第四十話『鳥の子』―2
「休憩が長引いたな……。待たせて悪かった」
潤の視線の先には、どこから現れたのか、倫が立っていた。側頭部におかしな面をつけ、作務衣を着ている翔の義兄。右目は、縦に大きく入った傷によって閉ざされている。
対人赤面症ということもあり、顔は赤みを帯びていた。
「お夕飯の準備が出来ましたよ。今日は唐揚げと焼き鳥と――」
倫が言い終わる前に、翔がものすごい勢いで立ち上がり、台所の方へ走っていった。
「ふたつとも、翔さんの大好物なんですよー。っと、うっかり『さん』を付けちゃいました。翔には内緒にしておいて下さいね」
肩を竦めて言うと、倫は潤の隣に立ち、ピンク掛かった紅い瞳を見上げる。少し、楽しそうに。
「潤さんって、動物に好かれるでしょう?」
「え……」
「ふふ。翔が会って間もない人に自分の考えをあんなに話すのって、珍しいんですよ」
潤が口元を緩めて、そうか、と言ったのを見て、倫は再び楽しそうに、赤い顔で笑った。
人数の少ない食卓も久し振りで、今回は三人のみ。倫が言うには、康成は用事で出掛けているらしい。
千切りにされたキャベツ、くし切りにされたレモン、唐揚げ、焼き鳥、味噌汁に白米。それが、倫の用意した夕飯だった。
倫が各々の前に湯呑みを置き終えると、三人揃って手を合わせた。
そして、三人揃って、
「いただきます」
カチャカチャと食器同士の擦れる音が鳴る中、倫はふと時計を見た。長針も短針も“6”付近で重なっている。
翔は唐揚げを箸で摘まんだ状態で、あ、と声を上げた。
「ねえ、潤。凌が教えてくれる、学校の勉強は?」
「その事なんだが――」
答えかけたところで、潤のスマホが着信を知らせた。着信元は、凌だ。
潤はひと言断りを入れると、通話を始めた。
「どうした?」
スマホからは、疲れを感じさせる凌の声。
『先輩。今、お時間よろしいですか?』
「ああ」
『オレ、今、《自化会》に居まして……。あ、そこに翔が居たら、通話をスピーカーにしてください』
潤は凌の要望通り、凌の声が周りにも聞こえるようにスピーカーのアイコンをタップし、席を外そうと上げかけていた腰を椅子へ戻した。
スマホを卓上へ置くと「続けてくれ」と先を促す。
『まず、千晶さんが殺害されました。体中傷だらけでしたが、頭蓋骨に銀色の弾丸が残っていて、これが致命傷となったようです』
翔は、咥えていた唐揚げを口からこぼした。
「千晶…………死んだの……?」
珍しく驚いた様子の翔に、倫も驚く。
だが、顔の見えない凌の声は、淡々としたものだった。
『ああ。寿途君がその場に居たけど……まぁ、それは今は置いといて。次に、三浦洋介が内通者です。本名は、キリル・スミルノフ』
これに反応したのは、潤だった。上着の内ポケットから手帳を取り出すと、そこにメモしている内容を確認し始めた。
「それに関しては、倖魅に調査をしてもらっていた。彼の両親は《P・Co》の工作員だったからな。鳥取支部の人間とも繋がりがあったらしく、薬品のやり取りもあったようだ」
『キリルは千晶さんの殺害現場に居合わせていた事が、寿途君の証言から分かっています』
「寿途は無事なの?」
少し間を置いて、スマホの向こうで凌が、そうだな……、と呟く。
「無事じゃないけど生きてる……としか、オレからは言えねーかな……」
凌の声のトーンは、少々深刻な雰囲気を思わせた。
翔は落とした唐揚げを摘み上げて口へ放り込むと、咀嚼がてら「じゃあ俺、洋介を殺せるね」と無感情な声で言った。
それに凌は、いや、と返す。
『キリル・スミルノフの殺害依頼は、オレが嵐山さんから直接受けたから』
翔は、そうなの、と残念そうだ。
『正直、オレが思うに……、キリルを殺したいのは寿途君と祝さんだろうな。まぁ、だからこそ、嵐山さんはオレに依頼したんだろうけ――』
「ねぇ、そういえば、祝は何してるの?」
洋介と組んで仕事をしていた祝の名前がなかなか出てこなかったので気になったのだろう。翔が食い気味に訊いたので、凌が声を詰まらせる息遣いが伝わって来た。
凌は、祝が病院へ搬送され、手当てを受けた旨を伝えた。
『それから、キリルの部屋のクローゼットから、拓人が作った結界符が見付かって――』
「拓人は洋介の仲間なんかじゃないよ」
またしても、翔が喰い付くように口を挟む。
「拓人は、いざって時の為に、上級会員に結界符を配ってるだけだもん」
『自分の身を隠すためにって拓人が皆に配ってる事くらい、オレだって分かってんよ』
凌の声に苛立ちが滲んできた事を感じ、潤が割って入った。
「凌、他に何かあるか?」
『あっはい! えっと、嵐山さんの秘書をしている滝沢さんもケガで入院しています。嵐山さんはそちらに付き添っていて、今は《自化会》を不在にしています』
「分かった」
潤は短く答えると、手帳のページを捲った。
「内通者についてだが、いくつか不審な点がある。他にも居る可能性もあるから、気にしていてくれ」
了解の返事を聞き、潤は手帳を閉じた。上着のポケットへ収めながら、それから、と加える。
「尚巳からの連絡が途絶えている。万が一の事もあるから、覚悟しておいてくれ」
『分かりました。オレはもう暫く《自化会》の手伝いに回ります。それでは、失礼します』
通話を終了させ、潤はスマホをしまって箸を手に取った。
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