡白なリアクションだったからか、マヒルは丸い頬を更に丸く膨らませて、ぷんすかと怒った。かと思うと、急に笑い出す。
「はっはっはっ! アンタおもしれーな! 初対面で私が浮いたのを見て、冷静に意見してきた奴なんて初めてだ!」
コーセーを片腕に抱いて、空いている手で光の背中をバシバシ叩く。
光としては、拍子抜け、というか、“これじゃない感”がすごかった。
(ユウヤ君の螺旋状に働くねじる力を見た後じゃ、真上に少し浮く程度じゃ驚けないわ……)
というのに加え、そんなユウヤたちを束ねる大ボスとなれば、もっと凶悪で邪悪で冷徹な人物だと思っていたからだ。
“悪い人には見えない”。それが、マヒルに対する光の率直な感想だった。
(何となく、イツキさんの方がボスっぽい雰囲気があるのよね……)
にこにこと柔和な笑みを湛えるイツキ。スーツ姿で、髪は少し緩めのオールバック。
ここ最近の出来事の所為で、光はこのテの人物を信用出来なくなっていた。
(イツキさんって何か不思議な感じがするのよね。あと、あの黒猫……)
視線だけ動かす。黒猫はロッカーの上で唐揚げを食べていた。
病気にならないのかしら、と光は思ったが、猫は食に柔軟な生き物だという事を思い出す。日本の猫は魚が好きだと言われているが、それは昔の日本人が釣った魚を猫にやっていたからだ。勿論そればかりを食べるわけではないが、イタリアではパスタを、インドではカレーを食べる。
黒い体毛に、大きな目。瞳も黒い。
ふと、その黒い目と目が合うと、黒猫は会釈をするように頭を下げた。
(黒い瞳の猫なんて珍しいと思ったけど……)
初見の時から気になっていた。肌を撫でる、妙な違和感。
光があまりに見つめるからか、黒猫は居心地が悪そうに首を竦め、周りをきょろきょろと見回して、ロッカーから、トン、と降りた。
マヒルは今、イツキやミコトと話しながら、山のように聳えているポテトサラダをむさぼっている。コーセーは、父親のイツキが抱いていた。
黒猫は光の足元まで来ると、しっぽを揺らして狙いを定め、光の肩へ飛び乗った。肩にかかった重量に光が顔を顰めた時、耳元で「悪い。重いのは我慢してくれ」と人の声がした。
思わず猫の方を見た光の顔を、ピンク色の肉球がやんわり元へ戻す。黒猫は皆に背を向ける形で光の肩に乗っていて、顔は光の頭でイツキたちには見えないようにしている。
長い髭がくすぐったいと思ったが、光は察した。
(この黒猫、やっぱりキメラになった人間……)
「君、天馬翔の許嫁だろ? 噂には聞いてんだ。あ、なるべく口を動かさないように。おれ、人語は喋られないって事にしてるから」
光にしか聞き取れない小さな声で、口早に猫は言った。
光はミルクティーを飲むふりをして、こくんと頷く。
すると黒猫は、自分の名前、どこの人間で、元々は拓人の相方をしていて、今は凌と仕事をしている事。どういった経緯でここに居て、何故こんな姿になったのか、イツキとは一応協力関係にある事、イツキの能力についてを光に教えた。
「イツキは心が読めるけど、少し離れるとそれも有効じゃないらしい。だから、おれは今喋ってる」
光は小さく頷いた。それと同時に、イツキの能力の多さに軽く閉口した。読心、透過、念動力。もしかしたら、まだ何か隠しているかもしれない。
複合能力者というのは、大概“何らかのリスクを負っている”か、翔のように血統――特殊な遺伝子を持っている者が大半を占める。イツキは、光から見れば一般の人間のように感じた。
しかし、これで光の中にあったモヤが少し晴れた。
「で、外と連絡が取れる事があったら、今言った事を伝えてくれ。んで、余裕があったら《P・Co》か《P×P》へ、『尚巳は生きてる』って伝えてくれ。この姿になってから、連絡取れてないんだ」
ペットボトルを傾け、口元が見えないようにして光は言う。
「分かったわ。『まかせて』とは言えないけれど、アテがひとつあるから」
「ありがと。気を付けて」
そう言い、黒猫――《P×P》の尚巳は光の肩から降りて、なぁ、と高めの声で鳴いた。
心強い味方が出来た気がして少し安心した光だったが、ミコトの生足にすり寄っている尚巳が視界に入ると瞼を落とした。




