第三十六話『赤い人』―2
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床から突然出てきた木に、洋介は目を丸くしていた。
誰の仕業かは分かっている。寿途だ。
部屋の中央にある鉄製の机が無事だったのは、幸いだった。上には実験器具や、ノートパソコンが置かれているからだ。
「『不審者が入ってきたら僕の所へ送ってね』って言っといて正解だったなぁ」
木に向かって、ひとりごちる。少しして、絡み合うようになっていた木々は解け、中から血にまみれた肉が現れた。その肉は、青いオーバーオールを巻いている。
「見違えちゃったよ、シンジ君」
声を掛けると、肉はぴくりと動き、排水溝に吸い込まれる水のような動きをしたかと思うと、見知った“シンジ”へ姿を変えた。
「あああああ!! 痛い! いだいよぉぉおおお!」
大声で喚くシンジに、しー、と指をあてる。口にガムテープを貼りながら。
「痛いだろうね。見てるこっちも痛いよ」
洋介は悩まし気な息を吐きながら、シンジの左腕に手を添えた。いびつな形にひしゃげたソレから出ている白く細い塊を突いてみれば、シンジはガムテープの向こうで泣き喚く。
「まぁまぁ。そう騒がないでよ。あ、そうだ。いい事思いついた」
ちょっと待ってて、とガサゴソ道具を物色し、取り出したのは、薪割りに使う斧。何故か、赤黒いシミのような汚れが付着している。
シンジは、悪い予感しかしない。
涙と鼻水でどろどろになった顔をぶんぶん振りまくるものだから、そこらじゅうに飛沫が飛び散る。
洋介はシンジの口に貼っていたガムテープを一気に剥ぎ取ると、こぶし大に丸めたガーゼを、シンジの口へ押し込んだ。
「動かないでね」
短い忠告。振り下ろされる鉄の刃。
とうに腕としての機能を失っていたそれが、床に転がった。
そこからは洋介が傷口を処置。消毒の後、不織布のテープを貼って止血をし、鎮痛剤を注射した。
「ごめんね。僕、どっちかっていうと薬剤師で、医者じゃないからさ」
肩を竦めたと同時に、勢いよくドアが開いた。
「ちょっと洋介ぇ! ここに、ダッサいサロペットの男が来なかったぁ!?」
入って来たのは、赤い髪のヘソ出し女。ヘソの横に、湿布が貼られている。
洋介はシンジの方を見ずに、机下に隠れるよう、手先だけで支持を出した。痛みで失神寸前だったシンジも、聞き覚えのある声に身体を強張らせ、机の下のスペースに滑り込む。
「やあ千晶! 僕に会いに来てくれたのかい?」
両手を広げて、お決まりの挨拶。シンジを隠すように、足でごみ箱を移動させながら。
だが、ここからもお決まりの流れだ。千晶は不機嫌に洋介を睨む。
洋介も、両手を下げて肩を竦めて見せる。
「はいはい。分かってるよ。コレでしょ?」
ポイ、とシンジの腕を千晶へ放る。
「ぐちゃぐちゃだし血まみれだしで、よく分からなかったんだけどさ。青いズボンっぽい生地は見えたよ」
「死んだの?」
千晶は眉をひそめる。寿途が、力加減を間違えるとは思えなかったからだ。
「あの状態で生きていられるのって、人外だと思うんだよねー」
翔とかさ。と洋介は笑う。
千晶は納得していない風の顔だったが、ふぅん、と小さく言い落して、踵を返した。
「ところで、寿途は?」
洋介の問いに、千晶は背を向けたまま答える。
「養護施設棟。……知り合いがいっぱい死んだから、樹木葬中」
じゃーねー。と機関銃を肩に乗せ、千晶は去って行った。
先程よりは幾分穏やかに閉められたドアを見届け、洋介は短く息を吐く。
「さて、と。シンジ君はどうする? 僕も、いつまでも君をかくまうなんて出来ないからさ」
ごみ箱をよけて、机の下を覗き込むと顔色の悪いシンジが、両膝を抱える形で蹲っていた。片腕は無いが。
「帰る。九州に」
消沈した様子で呟くシンジに、洋介も「そっか」と答える。
「おっきな怪我をしてるし、解熱剤も打っとこうね。鎮痛剤も、タブレットを渡しとくよ」
洋介は特に引き留めることもせず、送り出す準備を始めた。
シンジの顔に生気はない。帰ったとしても、ユウヤに殺されるであろうことは明白だからだ。そんな時、シンジのスマートフォンが振動した。ポケットにあったそれは、奇跡的に潰れずに済んだらしい。
残った手でそれを取る。画面を見たシンジの顔に、徐々に色が戻った。
口元に、笑みも戻る。
「洋介君。僕を、ある場所まで案内してほしいんだけど……」
シンジの申し出に、洋介はにこりと笑って快諾した。




