第四十話『鳥の子』―4
翔が「眠いから寝る」と食卓を後にしたので、倫と潤は並んで流し台に居た。倫は食器を洗い、潤は布巾で拭いている。家庭教師初日に手伝おうとした時は康成に『畏れ多い』と止められたが、手持無沙汰も苦痛なので潤から頼んで家事を手伝っていた。
倫は潤の申し出を断りはせず、快く手伝ってもらっている。
「さっきはすみませんでした。察して頂けて助かりました」
『沼の男』からの、“魂の専門家が……”という話題の事だろう。潤は存外、他人の心理を察する事に関しては疎い方ではあったが、倫が分かりやすいリアクションをしていたので顧慮出来た。
「家庭の事情は、俺の踏み込むべきところではないからな」
「いえ。潤さんには先にお話ししておくべきでしたよね。ここ最近はバタバタしていて、深叉冴さんも康成さんも不在にする事が多いので話すタイミングを失っていました」
緑茶成分の配合された食器用洗剤をスポンジに足しながら、倫が頭と眉を下げる。
潤は先に『家庭の事には踏み込まない』と言ったばかりなので、どんな表情をしていいものか分からず、ただ無言だった。
「正直、ボクってこの家の中でも“そういう話題”に消極的なんですよ。抗争だとか、闘争だとか、家督がどうとか。厄介事は嫌いなんです。だから、関わりたくない。今回も、旧家長様と長男様が不在中にボクが話すってどうなんだろうな、って思っているんですけどね。まぁ、気楽に聞いてください」
食器に汚れが残っていないか確認しつつ、倫は笑って言った。
気楽に聞ける内容っぽくはないな、と潤は思ったが、やはり無言で頷いた。
「潤さんも言い掛けていましたし、謙冴さんから聞いていてご存知だと思いますけど、天馬は元々“天魔”だったんです。魑魅魍魎だとか妖だとか、悪さをする人外の魂を“狩る”のが、家業でした。格好つけた言い方をするなら、人ならざる悪しきものを滅する仕事ってトコですかね。翔が持ってる、禁刀ってあるじゃないですか。アレ、元々はそういう存在の、肉体と魂を完全に切り離して、必要なら魂をぶった切っちゃうものなんです」
あまりに軽いので対人用の武器でない事は知っていたから、潤は「なるほど」と首を小さく縦に下ろした。
(だから、刀身の素材が水晶のような鉱物なのか)
潤は濡れた皿を受け取り、拭いて水切りかごへ置いていく。白い皿を拭くと、キュッと小気味良い音がした。
「天魔家は、魂の専門家。しかし、現在の当主である翔は、その事を知らない」
潤が短くまとめると、倫は頷く。
「翔が自分で気付くまでは、何もしないし、言わない約束なんです。深叉冴さんとの」
倫は蛇口のレバーハンドルを操作して水を止めた。流し台付近に掛けてあるタオルで手を拭き、肩を竦める。
「でも、翔は気付き掛けてますね。正直、一生気付かないかと思っていましたけど」
ふふ、と笑って、倫はストレッチをするように腕を上に伸ばした。
潤も全ての食器を拭き終えたので、食器棚へ移動させる。
「面白いものが見られるかもしれませんよ。実は、ボクもどうなるのか知らないんです」
要点を話しているようで回りくどい内容なので、潤は頷けずにいる。だが、“気付き掛けている”という言葉が引っ掛かっていた。さっき三人での話していた内容に、それらしい言葉が含まれていたらしい。
考えを巡らせている様子の潤に、倫は悪戯っぽい笑顔で言った。
「潤さんの言葉を借りるなら、翔は――」
◇◆◇◆
“ダチョウの脳みそは目玉より小さい”というのは、有名だ。『鶏は覚えた事も三歩歩けば忘れてしまう』と言われているが、ニワトリではなく、ダチョウがそれに相当する。
しかし、ダチョウは時速四十キロメートル以上で一時間以上走る事が出来るし、三キロメートル先まで見る事が出来る。卵からは様々な抗体が検出され、インフルエンザのワクチンもダチョウの卵から作られている事は広く知られる事実だ。
生物とは須らく、一長一短あるものだ。
翔は、忘れっぽいのは“鳥”の特徴を持っているから仕方のない事だ、と諦めている節がある。
(寒太はよく覚えてるのになぁ……)
翔はベッドに転がり、天井を眺めながら嘆息した。
(カラスの脳がほしい……)
半ばやけくそな願望を抱きながら、翔はそのまま眼を閉じた。
◇◆◇◆




