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世界の平和より自分の平和  作者: 三ツ葉きあ
第四章『味方の中の』
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第三十七話『黒い人』―4




 滝沢はというと、書類を小脇に抱えて足早に廊下を歩いていた。


(山相と活麗に合成生物が出て、犠牲者まで出たっていうのに……こうも立て続けに被害を受けるなんてな。あーあ。激務激務)


 思わず漏れる溜め息。


「滝沢さん、おかえりなさい! 会長は一緒じゃないんですか?」


 会員から声を掛けられ、臣弥は養護施設棟を見に言っている旨を伝え、また歩き出す。そんな事を三回繰り返し、やっと会長室に到着した。

 大きな溜め息をひとつ落とし、書類の入った茶封筒をテーブルに置いた。そしてまた深い息を吐き出す。


 自分は秘書に向いていない。という自覚は十二分にある。まず、文字を読むのが苦手だ。計算も苦手。交渉相手への愛想笑いも苦手だ。


「おれぁ、こんなトコで何やってんだろうなぁ……」


 ぽつりと呟いた言葉に、在る筈のない返事があった。


「大切な書類を持ち帰ったんじゃないんですか?」


 と。《自化会》の中で、滝沢が千晶に次いでよく顔を合わせる男――三浦洋介。いつもオールバックになっている銀髪が、今は下ろされている。長めの前髪を掻き上げると、洋介は滝沢に向かって「おかえりなさい。英喜(・・)さん」と笑った。


 滝沢の顔が怪訝なものへと変わる。滝沢の事を“英喜”と名前で呼ぶのは、《自化会》では千晶だけだ。他の者は(みな)、“滝沢”と姓で呼ぶ。


「おかしかったですか? 千晶の真似をしてみたんですけど。それとも、滝沢さんの名前を呼んで良いのは、千晶だけだったりします?」


 おかしい。滝沢は勘の利くほうではないが、洋介に対する違和感が拭い去れない。


「会長に用なら、今は養護施設棟を視察中だぞ」

「ええ。酷い有様ですからね。当分帰っては来ないでしょう」


 洋介は肩を竦め、笑顔のままだ。


「僕が用があるのは、貴方ですよ。滝沢英喜さん」


 ばさ、と洋介が上着を広げたと同時に、滝沢は左後ろへ大きく一歩下がった。警戒心を隠そうとしない動きに、洋介の笑顔が曇る。


 洋介の手に握られているのは、栄養ドリンクの瓶だった。直射日光からビタミン類を守る、茶色い瓶。その頭には、派手なゴールドの蓋。勿論、未開封だ。

 見慣れた商品名の書かれたそれに、滝沢は少し落としていた腰を伸ばす。


「お疲れ様です。よければどうぞ」


 にこりと、手のひらに収まるサイズの瓶を差し出す。押し返すのもどうかと思い、滝沢はそれを受け取った。細い金属のちぎれる音を数回鳴らして蓋を開け、その場で飲み干した。


 何の変哲もない、栄養ドリンクだった。


 滝沢は、何故洋介に対して警戒心を持ったのか思い出せず、はぁ、と肩の力を抜いた。

 空になった瓶をテーブルに置こうと、腰を屈めた瞬間――


 バシャ。


 滝沢の目の前を、無色透明の液体が弧を描いて床に飛び散った。何かは分からないが、鼻を掠めたそれの刺激臭は、なかなかのものだった。


「何で避けちゃうんですか?」


 洋介は残念そうな顔。

 滝沢は、一歩引いていた足を軸に、もう一歩下がった。

 警戒心の復活。何故、自分が洋介に対して用心していたのか……思い出した。


「お嬢が、『洋介には気をつけろ』っつってたんでね」


 お嬢――荒井(あらい)千晶(ちあき)。本来ならば、滝沢の上司となる筈だった人物だ。赤い髪に赤い眼。年中ヘソを出す服装の、奇矯(ききょう)な女子大生。過去に内部分裂の末、消滅した指定暴力団組長の娘。元、洋介の相方。


「その千晶なんだけど、僕の部屋を訪ねてくれたのに、すぐに帰っちゃったんですよねー。残念だったなぁ」


 いつもと変わらぬ笑顔で、いつもと変わらぬ会話を投げ掛けてくる。そんな洋介の撒いた液体は、滝沢の足元で床を溶かしていた。

 滝沢は再び腰を落とし、どうとでも動けるように身構える。


「まさか、こんな正々堂々と正面からおれの(くび)きりに来るとは思わなかった……」

「僕はいつでも、正面突破ですよ」


 正々堂々と、正面から嘘を()く。洋介とは、そんな人物だ。

 対して滝沢は、背面の腰部分から何かを取り出した。匕首(あいくち)、ドスとも呼ばれる、(つば)のない小振りな刃物。鞘から抜けば、蛍光灯に照らされた刀身が睨みを利かせた。


 それも、洋介にとっては予想の範疇。


「僕は、刃物も銃器も好きじゃないんですよね。人体を外側から破壊するだなんて、美しくないと思いませんか?」


 大袈裟に肩を上下させ、かぶりを振る洋介を、滝沢は動かず、眉根を寄せたままの顔で見据える。


「その点、薬はいいですよ! 勿論、体を内側から破壊する事も出来ますけど、美しいものを美しいまま保存することも可能ですから!」


 法悦(ほうえつ)の笑みを隠そうともせず、自身が扱う“武器”について語る洋介。滝沢は歯の根が合わない感覚に陥るも、すぐに奥歯を強く噛み締めた。だが、背中を流れる血が、冷たいような気がする。


「僕は、別に滝沢さんが憎いわけでも、ましてや死んでほしいわけでもないんです」


(こいつ、今はっきり『殺す』っつー意味で言葉吐いたな)


 滝沢は、自分に起きている事態をはっきりと理解した。同時に、悪ふざけかもしれないという、一縷の望みを捨てた。


「会長の秘書って、大変ですよね。僕には到底務まらない仕事です。そんな凄い仕事をされている滝沢さんを僕が手に掛けるのも、そう。全部、千晶の所為なんですよ」


 ペラペラとよく喋っているうちに、すぐ後ろにある扉から逃げようか――そんな事を考えていた滝沢だったが、千晶の名前が挙がった事で、彼の意識は目の前の男に縫い付けられた。

 だが、一瞬思考を扉へ向けていた所為で、反応が遅れた。滝沢は自分のスーツに穴が開いているのに気付き、次いで洋介の手元を見た。空のガラス瓶が握られている。


「硫酸……濃硫酸か?」

「惜しい。ただの硫酸じゃ、そんなに早く穴は開かないし、肌も解けないですよ」


 言われて気付いたが、穴の開いている箇所の、特に脇腹付近に痛みがある。今まで洋介から外さなかった視線を、下へ向ける。


「……は?」


 間抜けな声しか出なかった。

 服どころか、皮膚、肉も溶けていた。内臓に達するのも、時間の問題かもしれない。肉は、着火したポリエステルのように溶けている。思いきり、“外側から破壊”されている。


 視覚で状態を理解した途端、痛みがリアルに激痛へ変わった。叫びたいのを堪え、閉じた歯の隙間から、深く呼吸を繰り返す。汗が一気に噴き出したが、滑りそうになる匕首(あいくち)の柄をしっかりと握る。

 もしこのまま死ぬのだとしても、目の前の男に一矢報いらなければ、死ぬに死ねない。そう思ったが――、


(体が……動かない……?)


 厳密には、足が、動かない。


 更に視線を落とす。溶けた肉の、更に下。氷が、足と床を固定していた。


「僕の式神は、シロクマなんです。実際見るのは初めてでしたっけ? 小振りなコで能力も高くはないですけど、一瞬で足を凍らせるくらいは出来るんですよ」


 脇腹の痛みに耐えている間に凍らされたらしい。

 滝沢が、痛いのか冷たいのか熱いのか分からなくなっていると、会長の作業机の向こうから、小さなシロクマがひょっこり顔を覗かせた。毛玉のようなそれは、すぐに物陰に隠れてしまった。


「シロは恥ずかしがり屋なんです。昔は僕も変わらない大きさだったんですけど、いつの間にか僕の方がこんなに大きくなっちゃいました。彼、両親の形見なんですよね」


 “両親”。洋介の両親の事は、滝沢も知っている。どんな最期を迎えたかも、実際に見てはいないが、知っている。


「……それで、おれを殺して両親の仇討ちしようって?」


 洋介は、きょとん、とエメラルドグリーンの眼を丸くした。


「違いますよ。僕、言いましたよね? 滝沢さんには、千晶の為に死んでもらうんです。んー……まぁ、正直に言うと、千晶を泣かす為に、死んでもらうんですよ」


 少し気恥し気に、洋介は後ろ頭を掻いている。実際、恥ずかしいなぁ、とも言い漏らしていた。


 訳がわからない。目の前の男が、何故照れているのかも分からないし、千晶が泣かされる理由も分からない。そして、悲しいかな……自分が死んだところで、千晶は泣かないだろう、とも思う。滝沢は痛みと混乱で、卒倒しそうだった。


「とまぁ、お喋りはこのくらいにして……。顔がしっかり分かる状態で、殺して差し上げますね」


 洋介は上着のポケットから、液体の入った瓶を取り出した。


(足が動かんっつっても、上半身は動く!)


 滝沢は手に持っている匕首を、洋介に向かって投げた。体を捻った拍子に激痛により呻き声が漏れ、湧き水のように血液が口から溢れ出る。腰が体を支える力を失い、低い位置にあるテーブルに倒れこんだ。凍った足が、ゴギッ、と嫌な音を上げる。


 滝沢の投げた一刀は、洋介の顔を掠めて会長席に刺さった。覗いていたシロの尻が、ビクッと跳ねる。


 洋介は瓶の蓋を開けた。


 あぁ、こりゃだめだ。と、滝沢が目を閉じかけた時――。後ろから、シロのものとは違う冷気が流れ込んで来た。


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