第三十四話『青い火』―4
食欲が満たされ、少し落ち着いた翔の元へ、家庭教師を務めている潤がやって来た。
「ねぇ潤。潤の会社って、人探し得意だよね? 光の事、探してくれない?」
そんな問いに対する答えは、当然ながら『NO』だった。潤の一存では決められないし、肝心の“人探し”を行う上で最も適した人物が、過労によって少々荒れているからだ。
尤も、そんな事実は翔の知るところではないのだが。
翔に対して申し訳なさそうに首を横に振った潤だったが、小さく溜め息を落として言った。
「今日のノルマがまだ終わっていないから、プレハブ小屋へ来てくれ」
少し冷めたほうじ茶を飲み干すと、翔は立ち上がった。
潤の訓練は、拓人曰く『優しい』ものだった。走って登下校も然り。翔にとっては『キツイ』のだが、出来ない事はない。やってみると、何とかなるものだ。
黒い割烹着を身に着けた潤を見ながら、翔はこんな事を思う。
(何着持って来たんだろ……)
と。そんな事を考える余裕があるくらいには『優しい』。それもその筈。潤は、基本的には翔の攻撃を受けるのみで、自分からは動かない。
まず、割烹着を通して伝わる衝撃から翔の放出している力の割合を割り出す。自分が指示した通りの力を出せているのかを分析し、大幅にズレが生じていれば正す。
「十パーセントで右腕」
と言えば、翔は潤の右腕を燃やす。厳密には、前腕部分に書いている丸い的を燃やす。
今回は手首に火球が当たり、割烹着の右腕部分の袖が吹き飛んだ。
「翔。もう少し力を抜いて。溜め息を吐くくらいの力で左腕」
ボッ。人の頭一個分くらいの大きさをした橙色の炎が、潤の左前腕を焼いた。
「今と同じ強さで、胴」
続いて飛んできた指示に応える。同じように、割烹着の胴が燃える。その炎は燃え上がることなく消えた。先に燃えた右腕の炎も、燃え上がることなく消滅している。
翔は疑問を口にした。
「ねぇ。普通、火は燃え出したら、燃料が無くなるまで燃えるよね? 俺の火は、何ですぐにきえちゃうの?」
穴だらけの割烹着を脱ぐと、潤はそれを翔へ向けた。
そして、点火。蝋燭ほどの火が、割烹着を燃やす。普通ならば、その火は大きくなり、火炎となる。ところが、布の大半を残して、火は消えた。
「“火”は、酸素と可燃物が熱と光のエネルギーに変換されたものだ――というのは、知っているな?」
翔は、自信なさげに首を縦に動かした。
「俺たちが体から出す“火”は、厳密には“火”じゃないんだ」
「???」
オツムの足りない翔は、頭から煙を出している。
潤が言うには、翔や潤の出す火というのは、火に限りなく近い性質を持った、別物――らしい。
疑問符の渦に呑まれてオーバーヒートしそうな翔に、潤は簡潔に伝える。
「朱雀や騰蛇の“能力”というのは、人間が作り出すものとは、別物なんだ。可燃物が無くても燃えるのが、その証拠だ。力の発生源が、俺たち自身。そして、朱雀や騰蛇は火を操る存在だ。つまり、突き詰めれば、通常の火――例えば火事なども、消そうと思えば俺たちの意思で消すことが出来る」
目から鱗だった。
翔は十七年生きてきて、初めてその事に気が付いた。
手にある割烹着を燃やして消し去ると、潤は手のひらを上へ向けた。
「多分、翔の中にある“火”のイメージがオレンジや赤や黄色だから、翔は橙に近い色の炎を出すんだろうが……こんな事も出来る」
手のひら上に現れたのは、紫色の炎だ。心霊番組で、よく“人魂”と言われるものに似た形をしている。
目から鱗、再び。
キラキラ輝く鱗を目から飛び散らせ、翔は興奮気味に言った。
「すごい……! どうやるの!?」
手品を見た子どものようだ。
「……そうだな……。翔の好きな色は……確か、水色だったよな? よく晴れた空を思い浮かべながら、手の上で十パーセントの炎を出してみろ」
翔は唾を飲み込むと、言われた通りイメージする。さっきと同じ力加減で、色は青い空。
青い熱が、手の上で踊った。
サファイアのように輝き、揺らめいている。
翔は口を閉じることも、息をすることも忘れている。
「……きれい……」
と呟いたところで、急いで息を吸い込んだ。
空というより、底が見える海のように、澄んだ青。
「青色の火を出す可燃物にはガリウムなどがあるが、俺たちの出す火には可燃物が必要ないから、色も自分で変えることが出来るんだ。ただ、この熱によって他の可燃物に引火した場合は、消えない事も……」
潤の説明は翔の脳に定着せず、すり抜けた。潤も、可燃物に関しては翔が覚えるとは思っていない。今は、想像通りの色を出せただけで上出来といえる。
「光の眼の色みたい」
手の上にある揺らめきを眺めながら口から零れた言葉に、ハッとする。
その光が、現在行方不明なのだ。
急にオロオロと落ち着きのなくなった翔。青い炎も消えている。潤は嘆息した。
「光さんの事なら、深叉冴さんや寒太に任せておけ。寒太は特に、見聞が広い。今のお前がしなければならないのは、出来る限り力の制御が出来るようになる事だ」
潤って人の心が読めるの? という戯言に、見たら分かる、と返し、潤は新しい割烹着に頭を通した。そんな先生に、翔は挙手をする。
「俺、今度から青い火を出すようにする。綺麗だしカッコイイ」
少しズレてはいるが、やる気と決意を感じた潤は、ふと微笑を溢す。いいんじゃないか、と言われた翔は、益々やる気を出した。




