第四十話『鳥の子』―3
凌は黒くなったスマホの液晶に映った自分を見つめながら、小さく溜め息を吐いた。
「万が一……か」
死んだか、殺されたか、裏切ったか、それとも……、
「オレが言った通りになってなきゃいーんだけど」
冗談めかして言った言葉を、今更悔いている。
凌が、はぁ、と息を吐き、スマホを上着に戻して顔を上げると、顔立ちの整った少年が目の前に居た。こげ茶色にも見える黒髪で、にこにこと愛想の良い笑顔を浮かべる口元には、ぽつんとホクロがある。
凌はこの顔を、書類で見て認知だけはしていた。
「確か、翔と同じグループで《A級》の……」
少年はポンと手を叩き、わぁ、と明るい声を上げた。
「ご存じ頂けていて嬉しいです。《A級》の、後藤東陽といいます。《P・Co》の凌さんですよね? よろしくお願いします」
(自分より上級の人間が殺されたってのに、結構平然としてんなぁ)
凌はふとそんな事を思ったが、特殊な環境に居る人間に感情の起伏や倫理観のズレを指摘してもムダだと考え至ったので、それについては何も言わない。
「厳密には“《P×P》”の、だけどな」
そう、訂正だけしておく。
「いやぁ、大きな組織ってややこしいですね」
東陽は笑いながら首の後ろを掻いた。
実戦投与される人数だけなら、《自化会》の方が多いんだぜ? と、心の中で反論するも、声には出さない。
「ところで、僕も少し訓練をしたいと思っているんですけど……、同じグループの人、誰も居なくて。で、凌さんが同じグループに入ってくれるって小耳に挟んだものですから。お声を掛けちゃいました」
「あー、そういえば翔がそんな事言ってたな……」
そもそも何をするグループなのかも、凌は知らない。ただ、一緒に訓練をしているメンバーなんだという話だけは、翔から聞いている。
周りはバタバタと忙しく動き回っているが、正直、他組織の自分がどこまで手を貸してもいいものかと思いあぐねていたので、凌は東陽の申し出を受けることにした。
◇◆◇◆
天馬家では食事を終えていた。温かいほうじ茶とお茶請け――デザートの抹茶マフィンが、テーブルに乗っている。
全体的に鮮やかな緑色をしている、きのこのような形をしたマフィンの頭には亀裂が入っていて、そこから覗く生地はふわっとしていた。
「潤さん、甘いものはあまり食べないけど、抹茶のお菓子は食べるんだって昨日恵未さんに聞いたので、作ってみました」
にこりと笑う倫。
自分の為に作ってくれた事に感謝しつつ、潤はフォークを手に取った。
「ありがとう」
倫に礼を言い、フォークをマフィンに刺し込もうという時――、
「青虫みたいな色で美味しそう」
と翔が言った事でフォークが止まったが、小さく深呼吸をして、フォークでマフィンを割った。
「ねぇ、潤。『沼の男』の話なんだけど」
潤は視線だけ翔へ向けた。
「魂があるのは分かるんだ。それが移動できる事も知ってる。俺、ちょっと思ったんだけど、魂って二つに分けたり出来るのかな?」
言いながら、翔はマフィンを手で半分に割って見せた。
「それは俺にも分からないな。ただ、その分野を専門としている人なら居るだろ?」
翔は、目を見開いて驚いた。その反応に驚いたのは、潤だった。
「え……。お前もよく知って……」
ちらりと倫を見やれば、太い眉を下げて困った顔をしている。
「あー……、悪い。俺の勘違いだ。忘れてくれ。俺が思うに、魂を分けてしまうと、それはもう“別人”になってしまうんじゃないか?」
「べつじん……」
翔は、両手にあるマフィンをじっと見つめた。
(何か忘れてる気がするんだけど……思い出せないや……)
自分が物事を忘れるのは、よくある事。翔はそれに慣れているし、それが自分の性質なのだと受け入れ、深く考えない。
だが、何かが引っ掛かる。
「俺、何を忘れてるんだろ……」
呟いて、青虫色のマフィンにかぶり付いた。甘くて少し苦くて、ふんわりしていながらしっとりとして、美味しかった。




