第三十五話『青い人』―2
起きたら雨が降っていた。
「東京は雨がよく降るって聞いてたけど、ホントなんだー」
ここは東京ではなく、横浜だ。というツッコミも、飛んでこない。
身だしなみをそれなりに整えたシンジは、黒のロングTシャツに青いオーバーオールを着て、キャリーケースをベッド下に置いたまま部屋を出た。
傘は持っていない。
「水も滴るイイ男、ってねー」
と笑いを含んで呟く。幸い、周りに人は居ない。
ドヤ顔のシンジだが、雨の当たらない屋根の下を選んで歩いている。
ロングTシャツの袖口からスマホを取り出して見やれば、ユウヤからのメッセージが届いていた。
“《自化会》に着いたら協力者が待ってるぜ”という一文の後に、笑顔の絵文字。それに、《自化会》本部の地図が続けて送られていた。
歩いていける距離だ、ラッキー。と、シンジはスマホを見ながら目的地へ向かった。
(っていうか“協力者”ってどんな人だろ? おっかない人だったらイヤだなぁー)
一抹の不安が過る。だが、そんな心配を今しても仕方がない。
雨は降っているものの、単独で仕事を言いつけられたのは初めての事だ。シンジは鼻歌でも歌いたい気持ちで歩いた。
昨夜、仕事を休んだ為に届いている、客からのメッセージにも返信しつつ。
(それにしても、何でユウヤ君は《自化会》について詳しいんだろ。協力者って誰だろ)
シンジの問いに対する返答は、当然ながら無く。
「君が『シンジ』君?」
代わりに、問いが投げ掛けられた。
「名前を見たとき、もっとひ弱で内気っぽい人なのかと思っちゃったよ。先入観ってダメだねぇ」
シンジの前には、銀髪をオールバックにした青年が立っていた。髪色もさることながら、緑の瞳が印象的だ。年は自分と同じくらいだろう、と見積もる。
「ええ。ボクがシンジです。貴方が、《自化会》の協力者……?」
問えば、そうだよ、と軽快な返事。協力者は朗らかな笑みでもって、シンジと握手を交わした。
「僕は洋介。よろしくね」
とても愛想よくされて、シンジは拍子抜けだ。
(日本有数の地下組織の裏切り者だっていうから、身構えてきたけど……)
おずおずと洋介を伺うと、にこりと笑顔を返された。
道中の話題は、年齢の事だとか、普段何をしているかだとかいう、世間話だ。他愛もない話をしながら、タレ目コンビは並んで歩く。
「ところでシンジ君、武器は?」
急に物騒な話題を振られ、シンジが声を裏返らせた。それに対して笑いが起き、シンジの頬が紅潮する。
普段、人を傷つけるのは他の四天王や、ユウヤに任せきりのシンジだ。『武器』は持っているが、実のところ、あまり言葉に出したことのない単語だ。
白い歯を輝かせて、
「武器はこの笑顔ですね!」
と冗談めかして言ってみれば、柔和な笑みでもって、
「うん。女の子は瞬殺だろうね」
爽やかな返事。おそらく外国人か、ハーフかの……異国の雰囲気漂うイケメン。この男が自分の店に居たならば、地位が脅かされるレベルだ。
ただ、少し独特なにおいのする人物だな……。と、シンジは感じていた。
「さぁ、着いたよ。僕はただの道案内だけど……もし、逃げ出したくなったら呼んでね」
手渡されたのは、手のひらにすっぽり収まるサイズの、四角い電子機器――。
「……コレ、ポケベル?」
ポケットベル。九十年代に流行した、無線呼び出しを行う機器だ。
「よく分かったね。そう。ポケベル。ちょっと改造して、GPSを入れてるんだ。僕のスマホで位置情報の確認が出来るから、何かあったら発信ボタンを押してね。出来るだけ、手助けするよ」
『出来るだけ』。つまり、洋介が対処できない場合は、自力で何とかしろという事だろう。
シンジは、分かりました、とポケベルをオーバーオールの腰ポケットへ入れた。
《自化会》の門が見えてきた。洋介が止まる。
「僕は実験の材料を調達しに外出してる事になってるから。ここまで」
洋介に見送られ、シンジは“財団法人 自然と化学の共存を促進する会”と書かれたプレートの横を、通り抜けた。




