第三十二話『薬マニアと魔女と黒尽くめの』―4
洋介は当時まだロシアに住んでいた。祖父母と一緒に。両親の訃報は、日本からやって来た嵐山から聞かされた。《P・Co》が洋介を訪ねる前に、飛んで行ったのだ。
当時の洋介は、キリル・スミルノフという名前だった。それを、日本で過ごしやすいようにと改名させられ、日本へ連れて来られたのが、始まりだった。
その頃はまだ両親の仇は《P・Co》だと思い込んでいたので、洋介も打倒《P・Co》を心に誓って来日し、《自化会》へ入会したわけだ。
「本当は、この前《P・Co》関係で西日本に出張に行った時に《自化会》を潰すために《P・Co》に協力してもらおうかとも思ったんだけどさぁ。大江大輔と山城勇太を殺したのは、《P×P》の子どもだって聞いたから、断念したんだよね。しかも《P・Co》は味方側に付く始末だし。ホント、尽く思い通りに行かないな……って思ってたら《天神と虎》が現れてくれたからさぁ」
利用しちゃった。と、洋介は悪びれもせず肩を上下させた。
「でもまさか全滅するなんて。しかも《自化会》で死んだのはたったの一人って……もう少し使える組織かと思ったんだけどなぁ。全く。期待外れだよ」
心底残念そうに、洋介は項垂れる。
祝は憤激した。自分に対して。この一年半ほど洋介と組んで仕事をしていたが、認識が甘すぎた。
胡散臭い、油断ならない、信用出来ない。そう感じながらも、心の芯からは疑っていなかった。“洋介はそういうものなのだ”と思い、受け流していた。受け入れていた。それを悔やむ。
浅はかだった。あれだけ『嘘吐き』と自ら指摘していながら。慣れ切っていた。若しくは、平和ボケかもしれない。結局のところ祝は、自分の甘さに一番腹が立っている。
(まぁ、腹ぁ立ててもしゃーない)
それより懸念すべきは、そんな裏切り者と密室に二人きり、という事だ。
じり、と後退するが、扉までは遠い。
「ごめんね。バレちゃったら、やっぱ口封じは必要だよね」
カラン。澄んだ軽い音に似つかわしくない、おどろおどろしい色の液体が入った試験管が、洋介の手の中にある。あれが何か、など、祝には考えもつかないし、考えたくもない。
「祝は本部に居る時、武器は持ち歩かないもんね。ホント、危機感足りないよね。僕は再三、警告したよ?」
一歩詰められ、また一歩後退する。祝は洋介から視線を外さず後ろへ下がりながら、右手を掲げた。
「いざとなれば光宮が居る言うたやろ!」
祝の口ピアスが黄金に輝き、極小文字が浮かび上がる。“六根清浄急急如律令”。
通常、式神を呼び出す時に口にする、端的にいうと、召喚呪文のようなものだ。意味合いとしては、まず自分は清浄だと申し立て、『早く出てきて言う事を聞いてくれ』、といった感じだ。所有物に刻印しているのは、発声するのを短縮するためである。
最短で発現した祝の式神――ナイフフィッシュの光宮は電気を溜め込み、最大出力の電撃を洋介に向かって放った。
しかし洋介の表情は変わらない。
パリンッ。試験管が割れた。ガラス片が散り、中身が飛び出す。同時に液体が気化し、室内に広がる。
「相手の持ち物が何か分からないのに大きな能力を使うのは、得策じゃないよ。祝」
この時、いつの間にかガスマスクに覆われていた洋介の表情は、祝からは窺うことが出来なかった。きっと、胡散臭い顔で笑っているに違いない。
自嘲じみた笑いを吐いたかどうかというところで、祝の意識は途切れた。




