第三十九話『金の人』―2
キャリーケースの中身は、輝くような長い金髪を持った少女だった。胎児のように体を丸めて収まっているが、大きさから推測する年齢は、十代後半以上だろう。
「『生き物が入ってるから扱いに気を付けて』とは言われてたけど……まさか人だったなんて……」
シンジはしゃがみ込んで、その少女を観察する。白い肌に高めの鼻、髪と同じ金糸の長いまつ毛。本当に妖精ではないかと思い、耳を見た。可愛らしい人間の丸い耳だった。
睡眠薬か何かで眠らされているのか、はたまたとてつもなく図太い神経の持ち主なのか……少女は起きる気配を見せない。
シンジの隣に膝を突き、ユウヤは少女の白い頬をペチペチと叩き始めた。
「おーい。起きろ、ねーちゃん」
長いまつ毛が僅かに震えたかと思うと、瞼が上がって、海のように青く、澄んだ色をした瞳が現れる。
シンジは職業柄、様々な女性と接してきたが……、その誰よりも“綺麗だ”と思った。“かわいい”や“美人”ではなく、“綺麗”なのだ。身体そのものが発光しているようにすら見える。
丸まったまま、ゆっくりと瞬きを数回し、ぼんやりとしている視線を正面から横へ動かした。
そして、何かに驚かされたようにガバッと一気に上体を起こし、
「ッ! 痛っ。いたたた……」
美しい少女は、腰を押さえた。
老人のように腰を擦っていた少女だったが、乱れた髪をささっと手櫛で整え、キャリーケース内に座った状態で姿勢を正す。
「ここは何処かしら」
見回せば見知らぬ顔ぶればかり。黒猫まで居る。そんな状況の中で、少女は毅然とした態度を見せている。
シンジは単純に「まだ若そうなのに、肝の据わった子だなぁ」と思った。
ユウヤは少女と向かい合う形でしゃがんだまま、へぇ、と声を漏らして少女の顔に手を近付け……触れるか触れないかという所で、少女の白く細い手が、パンッ、とユウヤの手を弾いた。
「気安く触らないで」
少し目尻の上がった少女の眼に睨まれ、ユウヤは両手を上げて肩を竦める。
「悪かったよ。ねーちゃんがあんまりキレーだからさ。本当に人間かなって思ってさ」
「……人間よ。名乗る義理もないけれど、一応教えておくわ。名前は東光。貴方は誰かしら?」
「へぇ。日本人なのか。俺はてっきり、ドイツ人なのかと思ってたぜ」
「…………」
光は怪訝な顔をユウヤに向けつつ、一度小さな深呼吸を挟んで言葉を発した。
「母は、ドイツ人。ところで、アタシの質問にはいつ答えてくれるのかしら?」
「そうだな。アンタは大事な“お客さん”だ。丁重に扱わなきゃな」
ユウヤはニッと笑うと、光に手を差し伸べた。
光の表情は解れないが、少女はユウヤに手を引かれて立ち上がる。ヨーロッパの田舎風ワンピースの裾が、ふわりと広がった。その後ろで、長方形の紙がひらりと舞ったかと思うと、燃えるように消えて無くなった。
脱がされて一緒にキャリーケースに入れられていたショートブーツを履き、光はユウヤに視線を戻す。
「ここは、《天神と虎》っていう正義の組織だ! で、俺はユウヤ。ボスの弟なんだぜ!」
「正義……」
光の表情が、更にしかめられた。どうやら、キャリーケースに入れて連れて来られた状況と“正義”という言葉が直結しないらしい。
「まぁいいわ。組織の名称は理解したから、地図上での場所を教えてくれないかしら。細かい住所が無理なら、都道府県だけでもいいわ」
「博多だ。秘密の組織だから、これ以上は言えねぇな!」
博多に住んでいる者は、出身地を訊かれた時に“福岡県”と言わず“博多”と言う傾向にある。しかし、ユウヤにはあまり方言訛りが感じられない。
「そう。博多なの。豚骨ラーメンが美味しいのよね?」
「そうなんだぜ! 光ねーちゃんにもまた食わせてやんぜ!」
「…………それは、楽しみね」
光は笑顔も見せずに『楽しみ』と言う。それというのも、室内には異臭が漂い、天井や壁や床には赤黒い汚れがこびりついているからだろう。
食事の話をする場所ではない。
そしてユウヤは笑顔のまま、シンジの左肩に手を置いた。その下には、数日前まであったものが失くなっている。
無い腕に、汚れたオーバーオール、くたびれた顔。それらを見て、ユウヤはシンジに笑顔のまま言った。
「これじゃイケメンホストが台無しだなぁ。お前、もう用無しだから。今までごくろーさん」
ユウヤの言葉を聞いて絶望の色に染まったシンジの顔は、次の瞬間には水を絞る雑巾のように捻れた体ごと、くしゃっと潰れて原型がなくなった。




