第三十三話『父子』―5
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「お前……あの時の……」
あの日、秀貴の陰に隠れていた人物。あの時は、女かどうかすら分からなかった。当時の拓人にとっては“何か居るな”というだけの存在だった――嵯峨朱莉。
苗字は違うが、名前は当時と同じなのだろう。拓人が会員名簿で確認した時、漢字に何か引っ掛かった気がする。まぁ、「この漢字、流行だったのかな」くらいの認識だったが。
「貴方は私の事なんて、眼中になかったでしょう」
よく思い出せたものだわ。と朱莉は無感動に言う。
「私はあの日、あの時、秀貴さんに助けられた」
「『助けられた』って、お前の家族を殺したのは秀貴だぞ?」
拓人の言葉に、朱莉が眼光を鋭くする。その眼を拓人へ向けたまま、朱莉は喉奥から声を絞り出した。
「何も知らないくせに」
たったひと言だったが、拓人の言葉を止めるのには充分だった。
「私は、うちの組員も、家族も、全員死ねばいいと思ってた。立場の弱い人たちから暴力や詐欺でお金を巻き上げて。祖父の代からは薬にまで手を出して。そんなお金で生活しているのが、嫌で嫌で仕方がなかった。姉さんは、そんな現実から目を背けて明るく振る舞っていたけれど――」
“姉さん”――愛莉の事を口に出され、拓人の鼓動が速まる。だがそんな事は、朱莉の知ったことではない。
朱莉はあの日以降の事を、話し始めた。
あの日、あの後。秀貴さんは《自化会》の施設へ、私を案内してくれた。一般人として生活させるために、記憶を操作するって。でも私は、記憶はそのままで《自化会》の施設へ入る事を選んだ。
当分の間は、施設でカウンセリングを受けたりして。周りは子どもが多かった。ハイハイもまだの子から、小学校高学年まで。
週末になると、そんな子どもたちにボランティアでパネルシアターや手品を見せてくれる、会員たちがやって来た。
私は、たまに来る腹話術師が大好きで。両手に人形を連れて、漫才みたいに楽しい話を展開して私たちを楽しませてくれた。
ある日。力を入れて見ていたら、その人形が勝手に動き出した。宙に浮いて、私の手元へ飛んできたの。
その場に居る殆どは、手品だと思ったみたいで。拍手が起きた。
その後裏に呼ばれて行ってみたら、特殊メイクを落とした秀貴さんが居た。私には人形が動いた事よりも、腹話術師が秀貴さんだった事の方が驚きだった。
私の家に秀貴さんがやって来た日。秀貴さんの最も近くで彼の能力に触れた事で、体内組織が変異したんだとか。これも、かなり稀な事だと会長から聞いた。
それから正式に《自化会》に入会が決まった。秀貴さんはそれから私の前に現れなくなった。けど、今回の訓練で再会出来て、私は、本当に、嬉しかった。
深呼吸を挟む。朱莉は、ボロボロの布人形を両手で抱きしめた。
「嬉しくて、学校を休んで訓練して……。秀貴さんも、忙しいのに時間を作ってくれて……」
拓人が以前見た時とは違う人形。服と髪は同じ毛糸で、目はボタンに変わっている。
朱莉は、黄色の毛糸で出来た頭を撫でた。
「でも、着物を着ている秀貴さんを見ると、辛くて仕方がない。秀貴さんを避けて見ようとしないアンタには、分からないでしょうけど!」
頬に痛みが走り、拓人は自分が叩かれた事に気付いた。殴ったのは、目のボタンが取れかけている、金髪の人形。
使役者は、泣いていた。
「アンタは自分ばかりが辛いと思ってる! 『あいつの所為だ』って、秀貴さんを悪者にして、ずっと過去に縛られて、でもそれから逃げ回ってる! 本当、腹が立つ!」
ポカポカと、人形が拓人の頭を連打する。
泣き喚く少女を前に、拓人は全く頭が働かず、突っ立っているしかなかった。
話題の人物はしゃくり上げる少女の肩を抱いて、居心地が悪そうに視線を明後日の方向へ向けている。
「秀貴君は、彩花ちゃんに『一緒に着物を着ましょう』って言われてたのを、恥ずかしいからずっと断ってたんだよね」
とは、一連の様子を黙って眺めていた竜真だ。
その声に、秀貴は顔色を変えた。
「ちょ、竜真さ――」
「秀貴君、彩花ちゃんが亡くなってからずっと塞ぎ込んでてさ。只でさえ、こんな体質だからあんまり人と関わろうとしないのにね。ふふ。久し振りに会った時、彼が着ていた着物はね……」
「だから、止め――」
秀貴が制止ようと手を伸ばすが、朱莉がしがみ付いているので、その手は竜真に届かなかった。
「結婚した時に、彩花ちゃんが『これを着た秀貴さんと、いつか全国を旅行してみたいです』って、秀貴君に渡してたものなんだよ。だから、すぐにふらっと、どこかしこに旅行へ行ってね。それが、秀貴君の放浪癖の正体さ」
言っちゃった。と竜真は、悪戯がばれた子どものような笑み。
秀貴は朱莉をくっつけたまま、その場にしゃがみ込んだ。頭を抱えて。
それを横目で見ながら、竜真は楽しそうに続ける。
「毎月、拓人君名義のスイス銀行口座に毎月百万円ずつ振り込んでたり、日本の口座もみっつ作ってるんだよ。臣弥君経由で日用品を送ってたり、天馬家へ毎月二十万入れてたり……色々とコソコソしてるんだよ? コソコソする必要なんてないのにね。ホント秀貴君は不器用で照れ屋が過ぎるからさぁー。あとね、彼が海外でやってる仕事の半分以上は、セレブ相手の電気治療だよ。秀貴君、人殺しは嫌いだからさ」
因みに、秀貴君がやっていた腹話術の台本は、僕が書いていたんだよ。という竜真の声は、拓人には届いていない。
竜真は一度肩を竦め、拓人に耳打ちした。
「君の名前、“先祖の作った呪われた道じゃなくて、自分の道を拓いて進む人になるように”って、秀貴君が付けたんだよ」
今度血相を変えたのは、拓人だ。父の方を見やれば、防災訓練中に机の下に潜っている人のような格好をしている。
「マジかよ……」
未だにポカポカと頭を殴られている拓人の顔が、見る見る赤くなる。今まで自分が父親に行ってきた、実に子どもじみた態度の数々に――。
「穴があったら入りてぇ……」
父子の声が揃った。
二人とも、変な所で頑固といいますか……。
彩花さんの本心なのか、どうなのか……。きっと、半々ですね。
因みに臣弥は、周りの女性が(性格が)強すぎるので、女性に対して尊敬こそしても恋愛云々にまで感情が発展せず、独身だったりします。
(元々、『独り身が気楽でいいです』という考えでもあるので)
彩花さんの髪型もコロコロ変わります。
姫カットだったり、後ろ髪をハーフアップにしていたり、ポニーテールだったり、お団子だったり。
秀貴さんは、人が近付いてくるとビクッとします。
基本的に、自分から人に触ろうとはしません。
「殺してしまったらどうしよう」と、いつもびくびくしています。
要するに、ビビリなんです。
よく禿げないな! と思いますね。
~彩花の事~
彩花が着物を着ている理由は、彩花の母親が着ていたのと、幼少期から自身も着物を着る機会が多かったからです。
彩花は、薬の売買に手を出した父親の事は嫌いでしたが、母親の事は好きでした。
自分が秀貴と(半ば強引に)駆け落ちする時、まとめてあった荷物の上に、着物が一枚だけ置かれていました。
母がよく着ていたものです。
長襦袢などはありませんでしたが、彩花はそれも一緒に連れて、家を出ました。
結婚後も母親の事だけが気掛かりでしたが、少しして、母の病死を風の噂で耳に入れます。
彩花は一度だけ、母親の墓参りに行っています。おくるみに収まった拓人を連れて。
線香をあげ、着物のお礼と子どもが生まれた報告だけして、それ以降は槐家の墓へ近付いていません。
因みに、彩花と(翔の母親の)つぐみは、小学生の頃からの親友です。




