第三十八話『銀の人』―4
「あたしの、何が見たいって?」
いつもの、勝気な眼光で洋介を睨む。不敵な笑みのおまけ付きで。
「ぐっちゃぐちゃな泣き顔さ。でも、順番が狂っちゃった。寿途を殺せば泣いてくれるかと思ったけど……“そんな事”じゃ千晶は泣きそうにないからさ。残念だけど、もう死んでもらっても良いかなって思っているよ」
「あんなに言い寄ってきてたわりに、冷たいのね」
「人間の心は移り行くものさ。変わらないものなんて、無いよ」
洋介は、やれやれ、と首を振って見せた。
「僕はね、千晶。無能なのに踏ん反り返ってる君が、滑稽で大好きだよ。今も好きさ」
千晶の表情は変わらない。黒いまつ毛に覆われた、吊り上がった大きな目。その中にある赤い瞳。真っ赤な唇も、挑発的で好戦的に弧を描いている。
《自然と化学の共存を促進する会》の女性会員中、最も“強い”とされる人物。実際に、“強い”のだ。身体能力が高く、こと精神力に関して言えば《SS級》のメンバーの中でも群を抜いている。
ただ、彼女には《自化会》の会員として重視されているものが備わっていなかった。
「会長の作った眼がなければ、“霊視”すら出来ないチンピラ風情が。よくもまぁ、僕たちに混じって対等に渡り合ってきたものだよね」
自分の瑕疵といえる点を指摘されてもなお、千晶の面持ちは変わらない。千晶は赤い眼を閉じ、再び眼を開いて、赤い唇の口角を更に上げた。その表情は、おもちゃを狙う猫のようだ。
「そうなの。“シキガミサマ”なんて居なくても、あたしってスゴイの。そんで、アンタはその『チンピラ風情』に負けるのよ!」
タラララッ、と軽快な音を奏で、弾が飛び出す。9mm機関けん銃は全長三十センチ余りの銃だが、有効射程は100メートル。ただし、正確性には少々難がある――のだが、そこはやすえの愛銃。しっかりと改良されている。
連射された弾は千晶の狙い通り、洋介目掛けて一直線。だが、洋介も馬鹿ではないので手は打ってある。
カカカンッ、と洋介の前で弾は止まった。純度の高い氷の壁に刺さった弾たちは、空中で静止しているように見える。
洋介は呆れてかぶりを振った。
「全く、バカの一つ覚えみたいにダンダン撃っ……て…………?」
氷越しに千晶を見れば、カウンターの向こうに居た千晶が眼前に迫っていた。氷壁に銃口を突き付けて。
「あたしから一瞬でも視線を逸らすなんて、アンタこそバカなんじゃない? ばぁーか」
巻き舌のような連射音が、店内に響く。ゼロ距離から連射されて、薬莢の中にある火薬が暴発してはひとたまりもない。何より、それなりに厚みのあった氷の壁が、もう砕けそうだ。
洋介は咄嗟に、右へ跳んだ。しかし、銃口もその動きを追う。千晶は空になった弾倉を捨てると、カウンター裏から持って来た二十五発入りの箱型弾倉を装填した。
いつ崩れるかという氷壁を消し、洋介は新たな氷を生成する。それと同時に、千晶は右へ跳ぶ。がら空きの、洋介の左側へ銃口を向けて。
「アンタの欠点は、氷を一か所ずつにしか出せないトコよね」
後半の言葉は、射撃音に消えた。
すかさず洋介が氷で防ぐ素振りを見せれば、千晶は左に跳び、姿勢を低くした。銃口は上へ向けて。
「雪娘は、溶けて消える運命にあるのよ」
連射音がリズムを刻み、洋介が防ぐ。そんな攻防を数回繰り返したところで、千晶は三度目の装填を終えた。手元に予備の弾はもうない。洋介を睨んだまま、短く息を吐く。煙る中で瞬きひとつ挟まず、乗っているテーブルを蹴って隣のテーブルへ飛び移った。
「はは……『Снегурочка』かぁ……懐かしいな。そう言えば千晶は、民俗学専攻だったね」
世間話でもするように、洋介は笑った。前髪を掻き上げながら。千晶は返事をせず、訝し気に眼を細めるのみ。
お互い、予め負っていた傷以外に目立った外傷はない。寿途も、言いつけを守って木の中に籠っている。それに対してだけ、千晶は安堵の息を吐いた。その、力を抜いた一瞬の隙をついて、床から鋭利な氷柱が飛び出す。
テーブル分の高さを有していた千晶は、切っ先が自身へ及ぶより先に、前方へ跳ぶ。“後退”など、今の彼女の選択肢にはない。
たとえそれが、命取りになろうとも。
洋介は氷柱を消して、来る攻撃に備えて分厚い壁を作った。
千晶は真っ直ぐ、洋介に向かって発砲を続ける。氷の表面は瞬く間に削れていく。
軽い連射音に紛れて、パシュ、という更に軽い音がしたが――それが聞こえた者は、千晶のみだった。もしくは、誰も聞いていなかったかもしれない。
連射音は弾が無くなるまで続き、僅かに訪れた静寂は機関けん銃と床のぶつかる音に壊され、それを追うようにひと際大きな音が店内に響いた。木製のテーブルにぶつかりながら、千晶が倒れた音だ。
頭の先から足の先まで真っ赤な女は、動かなくなっていた。表情は、いつもの挑発的な笑みのまま。
いつもと違うのは――、後頭部から流れる血。
洋介は眉根を寄せ、警戒しながら辺りを見回した。自分の直線状――つまり、倒れる前に千晶が居た真後ろの窓に、穴が開いている。千晶の負っている頭部の傷口は、髪に覆われていて確認出来ないが、おそらく、狙撃によるものだろう。額から弾が飛び出てこなかったという事は、弾は頭蓋の中。
洋介としては、もっと千晶の状態を確認したいところだが……狙撃した人物が自分の味方だとも限らない。警戒は解かず穴の開いた窓付近を凝視していると、半壊状態だった店の入り口から、ある人物が現れた。




